小説


   はぐれ星たちの光芒


                            杉田廣海
         


  方丈庵
                      
        (一)            
 承元四年(一二一○年)初秋、霧雨に煙る日野の山道を、竹皮の笠に蓑姿の二人の男が辿っていた。四十年輩の男の名は中山行長、僧名を浄月といい、勧修寺朝頼から始まる葉室家の血を引く故前左少弁中山行隆の息子である。わけあって宮廷務めを辞し、しばらく遁世していたが、家司として仕えたことのある月輪殿(九条兼実)の縁で、その弟の慈円和尚に拾われ、今は比叡山に身を置いていた。
 いま一人の男は通念という出家をして五年目になる二十歳前の若者で、慈円の意向もあって、行長の傍で用事を手伝っていた。蓑の下の二人の背には、これから訪ねる相手のために、手土産として穀物その他の物を詰めた荷を背負っている。
 比叡山を下りた二人は、その慈円の住まいである粟田口の青蓮院に寄って二日ばかり滞在した後、粟田口から山科へ貫け、醍醐道を石田から東に折れて日野の山中に入った。
 早い内に着きたいと思って夜を徹しての出立だったが、生憎の天気だというのに辺りはもうすっかり明るくなっていた。
 訪ねる相手は桑門の蓬胤(鴨長明)。十年も前に和歌所の寄人という宮廷の職を辞したまでは知っているが、その後のことは知らず、数日前に、今は音羽山の山中に隠棲していると比叡山の僧の一人から蓬胤の消息を知らされて、今日、こうして彼の庵を訪ねているというわけだった。
 蓬胤は名うての人嫌いで会っても無駄だという僧の忠告もあったが、行長は最悪の門前払いを覚悟してまで、一度は是非会っておきたいと思っていた人物だったのである。
 そこまで望んだ人物であれば、穀物の類を置いて来るだけでも目的の半分は達せられると、無理矢理自分を納得させての道行きだったが、荷物を背負って難儀な山道を登った挙げ句けんもほろろに追い返される図を思い描くと、やはり情けない気持ちになる。それを避けるには通念に書状を持たせて使いにやり、訪問の旨を伝えれば済むのだが、それでは断られるのがあまりにも明白だった。必然、無駄足を覚悟の道中となった。
「浄月さま、あそこに煙が立っているようにも見えますが、あれが、そうでしようか?」
 通念が指さす上の林の間から、薄い霧雨に紛れてはいるが、確かにそれらしい白い煙が見えた。
「おう、おそらくあれだろう。やっと着いたか」
 煙に誘われるように足を速めて二人が山小屋の前まで来ると、三十半ばの年輩の男が丁度、中から出てくるところだった。
 無精ひげを伸ばし、長い蓬髪を無造作に束ねてもとどりに結っている。男は粗末な直垂の襟元を正すような仕草をして、軽く頭を下げた。年格好から見ても、どうやらこの小屋の主は目指す相手ではないようだった。
「私は蓬胤さまを訪ねて山門(比叡山)から来た者だが、彼の人のお住まいを知っておいでか?」
 行長は傍の柿の木に蓑の背を当て、背負った荷重を軽減しながら男に訊いた。
「へえ、蓬胤さまの庵なら、この小屋の裏手の道を登って行けばもうすぐですが・・」
 男は丁寧に答えたが、顔を曇らせた。
「もうすぐで、どうした?」
「へえ、庵ならこの小屋から遠くはねえですが、蓬胤さまは誰ともお会いにならねえものですで、折角おいでなさったのに、お気の毒だと思って・・」
 男は、手にしている粗末な張烏帽子の皺を伸ばすような仕草をしながら言った。
「そうか・・」
 やっぱりな、と行長は落胆した。世間に背いて頑なに隠棲しているなら、外からの訪問者は歓迎されるはずもない。
「それに今日は、私の倅と向こう山の方へ茸狩りに出掛けておいでじゃから、今は留守かもしれねえです」
「留守か・・、ま、届け物の荷を背負っていることだし、庵を訪ねて、少し骨休みをさせてもらおう。ところで、おまえさまは?」
「へえ、わしはこの山一帯の山守を仰せつかっている者でごぜえます」
 男はそう言って、また丁寧に頭を下げた。 
        
 山守に教えられて辿り着いた長明の庵は、広さにして四畳半くらいの、驚くほど小さな小屋だった。高さも僅か七尺にも満たないほどで、よく見れば、主要な繋ぎ目は簡易な掛け金で留めてある。南側には竹の簀の子で濡れ縁が取り付けられており、その向こうの岩の山肌には水の溜まった窪みがあって、突き出た懸樋から清水が流れ落ちていた。
 山が迫ってすぐ傍は林になっているが、西側だけは開けて、遙か向こうまでが見渡せた。
 庵の東側には桧皮で葺いた三尺ばかりの庇が出ていて、下には小さな竈があり、横には薪が積んであった。
 行長と通念は笠と蓑を脱ぎ、背負った荷物をその薪の上に置いて背伸びをした。
「留守のようですが、戸口は開いていますね」
 通念が目で合図をするように顔を向けた先には、成る程、入り口になってはいるものの、戸は立てられていなかった。不用心にも思えるが、山の中でもあり、その上訪ね来る人もなければ用心の必要もないというところなのか。それに、誰かが中に入るつもりであれば、戸があったにしても造作もないことだった。
「留守だが、荷は中に入れておこう・・」
 行長は、荷を持って庵の中に入った。 
 土間になっている庵の真ん中に炉があり、右手の北側は、障子を隔てて阿弥陀如来と普賢菩薩の絵像が安置してあった。東側になる入り口のすぐ左手の隅は、蕨を敷き詰めて寝床が造ってある。きちんと片づいてはいるが、この広さでは客を迎入れる余地はなかった。しかし、狭いながらも庵は書院造りの床の間を思わせ、一人で仏道の教えに即した毎日を送っている者らしい暮らしぶりが伝わってくる。
「蓬胤さまが戻られるまで待ちますか?」
 暫くして、外で通念が訊いた。
「そうだな、少し待ってみよう」 
「それならば、私は裏山を歩いてきます。通草か何か、あるかも知れない・・」
「通草にはまだ早いだろう」
「そうですね、でも・・」
「よかろう、行っておいで」
 行長は、通念に答えた。
 若いだけにじっとしてはおれないのだろう、通念は、
「それでは、ちょっと行って来ます」
と、明るい言葉を残して裏山へ登って行った。
(それにしても・・)
 庵の中を見回し、行長は改めて思った。簡素というのも憚れるほど、生活のための鍋釜など、調度品は少ない。しかし、西側の仕切壁には琵琶と琴が立てかけてあり、その上には書物を載せたつり棚が備わっていた。やや大きめの文机の上には仏具である香炉、花瓶、燭台の三具足が置かれ、ついで硯箱と書籍、それに書きかけの文の束が見える。簡素な調度品と比べて、精神面での生活のさまが充実していることは、これらの品々から窺える。
(待つにしても、さて・・)
 客は歓迎されないと言われても、行長は、蓬胤に会うまでは帰るつもりはなかった。 山に出かけているのなら長丁場になるかも知れないと、つり棚の書籍に目をやり、一つの仏教書を手に取った。それは、「往生要集」だった。平安時代の天台宗の僧、源信が、横川首楞厳院で書いたといわれる三部作で、極楽浄土と地獄の諸相が記してあると山門の僧から話だけは聞いたことがある。しかし、まだ読んではいなかったので丁度良い機会だと思い、行長は精読するつもりで腰を据えた。

 小半時も経っただろうか、夢中で読み耽っていたので気付かなかったが、目を休めて外を見ると霧雨も止み、辺りは一段と明るさが増していた。行長は茫然とした視線を外の景色に移したまま、小さな吐息をついた。西空に茫洋と眼差しを投げてはいても、胸の内が騒いでいる。
 「それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。道俗貴賤、たれか帰せざるものあらん」の書き出しで始まる往生要集には、大変なことが書かれていた。
 祇園精舎の鐘の音、諸行無常、是生滅法、生滅滅己、寂滅為楽と聞こゆなれば・・、と記されてあったのだ。
 病に臥している僧が鐘の音を、全てのものは移ろいでゆく、生あるものは死す、生死の苦しみは涅槃の境地に入れば真の楽となる、と諭しているかのように聞いたと綴られており、行長はその一文を読んだとき、目から鱗が落ちたような気がした。
「そうか、平家興亡の底に流れるものはこれだった・・」   
 心の底から、沸々と込み上げてくる喜びを行長は感じていた。この一文に出会えただけでも、重い荷を背負ってこの庵を訪ねた甲斐があるというものだった。もしもこのまま蓬胤に追い返されたとしても、悔いはなかった。
(そうか、これだったんだ)
 行長は、心の中でもう一度繰り返すように呟いた。
 慈円の申し出を有り難く受け入れて出家という形で山門に入った後、行長は、ふとした切っ掛けで平家の興亡を書いてみたいと思うようになった。そして、それを伊勢平氏である忠盛が殿上に初めて昇ることを許される段から書き起こした。
 しかし、何かが足りない気がして仕方がなかったのである。忠盛の昇殿の第一歩は宮廷においての平家興隆の第一歩だったから、その話を「平家物語」の第一巻の冒頭に置いて何の問題もないはずなのに、どこか心に引っ掛かるものがあった。今、往生要集の一文と出会って、行長は胸のモヤモヤが消え去ったような気がする。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・」 
瞑想するように目を閉じて、行長は往生要集の言葉を小さく呟いてみた。
「沙羅双樹の花の色・・」
 祇園精舎を想えば、釈尊から沙羅双樹へと想いは移ってゆく・・。
「盛者必衰の理を顕す・・」
(ここで平家の興亡が入る・・)
 行長はそう思って釈尊に続く想像の連鎖を絶ち、まとわりつく余韻を京の平家に繋ぐ。
「奢れる者も久しからず・・」
 この言葉は、一門にあらざらん者は、皆人非人たるべしと言った大納言時忠もだが、何といっても入道相国清盛に収斂する。行長は連想に集中し、それを言葉にして頭に叩き込んだ。 
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕わす、奢れる者も久しからず、唯春の夜の夢の如し、猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ・・」
 出来た、と行長は思った。核が出来たのである。後はどのように平家を語ろうとも、流れから逸れることはない。何故なら、この一文には生と死、盛と衰、絢爛と咲き誇る華とその行方の全てを包含しているからだ。これを平家物語のイの一番の冒頭に置く。後は宮廷、山門、平家、源氏が絡む様々な出来事で肉付けをしてゆけばいい・・。
 行長は姿勢を正して庵に掛けてある阿弥陀如来と普賢菩薩の絵像に深々と頭を下げ、そして、往生要集を元のつり棚に戻して表に出た。

(これを奇縁というのだろうか・・)
 蓬胤を訪ねたことで往生要集と出会ったことを不思議な縁だと思いながら、行長は、今は晴れて青く広がる西の空に向かって腰を下ろし、座した。
 思えば法然上人も同じく往生要集と出会い、他力本願の神髄を悟られる機縁となったのではなかったか。上人と自分とを並べるのは畏れ多いことだが、それでも一つの仏教書という仏縁が、二人の人間に根本的な示唆を与える機会となったことに違いはない。
 また往生要集には、なぜ蓬胤がこのような狭い庵に暮らしているのかを知る手掛かりとなる一文もあった。その一文には、足ることを知らば貧といえども富と名づくべし、財ありとも欲多ければこれを貧と名づく、と記されていたのである。往生要集に多大な影響を受けて蓬胤がここに清貧の生活を送っていることは、最早、その一文で明らかだった。
 行長が喜びの余韻に浸るように静かに目を閉じたときだった、裏山の方から人の声がした。その甲高い声は子供のもので、蓬胤たちが山から戻ってきたようだった。
 足音が近づき、彼らが庵に姿を見せたとき、そこには通念も一緒にいた。
「私が山を歩いていると、茸狩りをしておられた蓬胤さまたちと行き会ったのです」
 笑顔で、通念が言った。
「そうですか。私は中山行長、僧名を浄月という者で、わけあって慈円さまの縁で、今は山門に暮らしております。今日は、ご迷惑は重々承知していますが、是非、一目なりともお目にかかりたいと思ってこうして訪ねてきたものです。どうか、無礼のほどはご容赦ください」
 行長は立ち上がって蓬胤に頭を下げた。慈円と同い年だから五十年輩のはずだが、蓬胤の方が年齢よりも老けているように見える。
「そうですか、慈円和尚の縁での・・」
 蓬胤は手にしている茸篭を下ろして言った。そして蓬胤の背中に隠れるようにして、顔だけを出して行長を見ている十歳くらいの男の子に、
「栗坊、これを母御に持って行きなされ」
と言って屈み、篭の茸をほんの一握りだけ取って、篭のまま残りを少年に手渡した。少年は頷き、行長の側を小走りに駆け抜けて、下の小屋の方へ降りていった。
「下の山守の息子でしてな」
 蓬胤は穏やかな顔を向けて言った。突然の訪問を怒っている様子にも見えない。
「栗坊、ですか・・」
「山守の小屋の裏には何本も栗の木がありましての。だから、いつも栗坊と呼んでますのじゃ」
 僧でもないのに坊とは、と行長は少し訝しく思ったが黙っていた。何も愚にもつかないことを訊いて、相手を不快にさせることはない。
「私は最早、身分とか位階とかには、何の関係もない身でな。あの子は私にとっては唯一の友人であり、この年寄りの相手をしてくれる大事な人物なのです」
 蓬胤は、訝かしく思う行長の胸の内を読みとったらしく、笑顔で言った。 
 行長は、自分の偏狭な考えを鋭く指摘されたようで顔が赤くなり、黙って蓬胤に頭を下げた。 
「もういいのです。頭をお上げなされ」
 頭を上げられない行長に、蓬胤は優しく言った。
「こうして世に背いて隠棲はしていても、ときには人恋しくなることもありましての。あなたがどのようなご用で来られたのかは分かりませんが、私でお相手が出来ることであれば、ご随意に」
「・・それは、有り難うございます」
 羞恥で顔が上げられない行長だったが、蓬胤の言葉は胸を躍らせるものがあり、羞恥心を吹き飛ばしてくれた。
「通念どのより聞けば、夜も暗い内から重い荷を背負って来られたとか。有り難いことです。しかし、以後の当庵への訪問は無用に願いたいですの。不自由することもありますが、私は一人で暮らそうと思い立って、こうして、此処にいるのですから」
 蓬胤は、静かに言った。
            
        (二)
 行長と蓬胤は、共に西空の方に向かって座り、長い間話し込んだ。話しても話しても話は尽きず、宮廷の話、市井の出来事等々、いくら聞いても飽きることはなかった。
 蓬胤は、最早悟りの境地に身を置いているとしか思えない。彼は自分の不名誉な出来事も、包み隠さず淡々として語った。通念も少し離れた場所に座り、無聊を持て余す風もなく、黙って二人の話を聞いていた。
そもそも行長が蓬胤に興味を抱いたのは、その誉れと挫折が自分のものと良く似ていると思ったのが最初だった。いや、誉れの方は比べるべくもないが、蓬胤が和歌所を去ることになる経緯は瓜二つに思えた。
 それは、宮廷内部の陰湿な虐めだった。競争相手の一派からの中傷や嫌がらせが、来る日も来る日も続くのである。特に、強い後ろ盾を失ったり、主立った家族の誰かが失脚でもすれば、手のひらを返すような虐めが始まった。
 蓬胤の競争相手は、藤原定家だった。今をときめく和歌界の大御所である。蓬胤は巨星のような人物と渡り合っていたのだ。飄々としてはいるが、懊悩の修羅場を経験してきた者だけが持つ、汲めども尽きない深みのようなものが蓬胤にはあった。
 彼に会えば平家が書ける、呪文のような思いがいつしか胸の内に育っていた。
 行長は九条家の家司を務めたことがあり、定家も若い頃には同じく家司を務めていて、その意味では先輩だが、蓬胤の目に映った定家の人と形も、是非、本人の口から聞いてみたいと思った。
 定家の話だけではない、養和の旱と飢饉のこと、大火事のこと、大風のこと、それに大水のこと、京のことを知り尽くしている蓬胤に、訊きたいことは山ほどあった。
 いつの間にか日も大分傾いていたが、行長はその場を辞する気にはならなかった。幸い明日辺りが満月であり、いとまをするのが遅くなったとしても、足元が全く見えないというほどでもないだろうと楽観的に考え、もし灯りが必要であれば松明を点せばいいだけのことだと覚悟を決めた。
 再度の訪問は固く拒否されている。今この時、この一瞬だけが蓬胤との縁なのだ。おそらく、生きて再び会うことはないと思われた。泣いても笑っても後はない。行長は貪るように蓬胤とのこの一時を惜しんだ。 
「話は尽きないようですの。夜を徹してお付き合いをしましょうかの・・」 
 いつまでも立とうとしない行長に苦笑いをして、ついに蓬胤が言った。
「本当ですか。それは有り難い」
「その代わり、一つお願いがありますのじゃ。叶えてもらえますかの?」
「何なりと」
「老い先短い私の余生に、あなたのような方とこのようにして語り合う機会も最早、ございますまい。上から下まで今まで様々なお方と言葉を交わしましたが、この世の名残に私もあなたともう少し話したい気もしてましての。そこでお願いじゃが、後であなたが創っているという平家の語りを聞かせていただきたいのじゃ。丁度琵琶もある、琵琶を弾きながら語っていただきたい」
「有り難いことです。お安いご用です」
 今夜一晩を蓬胤と語り明かし、その上自分の平家物語を聞いてもらえるなど望外なことだった。
 その前にともかく夕餉の支度をしなければと蓬胤が言ったが、客用の椀はもとより、箸さえ庵にはない。結局、方丈の庵では通念の眠る場所も見当たらず、下の山守に彼の一夜の宿を頼むことにして、そのついでに二人分の椀と箸も拝借することになった。
 泊めてもらう礼にと、蓬胤に相談し、通念は自分が背負ってきた袋から玄米や豆の類を取り出して、山守の小屋へ下りて行った。
「さてと、それでは日の落ちないうちに、私はお持ちいただいたもので粥でもこしらえるとしましようかな。浄月どのには東の、庇の下の竈で薪を燃やしていただきたい。種火は炉の脇に種火壺がありますでの。そこから取ってくだされ」
「承知いたしました」
「下の山守は炭焼き名人での。いつも固くて火持ちのいい炭を持参してくれるのじゃ。お陰で火の苦労だけはないわ」
 蓬胤は独り言のように言って、穀類を入れた鍋を下げて裏の水場に行った。
 行長は言われたように、種火の壺から種火を取り出して竈に火を熾した。諸行無常、人の営みはいつの世も軋轢となって、それが喜怒哀楽の綾を織りなす・・・。自らの生き方がどのような末路を辿ろうとも、そのこと自体はどうでも良いことのように思える。大事なのはその生の根本をどのように咀嚼し、総括するかということだろう。蓬胤は今まさに、その大事の真っ只中にあるように思われた。
 燃え上がる薪の炎を凝視し、行長は、蓮胤の大事を邪魔したこの度の訪問を、必ず無駄にはすまいと誓った。

 通念が山守の小屋から椀と箸を借りてきて、三人が庇の下で夕餉を済ませた頃は、もう既に日も落ちて、辺りには夜の帷が迫っていた。足元があまり暗くならない内にと、また通念が山守の小屋に戻っていった後、蓬胤は、竈で燻っている火を庵の中の炉に移した。
 辺りに仄かな薪の香りが漂い、燃える炎の先から立ち上る紫煙は、ゆらゆらと一際揺れて、静かな夜を迎えようとしている方丈の庵の薄闇に消えてゆく。
行長は琵琶を取って炉の側に座り、柘植の撥で弦を弾いた。
琵琶の弦から弾き出された音色が、静寂に跳ねた。
跳ねた音色が消えると、静寂は一層深くなった。
炉で燃える枯れ木がパチリと爆ぜた。
「それでは、不束な撥捌きではございますが、お聞かせいたします・・」
 炉を隔てた向かい側で、座禅の姿勢で座した蓬胤が黙って頷き、目を閉じた。
 行長は暫く琵琶を弾き鳴らし、そして、語りに入った。
「祇園精舎の鐘の声ェ〜、諸行ォ無常の響きありィ〜、沙羅双樹の花の色ォ〜、盛者必衰のォ〜理をォ〜顕すゥ〜・・」
 殿上の闇討ちの段からではなく、行長はこの庵で得た祇園精舎から平家を語り始めた。
 継いで大陸の故事と日本の故事を紐解き、そして正盛に至るまでの平家のあらましを、琵琶で調子を取りながら、殆ど即興で蓬胤に語り聞かせた。
 庵を包む夜の静寂に琵琶の音が響き、その狭間を行長の声が冴え渡って突き抜ける。
 唸るように強り下げ、或いは棚田の上空高く舞うなべ鶴のように声音を上げて、殿上の闇討ち、鱸、禿童と行長は語りを進めていった。その内にいつか我を忘れて蓬胤の存在さえも忘却の彼方へと消えてしまい、物語の世界の中へ入り込んだ。
 どのくらい経ったのだろうか、行長は最後の撥を弦に当てて弾き下ろし、今まで創作している分の語りを終えた。
 蓬胤は閉じていた目を開け、手を叩いた。
「粗末なものをお聞かせしました・・」
 行長は抱えている琵琶を傍らに置いて、頭を下げた。
「いや、いや、どうして、いいものを聞かせていただいた・・」
 蓬胤は満足そうに、頻りに頷いている。
「諸行無常から語りに入られたのは秀逸でしたの。並の物とは先ずそこが違う」
「恐れ入ります」
 行長は頭を下げた。
「冒頭に置いた文句は、そこの棚の、往生要集からいただいたものです。今夜初めて語ったのです。最初にこの一文を目にしたときは、胸が高鳴りました」
「そうでしたか。はじめの方の文句は涅槃経に、後の方は仁王経にありますな。私も今、雑文を綴っていますがの、同様に、往生要集は衝撃でした。言葉は少し違いますがの、やはり諸行無常から書き出しています」
「ご書を? して、どのような題目の?」
「このように隠遁している身ですから、題目を付すような大層な物ではありません。今まで見てきたことなどを、だらだらと綴っているだけです。もしこれを仕上げるとなれば、捨てるところばかりでしょうの。そうですな、題目をと言われるなら、この狭い庵で綴っているのですから、方丈記、とでもしますかな」
「方丈記・・。後で是非、拝見させていただきたいものです」
 行長は、蓬胤が書いたものなら是非見たいと思った。
「興味がおありなさるなら、ご随意に」
 驚いたことに、蓬胤は快く承諾した。
「往生要集ですがの、ご存じとは思うが、法然上人もこの書と出会って唐の浄土教を大成した善導の「観経疏」へと進み、凡夫が救済されるのは専修念仏だと確信されたのだが、笠置寺の鐘銘にもこの諸行無常の一文が刻まれていましての、それは知っておられたか? 建久七年の八月の十五日じゃから、丁度今から十五年も前のことじゃな・・」
「そうなのですか。十五年も前にもう既に。寡聞にしてそれは知りませんでした」
「尤も、笠置寺の鐘じゃから、祇園精舎の字句はありませんがの、それ以下の文章は全くの同文じゃ。祇園精舎の鐘のみならず、お寺の鐘の音は等しく諸行無常の響きを持つということでしょうの・・」
「はい・・」
 十五年も前に、既に諸行無常の文章が鐘に刻まれていたとは驚きだった。世間の雑音は嫌でも耳に入ってくるのに、肝心な事柄が抜けているのに歯痒い思いがする。 
         
「しかし、まこと、よく勉強されているの、流石に稽古の誉れが高いと評判をとったお人だけのことはある。」
 炉の火に柴を折ってくべながら、蓬胤が言った。
「私のことを知っておいでなのですか?」
 行長は蓮胤の口振りに吃驚し、訊いた。
「宮廷のうるさい雀どもじゃ。百までも囀りは止めまいて・・」
 煙が目にしみるのか歪めていた表情を和らげて笑み、蓬胤は炉端の片隅に置いてある五徳を顎で指した。
「知っておられたのですか・・」
 行長も苦笑して、蓬胤に頷いて見せた。
 七徳の舞というのがある。舞楽、秦王破陣楽の別名で、唐を建国した太宗がまだ四方を征伐していた秦王の頃、民間の間で流行っていた秦王破陣楽を即位後に呂才という者に編曲させ、李百薬らに歌辞を作らせて、最初は百二十人もの人数で歌い踊ったと伝えられる。
 勇壮な軍曲だったのを玄宗が小規模な宴に合うようにと小曲に作り直し、今では舞も四人だけになっている。
 宮廷で雅楽を受け持っていた行長は、楽府の御論議の番が自分に回ってきたときにその七徳の舞を講じたのだが、二つの項目を失念したことがあった。そこまではよくある話とは言わないまでも、それほど重大な失態でもなく、別段気にも留めなかった。ところが、翌日から、七徳の舞を二つ忘れた「五徳の冠者」という異名が行長に冠されたのだ。
 五徳とは儒教では温・良・恭・倹・譲を指し、兵家では知・信・仁・勇・厳をいうが、勿論、その誉れある若者という意味ではない。丁度今、目の前の炉の片隅に鎮座している三本足の五徳にかけた異名だった。その意味するところは、三本足の五徳を逆さまにして頭に戴せたヤツということで、その姿を想像するだけでも情けなかった。
 行長は汚名を返上すべく、それからは徹底した研鑽の上で御論議に臨んだ。しかし 、いくら質の向上を図ろうとも、冠された五徳の異名は外されるどころか、ますます酷くなっていった。陰で囁かれていたのが表に現れ、それはやがて、日常の呼びかけに使われるまで大っぴらになったのである。言葉を口にすれば現実になるという言霊に対しての思い入れもあった。長い話を端折れば、結局、行長はそれが原因で宮廷を辞したのである。
「私が和歌所にいた頃も大同小異じゃった。実は私も、あなたと同じような目に遭うたことがあるのじゃ。諸行無常というが、こればかりはあまり変わらんようじゃの」
 炉の火を突っつき、蓬胤は慰めるような口調で言って笑った。
「藤原定家さまの若い頃のことなど、お聞かせ下さいませんか?」
思い出すのも忌まわしい自分の過去の事柄は無視し、聞きたかったことの一つを口にしてみた。行長は定家と同じく九条家の家司だったことがあり、いわば、彼の後輩に当たる。そのことを蓬胤が知っているかどうかは定かでないが、九条兼実は定家の後ろ盾でもあり、蓬胤の耳に入れても面白くはないだろうと、行長は敢えて自分のことは明かさなかった。
「定家どのか・・。あの方も大成なされた・・」
「お二人が和歌所の寄人となられたのは、殆ど同じ頃だったと承知していますが・・」 話してくれることを願い、行長は水を向けた。
「格別面白い話とも思えないが、ま、秋の夜長の語り草としましょうかの」
 今晩の蓬胤は噂に反し、行長の望みを断りもせずに聞いてくれている。噂が間違っていたのか、蓬胤の心境の変化か、何れにしても行長には僥倖だった。
「私の方が六、七歳年上だから先輩格の頃もあったのじゃが、今では昔の和歌仲間という言い方もそぐわないほど、定家どのとは遠く隔たってしもうたわ」 
 蓬胤はそう言って、自嘲気味に笑った。
           
        (三)
 鴨長明(蓬胤)は久寿二年(一一五五年)、下鴨神社の禰宜、長継の次男として生まれた。翌年には保元の内乱が起こり、それに勝利した清盛は太政大臣に昇って、時代はまさに武士の手に握られようとしていた。
 時代の流れに翻弄され、自分の人生を絶たれた人々もあれば、時運によって道が開ける者もある。時運という摩訶不思議な力は、また、技量や才能だけを信じている者の逆手を取って打ちのめすことさえ躊躇はしない。
 長明の人生も、見えていたはずの人生の道筋が、歌の上手という自分の才能に因って消滅したという点においては、その例外ではなかった。七歳のときには従五位下に叙せられ、神官としての道は開かれていたにもかかわらず、その道を進んで行くことは出来なかったのである。
 神社には式年遷宮という習わしがある。神社によって二十年とか二十一年とかの違いはあるが、周期的に社殿を新造して神様に古い社殿から移っていただく大事な神事で昔から継続して行われていた。建築、装束、全てを新しく整えて神を迎えるのである。
 神を頂く神社は神事を滞りなく執り行うことこそ使命で、式年遷宮のような大きな神事は八年も前から準備される。それは木を伐り出す山に入る儀式に始まって目当ての木が決まったとき、伐採された木材を運び出す前の催事に削り始める祭式と、完成の日までには三十を越える祭典が粛々と進められることになる。
 当然このような大事な儀式には、将来禰宜職に就く可能性のある人物であれば列席する必要があった。神事は式年遷宮以外にも沢山あったし、下鴨神社の禰宜、祝は生涯を通して仕えることが要求された。ところが長明は歌の才能に恵まれて、皮肉にもそのことが、神職として修行すべき諸々の妨げになったのだった。年若い頃から宮廷関係者の主催する歌会に出る必要に迫られ、禰宜職への見習い事が不徹底だったとなれば、何人の目にも、父親の禰宜職を継ぐのは不可能だと映った。
 結局、父の長継は嘉応二年(一一七〇年)に跡目を又従兄弟の祐季に譲って引退、二年後の承安二年に死去してしまった。長明の胸に将来に対する漠然とした不安が芽生えたのは、その頃からかも知れない。
 それからの長明は歌で身を立てようと和歌に没頭していった。そして、二十一歳のときには高松院北面菊舎の歌会に列席するまでになったが、不運なことに翌年、可愛がってくれていた高松院が逝去して、大きな後ろ盾を失ったのである。
 しかし、不運を跳ね返すように長明は和歌の道に精進し、二十六歳のときには俊恵の門に入って会衆として積極的な活動をしながら「鴨長明集」も自撰した。
 藤原定家は、そんな和歌に賭ける長明にとって、大きく立ちはだかる人生の宿敵ともいうべき競争相手であった。 
 定家も早くから和歌の才能を見せていたが、何より毛並みの良さと、その後ろ盾の顔ぶれが彼を際立たせていた。父俊成は後鳥羽院の厚遇を得てその指南役を賜り、和歌の世界では確固たる地位を築いている重鎮だったのである。定家はその俊成の助力は言わずもがな、政界の大御所である九条兼実やその息子の良経、果ては後鳥羽院の力添えまで有していたのだから、これ以上の後ろ盾は望むべくもない。
 ただ、定家は大きな後ろ盾もあったが、歌に対する情熱も並はずれていた。そしてその作風も、誰もが刮目するほど斬新なものがあったということは認めなければならない。
 こと芸などは、いつの時代も新しいものは最初の内は排斥の憂き目をみる。定家の歌も幽玄の趣に欠け、言葉のみが浮き立って心のさまが見えないと酷評されることも度々だった。そして、その酷評の先鋒には長明も列していたのである。
出る杭は打たれるというが、定家という杭は打たれても伸び続けた。最早高くなり過ぎて打ちようもないが、それは、今までとは違う新たな基準が確立されたということに外ならない。諸行無常、今までのものが古び、新しいものへと変わってゆくのは、歌のありようでさえ例外ではないのだ。
 長明と定家、この二人の間が遠く隔たった後にして初めて分かることだが、確立された定家のその斬新性が理解できなかったのは長明の不明であり、それは自分の作風が古びていることを意味していた。
 平家という巨星が消滅して、人心も一新するとき、斬新な歌が生まれるのは必然であったのに、そこのところに考えが及ばなかったのは不明としかいいようもない。
 定家は大きな後ろ盾も持っていたが、歌への情熱もそして才能も、長明のそれを凌駕していたということか。しかし、その頃の長明は、少しばかり自分の歌が誉められるものだから、いや、何より彼と対峙していたことがその判断を誤らせたといえる。
        
 定家の歌への情熱といえば、こういうことがあった。
 養和元年(一一八一年)、その年、巷は未曾有の地獄絵図を見せていた。何故ならその年は旱に続く飢饉の上に、入道相国(清盛)が強行した遷都の失敗で都は最悪の状態だったからである。そんな中、三月五日には興福寺の僧徒が多武峯を侵して民家を焼き、これに対し多武峯僧徒が入京、強訴に及ぶという騒々しさだった。加えて源氏の挙兵、平重衡による東大寺、興福寺への焼き討ち、入道相国の死去、疫病の流行に夜盗の横行と、それこそ世の中は蜂の巣を突っついたようになっていたのである。
 何処の路傍も餓死者や病死した骸があちらこちらに横たわっていて、さながら負け戦の戦場を思わせるほどだった。始末する者もなく、いや、数万に及ぶ死体は始末のしようもないというべきで、増えはしても骸が減る気配は一向になかった。むろん、まだ死にきれずにうごめいている体もある。
 平時であれば忌諱に触れるのを避けて、犬猫の死骸や行き倒れた亡骸は非人や乞食などの鴨川の河原者に片付けさせていたものだが、彼らの殆どはとうに餓死し、新顔ばかりが路上にあふれていた。
 長明が定家と行き会ったのは、そんな日の夜道であった。
 所用で知人の屋敷を訪ねて、満月ではあったがやむを得ず夜道を辿る羽目になった帰路、六条の辺りで護衛の青侍を伴ってこちらに歩いてくる定家とばったり出会ったのである。
 最初は夜盗かと思い、ギクリとした。月明かりに定家だと分かって安堵しながらも、何でこんな夜更けに、と自分のことは棚に上げて訝しさがこみ上げた。この時期、この時分に夜道を徘徊する者は、物の怪か夜盗以外は思い浮かばない。
「これは定家どの、このような時分にお会いするとは・・」
 長明は腰を低くして先に声をかけた。相手は六つか七つ年下だが、九条兼実という大きな後ろ盾を持つだけでなく、弱冠二十歳前にして和歌ではずば抜けた才能を示して、早くも和歌の世界で頭角を現し始めている若者である。最近は許されて式子内親王の御所にも度々出入りをしているとも聞く。出会い頭に腰を低くするのは当然だった。
「それはお互いに。この時刻、供の者も付けずにお一人とは・・」
 定家は長明の名前を口にするでもなく仏頂面で答えたが、足は止めた。
 この男、年は若いのに、天才肌というより秀才肌だから自尊心ばかりが強く、その上偏狭で狷介な質ときているから始末に悪い。相変わらずの人を喰ったようなものの言い様にムッとはしたのだが、むろん、顔には出さない。末席とはいえ、それが宮仕えの嗜みというものだ。いや、本当は、何の酔狂で夜歩きをしているのかと相手への興味が湧き、無理な笑顔を向けたという方が当たっている。長明は、  
「やむを得ない経緯で、このような夜道を辿る羽目に。で、あなたは?」
 と答えた後で、穏やかに訊いた。ところが、返ってきた定家の言葉に長明は吃驚仰天した。
「私は、月に誘われて散歩というところです」と、彼は言ったのだ。
「散歩ですか、こんな夜更けに・・」
 耳を疑って、長明は辺りを見回した。ここでも、五、六間先に餓死者の亡骸が数体、仄白い月明かりに照らされて横たわっているのが見える。中には衣類を剥ぎ取られたとみえて、丸裸にされている骸もあった。
 蔓延する飢饉は既に貧しい人々を襲い尽くし、次には、中流の経済層の家族にも襲いかかっていた。食べ物を求めて知人を訪ねた末に力尽きたものか、比較的身なりの整っている人が餓死しているのも珍しくはなく、出没する盗人はそういう死人の衣服さえ剥ぎ取っていくのだ。あろうことか、人の肉を喰らうという噂までも耳にする。
 末法の世とはいえ、さながら生き地獄のような惨状を呈していた。月に誘われたと定家は言うが、上代には月は愛でるというより死を象徴する忌むべき存在であったのだ。無数の青白い屍が累々と横たわっている今この時、天に冷たく光る月は、まさに死を象徴するに相応しかった。
「こういうところを、散歩ですか?」
 長明は唖然として、再度、訊いた。
「今夜のこの月は、この今でしか味わえません。今夜は月をいくつか詠んでみたい気分になりましたから、こうして歩いているのです」
 この男は、屍が折り重なって腐臭を放っている夜道を、月を愛で、歌を詠むために歩いているというのだ。端倪すべからざるその行動に、長明は返す言葉を失って相手を凝視した。
 そしてたとえ出世のためでも、この男と親しく交友することだけはないだろうと思った。
 常識を逸脱した歌に対する執着と意気込みには畏怖を覚えるが、同時に、そんな人間が一体どんな大層な歌をつくるのかを見極めてやろうと、競争心のようなものが湧き上がってきたのも事実だった。
 長明が定家を和歌の面で強く意識し始めたのは、その日の出会いからだった。定家の「初学百首」の評判を聞き、負けてはならじと自分も取りかかっている「鴨長明集」の編纂を急ぎ、ついで「月詣集」も著した。俊恵の門で、会衆として活動をしたのもその頃だった。
 その甲斐あって少しは業績も認められたが、しかし、定家の壁は時を経るにつれて固く、厚くなっていった。後年、和歌所の寄人として三十三人の内の一人に選ばれる身に余る栄華も、その内実は苦役でしかなかったのである。そして父長継が死去した辺りから感じ始めていた漠然とした不安は、益々その影を濃くして長明の身に付きまとった。
 長明はわずか五年で和歌所を去って洛北大原に隠棲し、後は気に染む山中を転々としながら、今の日野の庵に至ることになる。

「ご苦労をなされましたね・・」
 長い身の上を語り終えた蓬胤に、行長が言った。
「私のは、苦労とは言えませんの・・」
 笑って、蓬胤は頭を振った。
 多くの人の悲惨な行く末を見てきた蓬胤だから言える言葉だろうが、それにしても、定家の、月の夜の散歩は凄い。より高い位階を目指す貴族は皆、庶民とはかけ離れた場所にいることを殊更強調する必要があるのだろうかと穿ちたくもなる。
 そこのところを蓬胤に尋ねると、彼は少し考えるような仕草をして、
「そうですの、それが貴族たる者の粋だという意識やも知れませんの。私が彼の人とその夜に出会った折り、源氏と平家の戦が始まったことを引き合いに出して問うたら、定家どのは、そのようなものは自分には関係のない事柄だ、と答えられたからの」
 と言った。
「・・・」
 人心の哀れ、弱い者への慈悲といったものには一切頓着せず、そこまで自分を高みに置けるのかと思うのみだが、雲上人とか天上人とはよく言ったもので、自分は特別な存在なのだと信じ込んで下々と区別する性癖だけは、骨の髄まで染みこんでいるらしい。
 蓬胤は続けて言う。
「紫式部の手になる源氏物語五十余巻を見ても、東国での平将門の反乱が地方武士の台頭を予感させ、後には同じ地で平忠常の乱が起こるのじゃが、それらの世情には一言も触れてはおりませんからの。富士が噴火しようが地震があろうが、素知らぬ顔で、好いた惚れたのと綴っておる。わるいと言うつもりはないし、言えるわけもないが、それが彼の人たちの矜恃じゃろうて・・」
「・・そうですね」
 蓬胤が言うように、世間の争乱の波紋は源氏物語の中にはそよりとも及んではいない。
 むろん、世間の争乱には触れずとも中宮の周辺にも大風は吹く。式部は野分の巻で大風に右往左往する六条院の人々を描いてはいるものの、その記述は、秋の草花の風情や光源氏の美しい男盛りの説明に繋げるばかりで、扱いは器の中の波風でしかない。
 自分が書く平家物語はそうであってはならない、行長は思った。
 戦がどのように行われたか、寺院はどのように燃え上がって焼け落ちたのか、人々はどのように死んでいったのか、それらの全てを書き述べなければならない。いや、単に歴史の事実を書くだけでは不十分だ。その事実の表の部分を剥ぎ取り、背後に存在する巨大な影なるものの実相、息づかいまで見極め、それを拡大するような気持ちで書き綴らなければならない。何故なら、多くの人々に語ってゆく物語だからである。式部のように宮中の限られた人だけに語る物語ではないのだ。
 その思いもあって、行長は、
「火事や天変地異のことなど、詳しく知りたいものです」と、蓬胤に訊いた。
「平家の物語の中に置かれるのか?」
「はい」
「主だったものは先ほど話した方丈の記に書き留めていますでの、それを読まれるがよろしいでしよう」
 そう言って蓬胤は立ち上がり、吊り棚から文箱を取って行長に手渡した。
「まだ纏めてはいませんがの、必要なものがあれば参考になさるがいい・・」
「はい、拝見いたします」
 しかし、書を読むには辺りはいかにも暗過ぎ、行長は灯りを得るために炉に柴をくべた。
「かなり長文のようですが・・」
 小さくなった火を熾しながら、行長は紙数から判断しての率直な感想を言った。
「申し上げたように、まだ纏めたわけではありませんでの、仕上げるとなれば、九分がたは捨てることになるでしょうの・・」
「この書の、九分がたを捨てると言われるのですか?」
 行長は驚いて訊き直した。
「そうです」
「それは、いかにも勿体ない・・」
「いえ、それで十分ですろう。この庵と同じですの。若い時分にはこの住まいの百倍もの家に住んでいたこともあったのですが、当時はそれでも、決して広さに満足していたわけではありませんでの。執着を捨てた今、この方丈の庵で十分だと思っております」
 蓬胤は悪戯っぽく目で笑い、言った。
「しかし、執着を捨てると言われますが・・」
 行長は蓬胤の翻意を促したかった。
「・・富ある者は富を喜び、官位を望む者はその官位を喜ぶのではありませんか? 人間の喜びは執着する拠りどころに依って起こり、執着がなければ喜びもない、と考えることも出来るのではありませんか?」 
「富ある者は富に憂い、官位を望む者はその官位を憂うものです。人間の憂いは執着する拠りどころに依って起こり、執着がなければ憂いもないと私は考えますがの。その証に、今の私には以前ほどの憂いはありませんからの・・」
「・・・」
「人間、富が増え過ぎると更に欲が深くなるだけでなく、本来見えるものが見えなくなって本末転倒となることもありますでの。この世に生を受けて本当に哀しいことはそのことですろう。ものは多すぎない方がかえって満足が得られましてな。書く物も同じこと。私の方丈の記はその九分がたは無用です・・・」
「・・・」
「尤も、貧も度を超せば同じように哀しいですがの。要は、足りるを知るということですかな。往生要集にあるとおりです。その文章の量では無駄が多く、私は単にその無駄を取り除くと言っているだけです」
 燃えだした炉の火が蓬胤を照らし出し、炎の陰影がその顔の上で踊った。
 蓬胤の言わんとしていることが分からないわけでもないが、しかし、削りに削って文章の大部分が捨てられるその前に、こうして手にすることができたことが行長には素直に嬉しかった。
「それでは、少し読ませていただきます・・」
 今、議論は望むところではない。行長は文箱から分厚い紙の束を取り出した。
「ご随意に」
 頷いて、蓬胤は目を閉じた。

 行長は方丈記を炉の火に向け、黙読を始めた。そして、流麗な筆致で細かく書き込んであるその行を読み進んでゆくごとに、的確な蓬胤の文章に感嘆した。
(これは・・)
 このような文章は今までに目にしたことはない。漢文の角を取り除いて流れるような日本文に綴られ、柔軟で無駄がなく、それでいて描写が隅々まで行き届いている。あたかも書かれている辻風の真っ只中に佇み、吹き飛ばされている檜皮、葺板の類を目の辺りにしているかの如く、文字が想像を喚起するのである。
(うーむ・・)
 行長は方丈記から目を離して天井を仰いだ。そして、この方丈記に記述された辻風の部分を平家物語に取り入れれば創作の幅も広がり、語りの内容が格段に豊かになるだろうと思った。
 炉の火に書を焙るように、半身に上体を傾けて灯りを探りながら、行長は夢中で読み進んだ。
 やはり、読むほどに方丈記には引き込まれるものがある。平家の語りの参考になる箇所があれば、と思えば尚更だった。その意味では安元三年の風吹く夜の大火事、治承四年の辻風、同じく治承四年の遷都の章などは殊に心惹かれるものがあった。 
「蓬胤さま・・」
 意を決し、行長は炉の傍に座したまま眠っているようにも見える蓬胤に声をかけた。
「ん? 何かの・・」
「この方丈の記の描写、私の目には大変優れたものと映りました。お許しを頂ければ、平家で語りたいのですが」
「私の書き物があなたの平家物語で使えるとお考えなのであれば、それは大変嬉しいことです。ご随意に」
 例によって、蓬胤は嫌がる風もなく頷いた。
「風の噂では、蓬胤さまは人を寄せ付けないと聞いていましたので、今日私が受けた寛容の数々、今でも信じられないような気がします」
 行長は心に思っていたことを口にした。門前払いの覚悟までした訪問者には、彼の応対の全てが意外に思える。
「そうかの。私は殊更人嫌いというわけでもないが、おそらく、些細な諍いごとからそのような大袈裟な噂になったのかの。尤も、人が好きでたまらん方でもないがの」
「・・噂ですか」
「ま、この度の浄月どのは例外、ということにしときましょうかの・・・」
 噂は、本人の口振りからして暗に肯定されたというべきか、何れにしてもこの度の訪問が望外の厚意を受け、そして得ることも多かったことに違いはない。行長は感謝の気持ちを込めて、蓬胤に頭を下げた。
「いいのですよ。私の場合は隠棲といっても我が心のおもむくまま、自由気儘にやっていますからの、京の町へ出て親しい人を訪ねることも時にはあります。人の厚意を受ける以上、私に出来ることであれば、また人さまにもそうするのが道理というものじゃろうての」
「おそれ入ります」
「親しい人といえば、私と同じ頃に和歌所の寄人となった飛鳥井雅経というお人がいるのじゃが、彼の人と連れ立って、来年には鎌倉へ下向しようと思ってますのじゃ・・」
「鎌倉へ?」
「そうです。雅経どのが、将軍実朝どのと会見する橋渡しをして下さると言うのでの、折角の機会なら、一度お会いしてみようと思ってますのじゃ」
「それは、それは、結構なお話でございます」
「将軍どのは歌に大層ご熱心で、また優れておられると聞き及んでいますでの、私も一首なりとも詠んで差し上げて来ようかと・・」
「是非、そうなさいませ。そのお話、私にとっても何かこう、心躍る思いがいたします」
 世を捨てた蓬胤にそんな晴れがましい機会があることが行長には嬉しく、膝を乗り出すようにして言った。
 静かで侘びしい風情にも慰められるものはあるが、時には晴れがましい空気に触れることも、生きる上での何よりの励みになる。鎌倉への下向は、蓬胤にとって華やかなりし昔を、ほんの一時、現在のものとして実感することが出来るはずだった。
 理屈ではなく、人は人と触れ合うことで喜びも湧く。人である以上、それは隠遁者とて例外ではないだろうと行長は思った。そして、人とうち解けて話すことがあまりない行長にとっても、この初秋の一夜は、人の心の温もりに触れるかけがえのない一時であった。
「是非、そうなさいませ」
 行長は、同じ言葉を繰り返して言った。
「そうしましょうかの・・」
「はい・・」
 共に宮廷から去り、世をはぐれてしまった隠棲者が二人、日野山中方丈の庵の夜は静かに更けてゆく。
                    

  琵琶法師 

        (一)
 東の空が明け始める頃、通念がまた山守の小屋から方丈の庵に登って来て、二人は蓬胤に別れを告げた。昨日は眠ってはいないが行長の心は晴れ晴れとしていた。平家を創り上げていく上での疑問が、この訪問で解決されたからである。それに方丈の記からの引用が平家には質の向上となることも、行長の気持ちを軽くしていた。
 空模様は崩れ、またしても雨になりそうな生憎の天気だったが、来るときとは違い、そんなことさえ気にもならない。
 着てきた蓑と笠を荷の代わりに背負い、二人は山道を下り始めた。
「蹴上に下りたら青蓮院に寄って、もう一度、慈円和尚に挨拶などしていかれますか? それとも、鹿ヶ谷に向かってそのまま山門に戻りますか?」
 後ろを歩く通念が訊いた。
「青蓮院か。いや、寄るまい」
 行長は頭を振った。
 慈円は粟田口の広大な青蓮院に居住している。青蓮院は比叡山延暦寺の開基に際し、最澄が設けた住坊の一つで、鳥羽法皇の時代には殿舎も造られて、東塔の主流寺院として延暦寺の法統を受け継ぐ高僧の住居にもなっていた。
「もう挨拶は済ませているから青蓮院へは寄らずに、鹿ヶ谷法勝寺の山荘に寄ってみよう。一度よく見ておきたい」
 今は、少しでも早く平家を書き進めたかった。
 法勝寺の山荘とは執行であった俊寛僧都の山荘で、治承元年(一一七七年)に後白河法皇を筆頭において俊寛、西光、藤原成経、平康頼らが平家打倒の談合をした場所だった。
 その談合は源行綱の注進によって程なく清盛の知るところとなり、西光は斬殺、俊寛、平康頼、藤原成経の三人は鬼界が島に遠流されるという憂き目をみることになる。今から書き始める段で、帰り道に立ち寄って現場の雰囲気を掴み取るには丁度いい機会だった。
「法勝寺ですか、分かりました」
 通念も慈円より得度を受けている。もう一度青蓮院に寄りたい気持ちもあるのかも知れないが、素直に行長の意向に従った。
「浄月さま、平家の語りはやはり生仏どのに伝えるのですか?」
 今度は話題を変え、また、通念が訊いた。
「うん、彼の人以外はいまいな。そう思って山門に移ってもらったのだからな」
 行長は苦笑した。通念と生仏との間の、ある出来事がどうしても笑いを誘う。
 生仏とは比叡山黒谷の聖の別所にいた四十年輩の盲目の琵琶法師で、行長の要請で今は大懺院の山門別院にいる。琵琶法師は、叡山横川の常行三昧堂などで天台声明の伴奏をしていた。天台声明には梵語で唱える梵唄や漢語で唱える漢讃があり、仏教儀式に琵琶は欠かせない。
「私は、生仏どのはどうも苦手です」
 通念が顔をしかめて、渋い口調で言う。
「別に取り憑いて殺したりはしないだろう」
 行長は一笑に付した。

 通念が顔をしかめるのには訳がある。
 彼はある晩、所用で遅くなって別院の脇を通りがかった帰り道、外で琵琶語りの稽古をしている生仏を見かけたのである。
 真っ暗な樹木の隙間から青白い月明かりが差していた。月光に濡れ、琵琶を抱えて草むらに座っている人影はどこかこの世のものとは違う幽玄な趣を醸していて、通念は興味をかき立てられて忍び足で生仏に近づいた。
 その光景は、どこか異次元の世界に足を踏み入れたかのような錯覚に囚われて奇妙な気持ちだったが、通念は青白い月の光を浴びて無心に琵琶で語っている生仏を見守った。
 そこは丁度、あの世とこの世の中間にいるような寂然とした空間を思わせた。
 生仏は保元の戦を語っている様子だったが、驚いたことに、通念が声を殺していると語りの声音は徐々に陰に籠もってゆき、そして、その声は突如として崇徳院の恨み声を発し始めたのだ。最初はブツブツと囁くような小さな声だったのが、段々大きくなり、最後には、闇間の木立の葉を震わせるほどになった。
「おのれィ呪わしやーッ、信西、義朝ッ!、我一切の善道を排し、三年かけた大乗経書写の功力を三悪道に抛って呪いに変えッ、日本国の大魔縁とならーんッ! 我が血で染めた怨みの写経もろともォ、宮廷の者どもことごとくッ、瀬戸の海のもくずと消えェーいッ!」
 通念は息を呑んだ。
 全身に鳥肌が立ち、心の臓が激しく波打った。驚きのあまり足が竦み、動くことも出来ないでその場に凍り付き、恐ろしげな生仏を見つめた。目を逸らすことさえ適わない恐怖だった。怨霊の霊気が生仏の全身から立ち昇っていた。
 地獄の底から響いてくるような昏い割れ鐘にも似て、その声音の恐ろしさといったら、とても生仏の声はおろか、この世のものとも思えなかった。崇徳院の怨霊が魔界より現れたかと、通念はその場に棒立ちになっていた。
 凍り付いた通念の体は、やがて、生仏の高笑いによって解れた。
「誰かの、そこにいるのは?」
「・・・」
 通念は、まだ声も出ない。
「少々余興が過ぎたかの・・」
 生仏は普通の声で言った。
「威かさないで下さい・・」
 どうにか心を落ち着かせて、通念は生仏のいる方へと近づいた。
「何をしているのですか?」
 草むらに座っている生仏に訊くと、彼は、
「見ての通り、琵琶を弾いているのだが?」
 と答えた。
「私が居るのを知っていたのですか?」
「目は見えなくとも、耳は聞こえますからの、足音で」
 分かっていたと、生仏は事も無げに答えた。
 足音は忍ばせていたし、相手は琵琶を弾き語っている最中だったのに凄い耳をしていると、通念は内心驚いた。
「それにしても驚きました。てっきり、崇徳院の怨霊が現れたのかと思いました・・」
「見たところお若いお人のようなので、ちょっとからかってみたくなりましてな。ひらにお許しを」
「見たところって、あなたは目が見えないのではありませんか?」
「はい、私の目はこの世のさまは見えませんがな・・」
生仏は月を仰ぐように顔を上げ、その顔をクルリと通念に向けた。
「この目の玉は前方ではなく、後ろの闇が見えるのですよ〜!」
「!・・」
 通念の胸がドキッ、とまた波打った。 
「陽ではなくて陰、生でなく死ーッ、つまり〜、死後のあの世が見えるのですゥ〜。だから〜、院の怨霊をつかの間この世にお連れ申し上げッ、彼の方のお目を通しておまえさまを見たというわけでしてな〜ッ」
 先程とよく似た恐ろしげな、低めの声でそう言い、生仏は見えない目玉を向けて、今度はヒヒッと奇妙な笑い方をした。
 通念は再び体が凍り付いた。またからかっているのかと思ったが、月明かりに生仏の眼をみると、その言葉を裏付けるかのような、恐ろしげな気配が漂っている。
 生仏の全身から、再び霊気が立ち昇り始めた。
「戯れは止めて下さい。何を根拠に、そんな根も葉もないことを・・」
 このまま生仏が物の怪の本性を現し、自分を怨霊の世界に連れて行くのではないかと怖れ、通念の声はうわずった。生仏は何かの化身であり、そのような不思議な力を持っているように思えた。出来れば一目散に逃げたい気持ちだったが、またしても呪縛されたように自由が利かない。
「根拠と言われても、困りましたな。だが斬り殺されたときの太刀疵なら、ほれ、ここにありますぞ!」
 そう言うと生仏は、黒い法衣の片肌を脱いで背中を向けた。見ると右の肩口から斜め下に、太い太刀疵が一筋走っている。
「私は一度死んで、地獄からまた舞い戻ってきたのですよ・・」 
 気味の悪い生仏の言葉を何とか振り払い、通念は這々の体で逃げ帰った。

「いえ、あの人なら取り憑いて殺されかねません。浄月さまはあの場所におられないから、そういう風に笑っていられるのです。あの恐ろしさときたら、今考えてもゾッとします。まったく、比叡山にいる人は皆、人間離れしている」
「それで、そのとき、おまえはどんな経を唱えたのかね?」
 湿った腐葉土に足を滑らさないように、注意して細い山道を下りながら、後ろから恨みがましいことを言う通念に行長は訊いた。
「・・経ですか?」
「そんな状況なら普通、経文を口にするだろう。おまえは、山門で修行をしている身でもあるしな」
「そこまで気が回りませんでした」
「そこまでとは何だ。それが第一義だろうが」
「そうですけど・・」
「生仏どのは、おまえのそんな未熟さを面白がって、二度までもからかったのではないのか?」
「そうでしょうか?・・」 
「あきれたやつだ・・」
 行長は苦笑した。生仏がからかってみたくなる気持ちも分かる。しかし、疑うことを知らない通念の若さが羨ましくもあった。たおやかな若さゆえに、その無知さえもが輝いて見える。
「そうだ浄月さま、生仏どのといえばあの人も今、京の町へ下りてきているはずですよ。確か、そんなことを言っていましたから」
「生仏どのが京の町へ? また何用で?」
 後ろを振り返り、行長は訊いた。目の不自由な身で山を下りるのは、余程の用なのだろうが、一体何事でと思ったのだ。
「なんでも木曾義仲どのと巴という女人の詳しい事情を、大谷の法然上人さまの寺院にいる知り合いに尋ねにまいる、とか言っていました」
 通念は最期の方を、生仏の口振りを真似て言った。
 苦手だと言いながらも怖いもの見たさというのか、通念は行長の用事以外でも生仏のいる別院に寄ることがよくあった。無意識ながら、彼の語り口の面白さに惹かれているのかも知れない。
「大谷の法然上人さまのところへの・・」
「そうです。信濃の武士の出なので、そのお人なら事情に通じているかも知れないらしいのです」
「・・・」
 行長には思い当たるふしがあった。月の夜に琵琶を弾いていた生仏との経緯を通念から聞き、かねてより彼に興味を抱いていたこともあって、別所へ足を運び、会いに行ったのである。
 行長の興味を惹いたのは生仏の声音だった。地声はよく響く美声なのだが広い音域も持っているように思えた。傍目にもその語り口は人の気を惹きつけるものがあり、今書き進めている平家の語りを、彼にやらせたらどうかと考えていたのである。
 それを確認するためには、生仏の人となりを自分の目で知る必要があった。それと、通念を震え上がらせるほどの語り部であれば、是非、自分の耳で平治か保元の戦の一場面を聞いてみたいと思って彼を訪ねたというわけだった。
         
残暑も和らいできた八月も半ばになった頃、行長は青蓮院の慈円を訪れ、帰路、そこで頂いたお茶請け菓子の点心を手土産に叡山黒谷の聖の別所を訪ねた。聖というのは何かの事情で家を出て、比叡山や高野山で仏道修行をする所謂、半官半俗の求道者たちで、全国各地から集まって来ていた。
 乱世である。事情のある者は数知れなかった。大半は悲惨な末路を辿り、傷付いたりとはいえ、まだ恵まれている者だけが聖となることができた。
 別所が山門の僧坊と異なる点といえば、良くも悪くも活気があることだった。色々な土地の言葉が飛び交い、些細な教典解釈の相違さえ、言葉尻を捉えての喧々囂々の議論が始まる。各自の価値観、特技も様々だから諍いも少なくはなかった。度々ある朝廷への強訴や武士たちとの小競り合いに備えて武道に励む者も多く、道場からは威勢のいい気合いが木霊している。
 生仏はそんな喧噪から逃れるように、そして丁度、通念が彼の琵琶を聞いたときのように、暗い木立の中で琵琶を抱えて座っていた。違うのは大事そうに琵琶を抱えて、ぽつねんと、林の奥の方から聞こえる小鳥の囀りを聞いている様子らしいことだった。印象は以前にチラッと見かけたときと変わらず、年格好は行長と同じぐらいか少し若く見える。 
 キリッと締まった精悍で端正な顔立ちをしていた。
「山雀ですか、啼いているのは?」
 行長は声をかけて、生仏の座っている場所へ近づいた。
「どなたでしょう?」
 生仏は振り向いて言った。
「私は吉水の大懺院でやっかいになっている中山行長という者で、僧名を浄月、今は山門の別院にいますが、少しあなたとお話がしたくてな、やって来ました」
「・・浄月さま? 私に何用でしょうか?」
「お互いに、固い言い回しは無しということにしましよう。私は、はぐれ者の無官の身です。遠慮は無用に願いたい」 
「・・では浄月どの」
生仏は人差し指を自分の口に軽く当ててから、その指を林の方に向けた。
「山雀もいるのだが、奥の方で懸巣のやつが山雀の啼き声を真似ているのですよ」
聞き耳を立てるような仕草で、生仏が言う。
「へえ、そんなことがよく聞き分けられますね。驚きました。私にはどれが懸巣の声か分かりませんが・・」
 小声で、行長が言った。
「懸巣は物音の真似までやりますからな、恐れ入りますよ」
「通念という若い修行僧の弁によると、いつぞやの夜の崇徳院の声音は、とても生仏どのの声とは思えなかったと言っておりましたから、そのあなたを感心させるとは、懸巣も大したやつですね」
「おお、おう、あのお人の知り合いだったのですか? あのときは少し調子に乗り過ぎました。よしなにお伝え下さい。まあ、お座りになりませんか?」
 生仏は、恐縮するように頭を下げて言った。 
「いえ、彼にはあれくらいが丁度いい薬です。それよりここに来たわけですが」
 そう言って、行長は生仏の側に腰を下ろした。
「そうだ、それを訊いていたんだった。で、私に何用ですか?」
「実は私は平家を書き上げようと手掛けていて、あなたに語りをやっていただこうと以前から漠然とは思っていたのですが、何もかもがまだはっきりせず、その意味では時期早尚なものですから、話を持ってくることが出来なかったのです」
「・・・」
「時期早尚とする理由は三つばかりあります。一つ目は、私の書いている話が何か今一つ物足りないのです。話自体は問題ないのですが、実はそれこそが問題で、保元の語りや平治の語りの亜流でしかないという思いが強いのです。つまり、二番煎じですな。異なる戦ですからそれはそれで悪くはないにしても、気に入らないのです・・」
 それが手掛けている自分の平家語りに対する率直な思いだった。
 しかし、開けっ広げに自らの創作の難点を他人に語るなど、普段の行長では考えられなかった。ましてや生仏と言葉を交わしたのは今が最初なのだ。考えられなかったが、それが平家を共にやろうとしている故なのか、或いは生仏の人となりが自然にそうさせたのかは判然としなかった。
「行長どの、あなたは自分ははぐれ者だと言われましたな。だとすると、原因はそこら辺りにあるのではないでしょうか」
「・・?」
「二番煎じは、恵まれた環境にある御仁のやることです」
「・・・」
「はぐれ者には、はぐれ者だけが持つ意地のようなものがあります。それが凡庸を許さないのでしょう」
「・・・」
「かく言う私もはぐれ者です」
「・・・」
 行長は返す言葉がなかった。生仏は鋭い感性で、たった一言で行長の悩みの根本を言い当てたようだった。それは同時に、生仏自身の心情をも余すことなく語っていると思った。
 行長は、やはり平家を琵琶で語らせるのは彼をおいて他にはいないと決断した。問題は自分が書いている平家である。生仏に語らせるに値するところまでは、まだ到達していない。はぐれ者の意地というなら、大袈裟ではなく、たとえ命と引き換えてでも自分の納得のいく平家を書き上げねばならないのである。
 墨染めの法衣を纏った二人の男は、長い間、無言で座っていた。
 それは、友としての醸成の時間を要求されているかの如く静かで、木立の中の小鳥たちの囀りだけが耳に衝いた。
「時期早尚という二つ目の理由は何でしょう?」
 生仏が先に長い沈黙を破った。
「二つ目ですか? これは、それ以前の問題ですが・・」
「何ですか?」
「源氏の者たちの様子がはっきり掴めないのです。皆というわけではないのですが、義仲の女人だという巴のことなど語らねばならないのに、今のところはさっぱり分かりません。ま、これはまだ先の段ですし、詳しく知っている人を探して訊けば済むことですから」
「そうですか。私も東国の出ですから、分かっていることならお話しましょう。それに、別所におる者は殆ど地方から来ていますので、お尋ねの件を見聞きしているやも知れません。私が彼らに訊いてもよろしいですが・・」
「それは有り難い。是非、お願いしたい」
 渡りに舟と、行長は頭を下げた。
「三つ目は?」
 生仏は、三本の指を見せて訊いた。
「それはもう解決しました」
「と、言われると?」
「琵琶語りを誰にするかということでしたが、やはりあなたです」
「・・・」
「私は漠然とあなたが適任だろうと思ってはいましたが、よく存じ上げないこともあって、今ひとつ決めかねていました。だから、こうして訪ねて来たのです」
「・・・」
「私の見る目は間違ってはいなかったようです」
「それは・・、有り難く、この上なく嬉しいことです」
「問題は私の平家ですが、これは必ず解決します。それより、できれば通念が聞いたという保元か平治物語のさわりを聞かせてくれませんか?」
「語りをですか?」
「そうです。でも私は怖がりですから、崇徳院はご勘弁願いたいですな」
「承知しました」
 生仏は初めて笑い、言った。
「それでは、平治の常磐の部落のさわりを少し・・」
 生仏は軽く頭を下げて座り直し、琵琶を弾いた。
「袂は〜曉のォ故郷のォ涙にィ〜しほれ〜つつゥ〜、習わぬゥ旅にィ〜朝立ちてぇ〜、野路もォ山路もォ見えわかずゥ〜、頃は〜二月ゥ十日なりィ。寺々の〜鐘の音〜、今日もォ暮れぬとォ〜打知らせェ、人をォとがむる〜里の犬ゥ〜、声すむ程にィ〜夜には〜なりぬゥ。柴折りィ燻る〜民の家ェ〜、煙たえざりしもォ〜田づらをォ隔ててェ遙かなりィ〜」
 琵琶を弾きつつ、生仏は延々と語った。
 行長は聞き惚れていた。
 聞き惚れながら脳裏の片隅で、これほどの語り部なら必ずや、満足のゆく平家物語を語るだろうと思った。平家の興亡には様々な色合いがある。誉れ、奢り,企て、畏れ、そして哀しみと、ありとあらゆる場面を、この生仏なら臨場感をもって語るだろうと確信させるものがあった。 

        (二)
「見事でした・・」
 平治のさわりを語り終えた生仏に、行長は正直な感想を言った。 
「抑えどころも的確だと思いましたが、声と節回しに何とも言えない味があります」
「平家をつくるというあなたに気に入ってもらえてよかったです。というのは、平家の語りがあればいいのだがと、常々私も思っていたからです」
「ほう・・」
「この頃は、保元や平治はもう流行りません。どこで語っても、平家はないのか? と皆に訊かれる始末です。」
「そうですか、いや、そうでしょうな。皆が平家のことを知りたいと思うのは分かる気がします」
 行長は肯いた。天下分け目の大戦が終わった後では、その前の小規模な戦の語りは霞んでしまうのも無理はない。
 平氏が壇ノ浦の海に滅んで二十五年。鎌倉の地に新しい源氏の幕府が開かれて源氏の天下となってみれば、あれほど憎み、嫌った平家一門を懐かしむような声さえ聞こえてくるのである。いわく雅やかだった、華があった、宮廷の有職故実にも通じていた等々、相槌を交わして頷き合う事柄が必ずしも全て的を射ているとは思えないが、東国の武士たちに対し、野暮で宮廷のことは何も分かってはいない、という腹いせ代わりにはなった。
 むろん、腹いせばかりではない。平家一門とは結局はどういう人たちだったのか、彼らはどう戦ったのか、また、どのように滅んでいったのかを聞きたがる人々は多かったのである。いわば、滅び去ったものへの郷愁といってもよかった。
「行長どのが平家語りをつくって下さるなら、日頃の願いが叶うというものです。是非、一節たりとも早くに身に付けたい。どうか、宜しくお願いします」
 生仏は頭を下げた。
「そうでしたか。あなたがそれほど熱心に平家を望んでおられたとは知らなかった。それなら私にとっても創る励みになるし嬉しい。是非とも、皆が喜ぶ平家を創りましょうぞ」
「心浮き立つことのない世の中だと思っていたのに、今はどうしたことか、気持ちが逸りますの」
「私もですよ」
 行長は生仏の手を取り、力を込めた。
「そうと決まれば、生仏どの、山門の方に移りませんか?」
 互いに離れていては話にならない。行長は言葉を繋いで言った。
「山門には大懺院の者が便宜上使っている別院がありますので、そこに移ればいい。黒谷よりは落ち着けるでしょうし、平家の語りを覚えるのも、此処では如何にも不便だ・・」
「分かりました。それが出来るのなら移りましょう」
 生仏は頷き、二つ返事で承諾した。 
「通念に書状を持たせて、慈円和尚にその旨の了解を得るつもりですから問題はありますまい。青蓮院の戻り道に此処に寄り、あなたを山門へ案内をするよう彼に言っておきます。早速、四、五日後には移れるように手配をしましよう」
「心得ました。そのように心づもりをしておきます。何、琵琶一つが持ち物ですから、用意することとてありませんが」
「宝物は、お持ちではないですか?」
 軽口のつもりだったが、生仏は真面目な面持ちで大きく頷いた。
「私たち琵琶法師は、常に身の危険に晒されておりますからの・・」
「・・・」
「谷間に落ちる者もいますし、丸太の懸け橋から滑り落ちて溺れ死ぬ者もいます。追い剥ぎにも遭えば、親切そうに近づいてくる人に欺かれて持ち物を攫っていかれることもあります。人並みに物を貯め込むことなど、出来はしません。その日その日を食べられて、何とか生きてゆければ、それで十分有り難いと思わなければならないのが私たち琵琶法師ですからの・・」   
「つまらないことを言いました。許して下さい」
 生仏には負い目を感じさせるものが全くなかったので、つい口から出た軽口だったが、行長は通念が話していた生仏の背中にあったという太刀疵を思い出して、その背負っているものの重さを今更のように知った。
「いいのですよ。生きてゆく辛苦は何も私たちだけではない」
 生仏は頭を振り、笑った。
「背なの太刀疵ですが・・」
 行長の心の内を察したのか、生仏が続けた。
「通念どのから聞いていると思いますが、この疵はまだ私が法師となる前のものでしてな」
「・・・」
「その頃、私の家は土地の境のことで他家ともめていて、夜襲を受けたのです。親類縁者皆集まっていましたが、不意打ちだったので焼死したり討ち死にしたりで、落ち延びた者とてそんなにはいないでしょう」
「・・・」
 彼は武家の出だったのかと思い、行長は問わず語りに話す生仏に黙って頷いて、耳を傾けた。

生仏は名前を佐木為久といい、上野の国に生まれた。源氏の傍流の家系で、祖父の時代に吾妻に小さな領地を得て、一族縁者が集まってその地を開墾したのである。
 同じ頃、隣接する土地にこれも源氏を標榜する小笠一族がいて、互いに水源の所有権を主張して争い、譲らなかった。
 鎌倉の新幕府に訴訟を願い出ても埒があかず、源平、奥州遠征と戦い慣れした双方の百姓、郎等たちは、死者こそ出ないものの、何かにつけて小競り合いを繰り返していた。ところが遂に、為久の叔父の嫡男が相手方数人に斬り殺されるという事件が起きたのである。
 直ぐさま知らせが届き、夕方には武装した叔父、佐木善継の一団が為久の家にやって来た。馬上の善継は下馬もせず、
「息子の弔い合戦じゃ!」
 と、そのまま小笠の屋敷に攻め込む勢いだった。
 叔父の怒りは納まらず、明日にでも戦を仕掛けようと兄である為久の父、義久に迫り、他の親戚筋も続々と義久の屋敷へ駆けつけて来た。
 ところが、夜が明ければ攻撃を仕かけると決議し、佐木の一族郎等が一堂に会していた夜半、武力衝突は避けられないと判断した相手方に先手を取られて、夜討ちをかけられたのである。
 突然の鬨の声が上がったかと思うと無数の火矢が飛んできて屋敷のあちらこちらに突き刺さり、荏胡麻油と松脂の混ざった匂いが室内に立ちこめて、目の悪い為久にも、辺りが明るくなった気配を感じた。
「丸に三引きの紋じゃッ、小笠の手勢じゃぞーッ、囲まれてるッ! 応戦しろ!」
 誰かが叫んで屋敷内に飛び込んできた。
「おのれーッ! かくなる上は一人でも多く地獄への道連れにしてくれる!」
 男たちは抜き身の太刀を引っさげて表へ飛び出した。
 怒号と女や子供の悲鳴が飛び交う屋敷の内外にはみるみる間に火の勢いが広がって、燃え上がる紅蓮の炎が夜空を染める。
「為久さま〜ッ! さッ、こちらへ!」
 郎等の籐基が飛び込んできて煙に巻かれている為久の手を引っ張り、敵味方入り乱れて斬り合っている表へと連れ出した。 
「切り抜けますぞ! 」
 目の悪い為久も右手に太刀を持っていたが、気は急けど振り回せなかった。昼間の日の光りの下なら少しは見えたが、夜であれば敵味方の区別はおろか、人の姿さえ掴めない。
「おれは自分でやるッ、おまえは母者と妹たちを頼む!」
「屋敷はもう火の海です! とにかく離れないで下さいッ!」
 怒声と激しい太刀音が入り乱れ、為久も藤基も声を頼りに、手にした太刀を振り回した。何もしなければ標的にされ、むざむざ斬られるだけだった。
「そりゃーッ」
 そのとき、後方から誰かが襲いかかって来て、背中に重く熱い衝撃が走った。
 為久は右足を後ろに引いて振り向きざまに上げた太刀で、殆ど反射的に、背後の人物を上段から斬り下げた。太刀に頭を斬り割ったような手応えがあり、相手は悲鳴とともに倒れた。
「お見事ッ!」
 藤基が叫び、為久のために声を出し続けた。
「さッ! こちらへーッ!」
「おーッ!」
 燃え上がる火の手が巻き起こす熱風のせいか、体が熱かった。斬られた背中の血が大量に尻から足へと伝い落ちて括り袴の裾に溜まり、あたかも履物に柔らかい糊を詰め込んだかのようにグチャグチャと足が滑った。力が抜けていくような気がしたが、それでも藤基の声のする方へと為久は夢中で太刀を振り回した。
 太刀を振り回しながら、遠くで妹たちの悲鳴を聞いたような気がした。
「もう駄目だ! 藤基ッ、おまえは一人で落ち延びろ!」
 気が遠くなって倒れそうになる意識の中で、為久は最後の力を振り絞って叫んだ。
「いけません! さッ、もう少しです!」
 藤基が戻ってきて血に染まった為久の体を抱きかかえた。藤基の肩に体を預けて、おぼつかない足で、為久は気力だけで前に進んだ。
「林に入れば闇に紛れます! しっかりして下さい!」
                     
 屋敷から遠く隔った場所にいるのかそれとも朦朧とする意識の故なのか、もう阿鼻叫喚の悲鳴も怒号も聞こえては来ない。
 静かだ、と思ったのが最後の記憶だった。
 再び意識を取り戻したときは寺院らしい所に寝かされていた。読経の声と香の匂いでそれと知れた。
(・・生きていたのか)
 為久に生への喜びはなかった。意識を失うときの静かで安らかな一瞬を思い出し、あのまま死んでいたらどれほど楽だったろうかと思うのみだった。肩口から背中一面に鋭い痛みがある。今となっては癒えることのないこれ以上の痛み、苦しみを背負って生きてゆかなければならない。
「気が付かれましたか?」
 枕元で藤基の声がした。
「ここは?」
「龍国寺です。もう大丈夫です。助かって良かった」
 龍国寺とは吾妻より碓氷寄りに位置する比叡山中山寺の末寺の一つで、天台宗に属している。信仰心の篤い義久は何かと力になり、浅からぬ縁を結んでいた。
「皆は?」
「無念ですが・・」
「そうか・・」
「昨日の朝早く、暗い内に屋敷に引き返してみました」
昨日といえば、既に事件から一日が経過している。
「焼けた屋敷の近くで、まだ息のある館さまを見つけました」
「父上は生きておられたのか?」
「はい。間もなく息をひきとられましたが・・」
「・・・」
「手負いながらも為久さまはまだご存命だと申し上げたら、大層喜ばれました・・」
「・・そうか」
「身罷る間際に館さまから、為久さまに伝えてくれとご遺言を承りました」
「・・・」
「もし命を長らえることが出来れば、武門を捨て、出家して仏に仕えよと」
「盲目の身でか? どのようにして経を読めというのだ?」
「耳で覚えよと・・」
 父らしい言葉だと、為久は痛みの中で苦笑した。言うは易くだ。目明きに闇の世界にいる者の気持ちは分からない。何処の誰が、知りたい経の全てを根気強く読み聞かせてくれるというのだ。
「武門の身であれば命のやりとりは避けられない。一代は安泰でも子、孫と続けば必ずや悲運の憂き目に遭うと申されまして・・」
「・・・」
「比叡山の西塔中山寺に寂良という僧侶がいるので、その坊を訪ねよとのことでした。龍国寺を通じて年毎に何某かを寄進しているので、彼の僧なら力になってくれようと申されました」
「そうか・・」
「比叡山といえば、この寺で琵琶法師を見かけたのですが、彼の法師も七月には比叡山に戻ると言っていました。後三月ありますので、為久さまがお望みならですが、傷が癒えれば法師に同道してもよいかと。むろん、私も一緒に参ります」
「・・・」
「今すぐ決めることでもありますまい。先ずは傷の養生が肝要です」
 獅子奮迅の働きで為久の命を救ってくれた藤基は、気働きでもそつがなかった。ただ、その働きに報いてやれない身の上が恨めしい。
「それから、館さまの太刀を預かって参りました。これです」
 為久は疲労を感じていたが藤基が思い出したように言い、為久の手を取って膝元の太刀を握らせた。
 それは月丸という太刀で、祖父が大陸から渡ってきた名工といわれる刀鍛冶に特別に造らせたものだった。家宝とも言える名刀で、父、義久は一族の存亡を決する大事にその太刀で戦ったものと思われた。
「これは、おまえにやろう・・」
 為久は太刀の柄頭を藤基の膝の上に置いて言った。
「えッ、私にですか?」
「我が一族には、最早この太刀を受け継ぐ者はいない。私は盲目で、まして仏に仕える身となれば、このようなものは必要ない。これは、おまえが働いてくれたことへの恩賞だ」
「・・有り難き幸せッ。この藤基、命より大事に致しまする!」
「大袈裟なやつだ。命の方を大事にせい・・」
 為久は、藤基が喜んでいるのが嬉しかった。
 寺の鐘が鳴り始めた。
「もう、暮れ六つです・・」
 藤基が言った。
 為久は頷き、鐘の余韻に誘い込まれるように、また深い眠りへと落ちていった。

        (三)
 七月になり、龍国寺に滞在していた琵琶法師が比叡山へ戻る日がやって来た。
 為久の背中の傷も少しは癒えて、龍国寺の住職に別れを告げた後、三人の男は吾妻から群馬の里に下りて碓氷の里に入り、東山道の碓氷峠へと向かって京を目指した。
 三人とは琵琶法師と藤基、それに為久である。為久たちの目的地は比叡山であったが、法師にとっては比叡山に戻ると表現はしても、そこは数ある逗留先の一つでしかなかった。
 法師の旅は比叡山から上野の国に至る各地を訪ねるいわば巡業だから、急ぎの旅ではなく、着くのは来年の春辺りという呑気さであった。
 それを知り、藤基は、
「私たちだけで、さっさと行きますか?」
と言ったが、為久は法師に従いて行くことにした。
 法師の実際の生活を知るには良い機会で、加えて彼から学ばなければならないことは山ほどあったからである。
 為久に出家の決心がつかず京へは上らない事態も考え、法師は旅の道案内に他の者を予定していたが、その者の都合もあって、結局三人の旅行きとなった。
 琵琶法師の名は香山といい、盲目にしてはよく喋る三十五、六年輩の陽気な男だった。
 十四、五の頃から目がわるくなった為久と違い、香山は生まれてこの方光明を知らなかった。上野の割合裕福な商家の三男に生まれ、十二歳のときに比叡山の系統の寺に入って修行した後は、各地を巡り、声明などの仏教儀式に従事したり軍記を語って聞かせることを生業としていた。
 為久には意外だったが、琵琶法師は人々に人気があり、どこでも歓迎された。都や各地の珍しい話を面白可笑しく語ってくれるからである。人々の知り得ない情報を運んで来るばかりか日頃の乏しい娯楽にも寄与するとなれば、むしろ人気のない方が訝しいくらいで、為久は自分の不明を恥じる思いだった。
 人通りのある辻に座って琵琶を弾けばたちどころに周りに人が集まったし、有力者の屋敷に逗留すれば下にも置かない歓待を受け、その家人は言うに及ばず、親類縁者までが遠路も厭わず駆けつけてきた。香山が話の中で喋る怪しげな京言葉を聞いただけで、集まった者の間からは溜息とも歓声ともつかない声が上がるのである。
 為久が驚いたのは、香山は他人の口真似というか物真似をするのも上手かったことだ。
 人の癖を瞬時に掴んで自在に声音を真似て見せた。それは人の物真似に留まらず、峠の山道では小鳥の啼き声を発して鳥たちを集め、その名前を教えてくれた。
 いずれにしても香山は為久の琵琶法師に対する認識を新たにさせただけではなく、その魅力をも十二分に見せてくれたのである。人々がこれほど喜んでくれるのであれば、琵琶法師としての生き方もわるくはないかと、為久はいつかそう思うようになった。
 その琵琶法師香山は、道すがら、一時も黙ってはいなかった。
「口から先に生まれて来たのでしょう・・」
 藤基は閉口していた。
「私らは喋るんが商売ですんでの。喋らんではよう商売にならァしまへん。私が喋るんは言うてみりゃ日々の精進で修行ですよってに、勘弁してくれなィよ」
 香山は口数の多さを訳の分からない地方言葉の言い訳で煙に巻いたが、彼の調子の良さを煙たがる藤基と違い、為久には道中の気晴らしになった。一族が皆死に絶えたばかりの者には、無言の道行きの方が一層辛い。
「いやー、藤基はんもその若さでお館さまでっか。大した出世やおまへんか。いや、羨ましい」
 一番後ろを歩いている香山が、藤基に嫌みを言った。
 最初は先導する藤基が香山の差し出す杖を握り、真ん中の香山が後尾の為久の杖を握って縦列に並んで歩いていたのだが、藤基は真後ろにいる口の減らない香山を煩わしがり、為久と香山は順番を入れ替わって香山が一番最後につくことになった。疲れを軽減するために、途中で三人を繋ぐものを杖ではなく腰紐に変えたのだが、並ぶ順番は同じだった。
 しかし、それで香山の口数が減るわけでもない。以来、為久をはさんで、二人の嫌みな言葉が飛び交った。
 香山が藤基をお館さまと言ったのは、為久が佐木の領地を龍国寺に寄進した形にして、その保護のもとに土地の管理を藤基に任せたからであった。名目は龍国寺でも、実質的には藤基が所有する領地となる。龍国寺には名目料としての何某かを、年に一度、収穫の後に納めればよかった。
 藤基の家は代々から佐木に仕え、為久の命を救って彼の父、義久の最期を見とったとなれば、彼に領地を継がせるのに何の躊躇もなかった。藤基は十八歳とまだ若いし、嫁を娶って親類一同の力を得れば、藤基の器量なら百姓たちの人望を集めることも可能で、土地を守っていくことは出来ると踏んだのである。
「主家、佐木の土地を守る、ただそれだけの話だ! 喋るのが商売ならそんな戯言でなく、もう少しましな話が出来まへんのか」
 藤基は、香山の言葉尻を真似て言い返した。
「そうでんな。ほな、どないな話が聞きとうおますのんか? 言うとくれなはれ」
「どないな話も聞きとうないわィ。おおそうじゃ、唐、天竺の向こうにはまだ他の国があるというが、彼の国の言葉でその様子を語ってもらいとおます」
「年は若いのに、えげつないお人でんな」
 香山は嬉しそうに高笑いをして言った。
「ほな、為久はんに覚えてもらうためにも、保元の戦でも語りますか」
 外国の言葉については無視し、香山は朗々と保元の戦を語り始めた。

 三人が吾妻を旅立ってから東山道を碓氷峠、佐久、松本平と上って、美濃の手前の阿知に着いた頃は既に二月が経過していた。
「ここの峠越えが一番難儀なとこよってに、気ィを引き締めてかからなあきまへんで。死ぬ人も仰山おますからの」
 香山はそう言って信濃坂と呼ばれる神坂峠を越える前日、近くの安布知神社に参詣して安全の祈願をした。安全祈願は難所に差しかかる度に行っている彼の仕来りなのだが、この度は特に念入りに祈った。
 東山道には大体四里毎に駅家が設けられていたがこの峠だけは例外で、険しい上に次の美濃の駅家までは十里もの距離がある。
 信濃坂は東山道最大の難所といわれ、行けども行けども尽きない五千尺余りの高い山道を、一昼夜以上もかけて登るのである。香山の言う死ぬ人もいるという意味は、例えば先を急ぐあまり、体調も思わしくないのに無理をして峠を越そうとすれば必ず途中で行き倒れてしまい、人の助けは期待できないということだった。
 峠を旅する者は、誰もが自分の身のことだけで手一杯なのである。
 満月を待って逗留先の寺で入念な旅支度を調えると、三人は明けきらない夜の内に出立した。途中までは寺の使用人が見送ってくれたが、そこから先は灯火のない道行きとなる。
 藤基は右手に杖を持って月明かりを頼りに歩いた。自分は夜目が利くからと、藤基はあまり用も成さずに煩わしいばかりの灯火をこれまでも用いることはなかったが、牛馬も通れる六尺道とはいえ、山中に入り、樹木の葉枝が頭上に被さって月明かりも遮られる登り道に差しかかると、さすがに足取りは遅くなった。
「夜となると、目明きは不便でおますなァ」
 この場に及んでも、香山の口は減らない。
 山の冷気が身に凍みた。遠くは日本武尊、近くでは源義経といった強者たちも辿った信濃峠も今は静かに眠り、香山の口数が途絶えると、落ち葉を踏みしだく自分たちの足音だけがやけに耳に衝いた。
「こういう山深い峠道は昔から死人の怨霊がよう集まるよってに、気ィ付けなはれや」
 香山が言った。
「気味の悪い声を出すな。足元に気を付けるだけで精一杯じゃ! 怨霊の心配ならおまえさまがせい。仏に仕える身ならば当然の務めだろうが。もし怨霊が出たら、おまえさまの責任だぞ。へぼ法師めが・・」
 口では強がっても藤基の声色には不安が滲んでいる。相手が人間の敵であれば勇猛果敢に戦う猛者も、やはり怨霊だけは苦手らしかった。
「しーッ、後ろから誰か来る・・」
 と、後尾の香山が、為久の腰と自分の腰を繋いでいる紐をぐいッと引いた。
「こんなときに、面白くもない悪ふざけは止せ!」
 藤基が舌打ちする。
「悪ふざけじゃおへん。誰か後ろから登って来てまっせ・・」
「・・・」
 三人は立ち止まって耳を澄ませた。
「馬のごとおますなァ・・」
「何も聞こえないじゃないか!」
 藤基が言ったが、為久にも聞こえなかった。
「いや、確かに登って来てる。もう少しすれば分かりま」
 香山の耳は確かだった。その音は間もなく為久の耳にも届き、続いて藤基も認めた。
「一頭だけじゃないな・・」
「五、六頭はいてまんな。ここまで来るにはまだ間ァがおますよって、隠れて様子を見る方が得策でんな」
 為久に答えて、香山が言った。
 香山の言う通りだった。盲人二人を含む三人連れが夜中に、馬に乗った五、六人の男たちと無防備に遭遇するのは利口とはいえない。
 三人は道端の茂みに隠れて息をひそめた。
「今、松明の灯りが見え始めましたぞ・・」
 藤基が言った。
「灯りはいくつだ?」
「えーと、五つ、少なくとも五人連れです」 
「・・もう、声を出したらあきまへんで」
 香山が声を落として言った。
 男たちは声高に喋り、ゆっくりとした歩調で馬を進めながら近づいて来た。笑い声も聞こえる。
「確かに久々の獲物じゃった。懐にたんまりと宋銭を孕んでいる獲物にはそうそうは出会えんからのう」
夜の静寂に男たちの会話が明瞭に伝わってきた。
「広拯院に着いたら、二、三日骨休めをして下りるか」
「そうしましょうぞ。重次のやつの足の傷も少々深手のようじゃから。あそこなら傷に効く草薬もある」
「それしきの傷で音を上げるようじゃ、おれたちの仕事は務まらんぞ!」
 男たちは茂みに潜んでいる三人に気付かず、前を通り過ぎて行った。
「盗賊ですな、あれは・・」
藤基が囁いた。
「広拯院いうたら、このずーッと先にある阿知側の宿でっせ。二、三日泊まる言うてたから、わてらと出会すことになりまんなァ・・」
「引き返すわけにもいかんしこんな山中に留まれもしないとなると、後日、身ぐるみ剥がれる羽目になるやも知れんな・・」
 為久は溜息を吐いた。
「冗談じゃありませんよ。頂いたこの大事な太刀を、盗賊ごときにむざむざ盗られるわけにはいきません。何、五人の人数なら、斬って捨ててやります」
「頼んまっせ。わても懐のお宝を盗られるのは惜しゅうおますからな・・」
 香山は銭に目がなく、いつも可成りの額を腹に巻き付けていた。藤基は大切な太刀を背中に背負い、香山は銭を懐にしている。盗られて惜しいものがないのは為久だけだった。今は命さえもそれ程惜しいとは思わない。
         
「それからどうなりました?」
 行長は身を乗り出すようにして生仏に訊いた。
「何、造作もありませんでしたよ。奴らは都へ馬を運ぶ旅人を装って宿に泊まっていましたが、広拯院にも屈強な男たちは沢山いますでの。藤基と一緒に彼らの寝込みを襲って縛り上げ、それでお終いです」
「ほう・・」
「捕らえた盗賊は、ひと頃あの辺りを荒らし回って武士たちに征伐された残党どもで、また勢力を盛り返そうとする矢先だったようです」
「どのような輩だったのですか?」
「元はといえば、租や庸の重税を嫌った逃亡者や浮浪者が一団となって盗賊に鞍替えしたもののようですの」
「そうですか。それにしても、命知らずの盗賊どもをよくひっ括れたものです」
行長は、感心して訊いた。
「いえいえ、広拯院は峠を越える旅人のための宿とはいえ、伝教大師(最澄)が開基なされた、いうなれば天台宗の寺院のような性格もありますからの。荒行を重ねた修行僧たちにかかっては、いくら命知らずの盗賊どもとて、ひとたまりもありませんよ」
「そうですな・・」
 行長はさもありなん、と合点した。自分の知っている比叡山の僧たちを見回してみても、荒くれぶりでは引けを取らない者たちばかりである。
 理屈を捏ねる頭脳と荒行を通して生み出される強靱な精神と肉体、その上闘争本能も盛んとなれば、度重なる彼らの強訴に頭を抱える朝廷の気持ちも少しは分かる気がする。
「それはそうと、香山という法師は面白い人だったのですね」
 行長は、傍らの生仏に言った。
「面白い人でしたの。そして天性の語り部でした。私は彼の人からどれだけ多くのことを学んだか計り知れないほどです。一番学んだのは悦びでしようかの」
「悦び?・・」
「そうです。盲人にも悦びがあるのですよ」
「・・・」
「琵琶法師は人を楽しませるのが生業です。いわば、楽しもうとする人たちに囲まれているのが琵琶法師です」
「その通りですね」
「行長どの、私が知った悦びの深さが如何ほどか、想像できますか?」
「いえ・・」
「盲目でよかったなァ・・と、しみじみ神仏に感謝ができるほどの悦びです」
「!・・」
「それを教えてくれたのが香山法師です」
「私はあなたこそが天性の語り部だと思っていますが、そのあなたが感心するのですから、やはり香山法師もかなりなお人なのですね」
「いえいえ、私などは彼の法師の足元にも及びません」
「香山法師が、生仏どのの師匠ということですよね?」
「そうです。私たちの比叡山までの旅はゆっくりした行程でしたのでな、保元や平治の戦の語りもすっかり会得することが出来ました。のみならず、小鳥の鳴き真似や鳥寄せ、それに山猿の声に至るまで様々な技も修得したのです。法師や私がそれらの声音を騒がし気に発したり軍記などを声高に語って歩くので、人々がぞろぞろと一緒に従いてきたものです」
「それで、香山法師は今は何処に?」
 それほどの話術を持つ琵琶法師なら、叡山にいる自分の耳に噂が届いても良い筈なのにと思い、行長は訊いた。
「亡くなりました。丁度、十年前の今日でしての。私は師を偲んで林で啼く小鳥たちの声を聴いていたという次第です」
「そうでしたか。それはお気の毒なことでした。今日が命日とも知らず、私は折角のところを邪魔したわけですね。申し訳ないことです」
「いえ、いいのですよ。今日という日にあなたとお会いして、こうしてお近づきになれたのも、香山法師のお引き合わせでしようの。有り難いことです」
 生仏は合掌して林の方に頭を下げた。
「で、亡くなられたわけは?」
「美濃で、連れのお人と共に盗賊に襲われたそうです。藤基が知らせてくれたのですが、彼の嘆き様は私以上でした」
「二人は反発し合っていたわけでもなかったのですね」
「言葉とは裏腹に、互いに惹き合っていたのでしょう。上野に下ったときには、必ず藤基のところへも寄っていたようですから」
「そうでしたか」
「その藤基も今は元気でやっているようです。私の一族が反目し合っていた小笠一族とも和睦して、その上、民百姓も増えているようですから、我が一族より彼の方が器量が一枚上ということでしょうかの」
 時の経つのを忘れていた生仏の問わず語りも終わり、行長は深い吐息をついた。
 人との出会い、それも一族の滅亡という悲しみを一時でも忘れさせ、盲人の辛い障害を越えて悦びを与えるほどの出会いは、そうそうあるものではないだろう。 
(彼の人の庵を訪ねてみよう・・)
 生仏の話を聞き、行長は決心した。為久における香山のように、行長にも、自分の納得する平家物語を書き上げる上で力を与えてくれるかも知れない人物の心当たりが一人だけあった。桑門の蓬胤(鴨長明)である。人嫌いで遁世し、誰とも会わないと言われているだけに、訪ねることを躊躇っていたのである。
(神仏に感謝する悦び・・)
 行長が望むものは、平家を書く悦びだけだった。 
          
  夜の虹

        (一)
「蓬胤さまを訪ねて、必要なものは得られたのですか?」
 背後から、また通念が訊いた。
「得られた・・」
「では、重い荷を担いでやって来た甲斐がありましたね。鹿ヶ谷は、荷物もないし帰り道だから気が楽です」
「そうだな。しかし、生仏どのが京へ下りたとなると・・」
 鹿ヶ谷へは向かえない、と行長は思った。
 生仏が叡山を下りて大谷の法然上人の法門に知り合いを訪ねたというのは、行長が源氏のことを知りたいと彼に話したことが原因だと思われる。信濃の武士だったという僧に会うと通念に話したのなら、それしか理由は考えられなかった。 
「山科から醍醐道を経て大谷に寄ってみよう。生仏どのが大谷を訪ねているとなると、そっちの方が先だ」
 行長は蹴上を経由して鹿ヶ谷に寄るのを止め、醍醐道を行くことにした。
 下山のときには、入洛する誰かがついでに生仏の杖先を持ってくれたかも知れないが、目的も異なり予定も立たない帰路を、同じ人物が道案内に立ってくれる保証はない。せめて戻り道には生仏と同道しようと考えたのである。
「分かりました。また、雨にならなければいいですが・・」
 通念は素直に頷いて、言った。
 空は曇っていて今にも降り出しそうな模様だが、来る道とは違い、背中の荷物を濡らさないようにする心配からは解放されている。ただ懐には、昨夜の明け方近くに書写した方丈の記を入れているので、この紙束だけは濡らすわけにはいかないと行長は思った。青蓮院で都合して蓬胤の庵まで背負ってきた穀物にも気を遣ったが、行長には懐の紙束も、平家物語の質を高める上で大切なものだった。
「大谷も今は大変なときで、生仏どのの訪問が首尾良く行っていればいいのですが、どうなのでしょう?」
「・・どうかな」
 行長は頷いた。
 通念の言葉の意味は、専修念仏の浄土宗は現在、朝廷の命によって二人の僧が斬首され、法然や親鸞も配流の身となっていて、法難の真っ只中にあるということを指していた。
「法然上人の帰洛を嘆願する動きもあるようだが、まだ決まったわけではなさそうだし、留守を守る僧たちも神経質になっているやも知れんな・・」
 行長は通念に答えて言った。
 法然は人望も厚く、七十八歳の高齢であることから、懇願の動きが出ても不思議はないが、如何せん朝廷の頭痛の種である山門が反対勢力とあっては一朝一夕にはいかない。
 三年前の法難は、弟子の住蓮と遵西が後鳥羽上皇の熊野参詣の留守中に宮廷の女官と浄土礼讃声明を行い、二人の女官が出家したことが上皇の怒りをかって風俗壊乱の罪に問われたのが直接の理由だった。だが元々、南都北嶺と称される興福寺や比叡山延暦寺などの旧来勢力が、新興勢力となりつつある浄土宗を弾圧する動きと密接に関連していたのである。つまり、旧来勢力は浄土宗を叩く機会を虎視眈々と狙っていて、二人の女官の出家は願ってもない口実となったのだ。
 法然やその高弟が配流されたからといって弾圧が終わったわけではない。相変わらず浄土宗への敵対状態は続いていた。山門(比叡山延暦寺)から訪ねてきた生仏が歓迎されるか否かは微妙なものがある。法然の留守を預かっている僧たちが寛大に対処してくれることを行長は願った。
 その留守を預かり、事実上教団を統率している高弟は称弁(法蓮院信空)といい、行長の実の兄であった。兄とはいえ称弁は十二歳のときに出家し、歳も一回り以上違うことから世間でいう密接な兄弟意識はなく、浄土門の高僧というほどの認識だったが兄弟であることに違いはない。そういう状況だから、目の悪い生仏が苦労して訪ねても、けんもほろろに追い返されたらと考えると、行長の心は痛んだ。
「生仏どのは東国の武士だったお人を訪ねると言っていましたけど、嘗て浄土門にいた熊谷直実のような剛の僧がまだ大谷にいるとすると、山門の誰かが下手に手を出せば痛い目に会うかも知れませんね」
「いや、それはない」
 行長は、若い通念の問いかけを否定した。
 延暦寺対興福寺、延暦寺対圓城寺、金峯山対多武峯、興福寺対東大寺と、僧門同士の血生臭い抗争は数あれども多勢に無勢である。もしも山門や南都の僧徒といざこざを起こせば、彼らにまた格好の口実を与える結果となって浄土宗は一気に踏み潰されてしまう。 
 そんな事態になることを怖れ、六年前に山門僧徒が蜂起して専修念仏の停止を求めたときに、法然は他力本願の優位性を説く行為を門下に戒め、七箇条制誡を連署して当時の天台座主、真性に送っている。兄の称弁はその執筆役を務め、法然に次いで、二百名近い僧の一番最初に署名をしていた。
 山門と浄土宗との軋轢のとばっちりが、苦労して山を下りてまで訪問した生仏の身に及ぶとすれば、浄土宗の責任者たる兄を持つ行長には辛い立場だった。

 ぐずついていた空も醍醐道を下りて東大路通りに出る頃になると雨が落ち始め、大降りではないものの二人は背負っていた蓑と笠を纏い、東大路を北に向かった。
 路上には、洛外から品物を運んでくる荷車や、野菜などの籠を頭に載せて売り歩く女たち、それに、小袖単のつまを壺折にたくし折った壺装束の婦人などが、雨に追い立てられて急ぐ姿が目につき始めた。
「生仏どのとうまく会えるといいが・・」
「そうですね。でも、確か私たちの二日後ぐらいに山を下りると聞いていますから、だったら今日が大谷を訪ねる日になるので、時間さえずれなければ会えるはずですけど」
 しかし二人の望みは外れた。
 昼過ぎに大谷の庵に着いたときには、生仏は既にそこを辞した後だった。事情を聞いてみると、生仏は昨日やって来たのだという。
「それで、琵琶法師は目当てのお人との懇談が適ったのでしょうか?」
 応対に出た僧に、行長は一番気になっていたことを訊いた。
「はい。法師は昨日の午後と今日の昼前まで滞在し、お帰りになりました」
「で、宿は、当庵で?」
「はい」
「それは、ご配慮いただき大変有り難うございます。実は、法師は私の知っている者でしたので・・、ご厚意に感謝いたします」
 行長は頭を下げた。
「昼過ぎに発たれたとすると、急げば追いつきますね」
 通念が言ったが、兄に挨拶だけはしておきたかった。
「法蓮院信空さまにお会いしたいのですが」
「生憎外出中で戻るのは夕方だと聞いていますが、お待ちになりますか?」
 正座の僧は丁寧に答えた。
「いえ、立ち寄ったので挨拶をと思っただけですので、また改めて出直しましよう」 
「そうですか」
 礼を述べて、二人は大谷の庵を後にした。兄もそうだが、生仏の後を追う必要がなければ、彼が懇談した信濃の武士の出だという僧にも会ってみたかったが、今はそんな余裕はなかった。
「生仏どのは多分、東大路を北へ行っていると思いますから、すぐに追いつけなければ鹿ヶ谷の山荘には寄れないですね」
「うむ、先ずは東大路を行ってみよう・・」
 目のわるい生仏が比叡山に戻るとなると、辿る道は東大路以外は考えられないから、急げば必ずどこかで追いつくはずだった。
 小雨がそぼ降る中を二人は急ぎ足で歩いた。
「あれは、そうじゃありませんか?」
 通念が指差した琵琶法師らしき人物のいる辻は、左に折れて鴨川を渡ればもう御所というところで、さすがに人影も多く、宮廷の役人や公家たちの姿もちらほら見えた。法師は墨衣を纏い、菰にくるんだ琵琶を背負っていて、その年格好から遠目でも生仏だと判断できた。
 琵琶法師は牛車の脇の役人らしい男に頻りに頭を下げていた。
「どうしたのでしょう?」
 通念は眉をひそめて言った。遠巻きにしている七、八人の野次馬もいて、何か災難に巻き込まれているようにも見える。二人はその場所へ急いだ。
 琵琶法師は案の定、生仏だった。
「どうされましたか?」
 息を切らして辻にやって来た行長は、烏帽子直衣の、身なりのいい役人と思しき人物の背後から声をかけた。
「どうもこうもありませんえ。この法師はあたしの衣の袖に泥を塗りはったんや」
 背中で答えるそのねちっこい、癖のある喋り方には覚えがあった。宮廷の文官で蝶門こと田村兼良の顔が脳裏に浮かんだが、はたして、こちらを振り向いた顔は蝶門だった。
「あれ、五徳はんやおへんか。珍しゅうおすなァ。お元気でいてはったんどすかァ?」
 蝶門は大仰な声を上げ、行長の爪先から頭の天辺を舐め回すように見た。  
「蝶門どのもお元気な様子で。で、どうされたのですか。泥を塗られたとか?」
「そうですのや、見ておくれやす。泥まみれやおへんか、この袖!」
 悲鳴じみた口調で、蝶門は自分の右袖を行長に広げて見せた。
 確かに泥は付着しているが、大袈裟に騒ぎ立てるほどでもないのにと思い生仏に目をやると、彼はどこかで転んだらしく、墨衣の片側が、尻から袖口にかけて泥にまみれていた。
「事情は分かりませんが、この法師は私の連れですので、この場は私に免じて許していただけませんか?」
「大事なお方のお供をして、神楽岡の歌会に出なァいけまへんのに、これじゃ出れまへんえ、えらい迷惑や。五徳はんも、お連れなら、もうちょっとしっかりしてもらわな、なあ?」
「申し訳ないことです・・」
「もう、よろし・・」
 蝶門は渋い顔で言った。
「ところで、聞きましたえ。あんた平家物語を書いてはるらしいなァ。実は、あたしも書こう思うてますのえ。競争どすなァ?」
 話を変え、蝶門は、にやりと笑って言った。
「平氏のことやったら、あたしにも詳しい知り合いが仰山おますよって、楽しみどすなァ。ま、精々おきばりやす。そやけど平家物語は、二つは要りまへんえ」
 捨てぜりふのようにそう言うと、言っていた大事なお方を迎えに行くのか、蝶門は牛車の暖簾を巻き上げて、向かいの屋敷へと早足に去って行った。
「転んだのですか?」
 行長は生仏に訊いた。
「はい、この先で転んで付いた泥が、今のお方とぶつかった折に、その袖に付いてしまったようです」
 蝶門が去った後、遠巻きにしていた二、三人の野次馬が近づいて来た。
「おまえさまがぶつかったんじゃなく、今あの屋敷に入っていったお人がよく見ないで牛車から後退りしたんじゃ。向こうがぶつかったんじゃ。わしは見とった!」
 一人の野次馬が言った。
「さ、あそこの軒を借りて泥を払いましょう」
 声をかけた野次馬に会釈し、生仏の肩を抱くようにして、行長たちは狭い間口に塩鯖やその他の干物を並べている店屋に移動した。右京と左京には、七条に沿ってそれぞれ大規模な東市と西市とがあったが、そこに入れない商人や地域の利便性という事情から、京の町には許可を得ていない店舗も点在している。
 行長たちは魚屋の女房に、暫しの雨宿りを請うた。
「災難でしたね」
「あの方は、行長どのとお知り合いでしたか?」
 生仏が訊いた。
「はい。部署は違いますが宮廷での同僚で、と言っても向こうが位は上でしたが」
「いけ好かない人でしたね」
 通念が口をはさんだ。
「宮廷にいるのは、あんな人たちばっかりじゃないのですか? いえ、浄月さまは勿論違いますけど」
 慌てて後の方を修正して、通念は照れくさそうに笑った。
         
 雨が強くなった。
 辻を行き交う人々は括り袴の裾をたくし上げたり、袖で額を覆うようにして雨宿りの軒先へと駆け出した。
「自分からぶつかっておいて相手を怒るなんて、一体なんて人なんだ」
 通念は店屋の女房に頼んで水を満たした桶と襤褸切れを借り、生仏の衣の泥をふき取ってやりながら憤懣やる方ないのか、まだ文句を言っていた。
「生仏どのも良くないと思います。相手がよく見ないで後退りしたのだから、なにもあんなに何回も頭を下げて謝ることはないのに」
「おいおい、もういい加減にしないか。後退りしたかどうかは、生仏どのには見えないではないか」
 行長が言った。
「じゃ、前からぶつかったと言うのですか? 相手が前からぶつかったとしたら、尚のこと向こうが悪いじゃないですか。向こうはちゃんと目が見えるのだから。後退りでぶつかったとしても相手の不注意、いずれにしても、生仏どのが謝る筋合いではないはずです」
「通念どのはお若いから、正義感が強いがのう・・」
 苦笑して生仏は天を仰いだ。
「正義は強い者の論理だから、弱い立場の者には使えないのじゃ。役に立たないものは使えない、使わない、これが私の立場での。したがって私が頭を下げていたというわけじゃな」
「でも・・」
 言い返そうとして、通念は言葉に詰まった。
「通念、おまえは相手に非があると思ったのなら、何故、蝶門どのに直接そのことを説かなかったのだ? それに蝶門どのに非があるなら、生仏どのを責めるのは筋違いだろう。まして、今言われたように、生仏どのはおまえより弱い立場にあることを忘れてはいけない。おまえに出来ない主張を生仏どのに求めるのは無理というものだ」
「はい。でも・・」
 返事はしたものの、納得はできないらしい。
「でも、今のお人は、自分も平家を書くと言っていましたよね。まだ書いてもいないのに平家は二つも要らないなんて、よく言えたものです」
 通念は文句の矛先を替えた。
「あの人がどれほど文章の達人かは知らないけど、浄月さまの平家には適わないですよね?」
「さァな・・」
 行長は通念の若さに苦笑した。
 平家の語りが二つ、或いは三つ四つあったとしても、それは行長にとってはどうでもいいことだった。蝶門が優れた美文の書き手であることは承知している。彼ならば華やかで勇壮な平家を書くだろうと行長は思った。しかし、自分は自分の納得する平家を書き、それを自分が語ってもらいたいと望んでいる生仏に語ってもらう、これが全てだった。蝶門の言うように他の書き手との競争でも闘いでもない。強いて闘いというならば、それは自分との闘いなのだ。自分に妥協しない、渾身の力で書く、それだけが納得できる平家を書くための唯一の道だった。
「あと、何ですか、浄月さまを五徳だなんて。もう宮廷を辞しているのに、まだあんな古い侮蔑の言葉で呼ぶなんて、どうかしています」
 身贔屓もあって、通念の腹立ちは納まらないようだった。
 自分が五徳の冠者と呼ばれる羽目になった経緯は、通念には話していない。考えてみれば、世間を捨てて山里に遁世した蓬胤さえもがその事情を知っていた。彼は、雀百まで囀り止めずと諺をもじったが、どうやら知らないのは自分だけで、五徳の冠者の噂は宮廷内はおろか、山門の隅々にまで行き渡っているらしかった。
「雨が止むのを待っても仕方がない。遅くなるばかりだから出立しましょうか?」
 行長は笠と蓑を脱いで生仏に渡した。
「行長どの、それはいけません。私は既に濡れていますからの、蓑は必要ない。琵琶さえ濡れなければ、それでいいのですから」
 生仏は菰に巻いた背中の琵琶を、まるで負ぶった子でもあやすように、後ろ手に叩いて見せた。
「私の蓑を行長さまに着ていただきますので、生仏どのは蓑を着ればいいですよ。私は若いから雨など平気です」
 言って、通念は自分の雨具を脱いだ。
 生仏を苦手だとか何とか言いながらも、通念は結構彼のことを気にかけているように見える。それは、生仏が話していた香山と藤基との関係を彷彿させた。
「じゃ、そうさせてもらうか」
 行長は言い、通念の蓑を受け取った。
「すまないのう、通念どの」
 生仏は通念に頭を下げた。
「気にすることはありません。私は鬱陶しい蓑を纏うよりも、いっそ雨に濡れて歩く方がかえってさっぱりしますから」
通念が生仏の杖先を握って前を行き、行長は生仏と並んで歩いた。
「木曽義仲どののことを尋ねに、大谷に参られたそうですね。通念に聞きました」
「はい。山を下りる別院の者に言伝を頼んだら、大谷の都合の良い日が昨日だったというわけでしてな」
「私が、義仲どののことが分からないなどと愚痴めいたことを言ったばっかりに、とんだ苦労をおかけしました」
「いいのですよ。平家が語れると思うと、気が逸っての。こんな気持ちになるのは久方ぶりです。行長どのも下山されていたんですな?」
「平家の助けになればと思って、人を訪ねたのです。蓬胤というお人ですが、お陰で気に染むものが出来そうです」
「と言われると、私と最初にお会いしたときに聞いた、もう一つ足りない何か、が得られたというわけですか?」
「そんな気がしています。山に戻ったら早速取りかかりますから、あなたに伝え始められるのも、もうすぐです」
「それはそれは。時期早尚だと言われたが、時は満ちたというわけですな」
 生仏は破顔して、行長の方を向いた。

        (二)
「さすがに都は賑やかですよね。こんな雨だというのに、あそこでも喧嘩をしている!」
 北へ少し歩いた頃、行長に振り向いて、通念が顎をしゃくった。
 目をやると、成る程、真っ直ぐに続く東大路の向こうの辻で、五、六人ぐらいが濡れ鼠になって乱闘をしているようだった。それを見ていると、上から下に至るまで、今の時代が軋轢と抗争に明け暮れる世だということを、つくづく思い知らされる。
 本来なら異常であるはずのものが日常茶飯事となり、異常が常態となっている。
「僧のようですが、強いですね!」
 つまり、喧嘩をする者がいたとしても、どうしてそうなったのかには関心は向かず、どちらが強いかが気になるのである。理由に関心がないのは、どうせ些細な原因だと決まっているからで、騒々しい世相の所以もそんなところにある。
「あらッ、太刀を抜いた!」
 通念の歩みが、心持ち速くなった。
「見物している暇はないぞ」
 異常を見て無関心になれるのも、抗争の世ならのことである。
 人数が人数だから遠目には徒党同士の喧嘩かとも思ったが、どうやら笠と蓑姿の大勢で、寄って集って墨衣の者に挑みかかっている様子だった。僧も手にした長い錫杖の金輪を鳴らし、負けじと一人で暴れ回っている。
 その現場に近づくにつれ、僧が相手にしているのは青侍だと分かった。脇には牛車が止まっていて、牛飼いが牛の鼻輪をしっかり握って不安そうに見守っていた。
 状況から判断すれば、牛車に乗った公家を警護する青侍と僧との間でいざこざが起こり、それが物騒な乱闘へと発展したものらしい。
 僧は、前から斬りかかってくる太刀を錫杖で弾いたかと思えば後ろの者を突き、今度は横に振り回す。
 まるで飢えた狼が羊の群を襲っているように見えるのは、蓑の群れと一つの墨衣の色合いによる想像の産物かも知れないが、人を斬ろうというのに、侍たちが笠と蓑を着たままなのもどこか気合いに欠け、及び腰に映った。
 一方、それほど大男でもないのに三十年輩と思しい僧はめっぽう強い。
 瞬く間に青侍たちを叩きのめしてしまうと、泥水の中で七転八倒したり脇腹などを押さえて蹲っている者たちを勝ち誇るように見下ろして、仁王立ちになった。
 そして何を思ったのか、僧は足蹴にしていた青侍の太刀を拾い、次いでそのもとどりを掴んで刃を当てた。
 しばらくそのまま牛車の方を見やり、やにわに、
「情けをかけてやろう。良く覚えておけッ!」
 と大音声を響かせて、もとどりを切るのを思い止まるように、僧は太刀を投げ捨てた。
「やるもんですねえ・・」
 通念はすっかり感心している。
 僧は、相手側の後日の仕返しを抑え込む予防策として、もとどりを斬ろうとする演技をしたなと行長は思った。
 大音声は言ってみれば、おまえたちには貸しがあるぞと公言したもので、多分彼は、青侍たちは勿論だが、牛車の中から様子を窺っているはずの人物にしっかりと申し渡したつもりだろう。借りのある相手に手は出せない。しかも多勢に無勢である。文句のつけようもなく、行長は僧の暴れ得と読んだ。僧はなかなか強かで、場慣れしているようだった。
 行長たちは彼らをやり過ごして側を通り抜けようとしたが、驚いたことに、その僧は行長たちに気付いて、親しげに近づいて来たのである。
「やあ、生仏どのではないか。なんだ、連れがおられたか。わしはおまえさまと下山した僧に事情を聞き、戻り道に困るだろうと、大谷へ向かっていたところでしたぞ」
 と、その僧は言った。何と、生仏を知っているようだった。
「ところが途中で、歌会場所へ急ぐからという理由で、青侍どもに無礼な言いがかりをつけられての、往生、往生!」
 何ごともなかったように、僧は笑ってみせた。
「どちらが、いいがかりをつけたのやら・・」
 生仏も笑って受けた。
「行長どの、通念どの、この乱暴者は黒谷の聖の別所にいるお人での、私が比叡山に移ってからは、折々、訪ねて来てくれるのです」
「わしは西乗房慶雲。上総の出で、こんな僧形はしていても経は知らず、喧嘩以外に取り柄とてなく、生きてゆくのに苦労していますわい」
 慶雲は率直な質らしく、初対面にもかかわらず、開けっ広げな調子で言った。
「それならお互い様です」
 行長は、会釈を返して言った。同じく僧形をとってはいるが、経を知っているわけでも僧位僧階を持っているわけでもない。比叡山に拠点は置いても、いわゆる官制の僧とは端から道筋が違っていた。だが多くの優れた僧が比叡山に失望し、聖となって野に下っているのも、また事実だった。新旧入り混ざって混沌と先の見えない時代、人の心も確かなるものを求めて彷徨っていた。
「連れがおられるなら、わしはお役ご免か。まァ、またお会いしましょうぞ!」
 慶雲は踵を返し、錫杖を鳴らしながら洛中の方へと歩いて行った。
「何か、すごいお人ですね・・」
 溜息混じりに、通念が言う。
「でも、どこか寂しそうに見えませんか?」
「そうかな・・」
 行長は、通念の問いかけに曖昧に答えた。
「絶対にそうですよ。一見磊落に振る舞っておられるようですが、彼の人の内面は、外観とは違うと思います」
「多かれ少なかれ人には挫折があるようですからの、案外、通念どのの言うことも当たっているやも知れませんな」
 生仏は、そのときは詳しく話さなかったが、雲慶の挫折の内容を知ったのは比叡山に入り、それも大分経ってからのことだった。 

 雨も小降りになり、降ったり止んだりの状態で、時は既に深夜を回っていた。晴れていれば十五夜で、夜空は意外に明るく、足元も漆黒の闇というほどではなかった。
 しかし、山中の危険な道では少しの油断が転落死につながる。
 今は口数も少なく、三人は殆ど無言で歩いていた。
 そのとき生仏が、
「東順さまが、この上を行かれているようじゃ・・」
 と、呟くような小声で言った。
「えッ?」
 行長が顔を向けると、
「ほら、聞こえて来るでしょう?」
 と、今度は足を止めた。     
 息を殺すようにして耳をそばだてると、なるほど、上の山中から幽かな読経の声が聞こえた。読経がする辺りには寺院も大きな道もないはずだがと思っていると、
「千日回峰行をされているのですよ」
 と厳かな口調で生仏が告げた。
「五年になり、七百日目も近いと聞いております」
 行長も話だけは聞いたが、行の読経を直に耳にしたのはこれが初めてだった。
「五年ですか・・」
 さすがに身が引き締まる思いがする。三人はしばらくその場に佇んで、その幽かな読経に耳を澄ました。
 千日回峰行は過酷を極め、雲霞の如く猛者のいる山門の僧といえども、誰もが二の足を踏む行だった。行は七年間を通して千日間、雨の日も風の日も、むろん、それが年内に消化する日に当たれば、極寒の雪中であろうと、一日七里半(三十キロ)から十五里(六十キロ)の山道を、経を唱えて一人でひたすら歩き続けるのである。
 行は最初の三年間は一年で百日。四、五年目は二百日で、七百日を満じた後は護摩堂に籠もって九日間を不眠で断食、断水して念誦修法に専念する。六年目は十五里を百日歩き、九百日からの最後の七年目は大回りとなって、洛中、洛外、毎日二十一里の道程を歩きつめ、その後、今度は山上山下七里半の行に入る。
 行の日の睡眠は一刻(二時間)、病気になろうが怪我を負おうが、完遂するまで止めることは許されない。一日でも行を休み、満行日数に届かないときは初めからやり直し、途中で投げ出せば死で償う掟であった。
 少々精神と身体が強いぐらいの程度では達成が不可能なのは、成し遂げた者の少なさと、死者ばかりが多い結果が証明していた。意を決して行に臨んでも、四年、五年、六年と進む内に、志半ばにして死んでしまうのである。転落死、凍死、衰弱死、病死と原因は様々だが、圧倒的に多いのが自死だった。つまり、目的を達せられずに首を吊ったり、刃物で喉をかき切って自殺するのである。
 安心決定、それが僧の求める仏の境地だった。その境地に辿り着きたいが故に、死にものぐるいの修行を続けるのである。経を読んで歩き続けた行の果てに出会うのが絶望とは言葉も無いが、比叡山には、そんな彼らの死に場所がそれこそ無数にあった。
 日頃、腕自慢で鳴らして大口を叩く僧や、少しばかりの知識をひけらかす癖のある僧は、千日回峰行の話になると口をつぐんでこそこそ逃げ出してしまう。自分の言っていることと、行の実体とがあまりにかけ離れているために、さしもの僧も恥ずかしくなって消え入るのである。
「もう八年ぐらいにはなりますかの、杜秋という僧が千日回峰行に入られたことがありましてな。昼間に会った慶雲どのも、その方の行に従いて歩いたのです・・」
 生仏が言った。
「二人で行を行ったのですか?」
 驚いて、行長は訊いた。
「いえ、二人では出来ません。慶雲どのは一人で誓いを立て、杜秋さまとは距離をおいて、彼と同じ日、同じ時間での行を行ったのです」
 生仏が答える。 
「また、どうしてそのようなことを?」
「会ってお分かりのように、慶雲どのは昔から腕自慢で鳴らしていました。ある時、ある僧と口論になり、おまえでも千日回峰行は出来まい、とその僧に言われましてな。折しも、翌日は杜秋さまが行に入られる初日でして、慶雲どのはそれなら自分もと、同時に行に入ったというわけです」
「ほう・・」
 行長には興味深い話であり、三人は路傍に腰を下ろした。
「慶雲どのは一人で誓いを立てたのだから、口論をした僧にも行のことは口にせず、丑の刻(午前二時)に無動寺を出られた杜秋さまの後を従いて、黙々と行を続けたのです」
「・・・」
「それは四年も続けられました」
「・・・」
「その頃にはもう、慶雲はどうやら千日回峰行をやっているらしいと皆の知るところとなりましたが、慶雲どのは違うと言って取り合いませんでした」
「どうしてですか? 半ばも過ぎ、もし達成すれば名誉なことではありませんか」
「どうしてかは分かりませんが、公言しての行でもなく、また名誉などとは関係のない、純粋な修行だと彼は思っていたのかも知れませんの」 
「それから?」
「四年目の冬、雪道を歩いていて足を滑らせ、谷に転落したのです」
「慶雲どのがですか?」
「そうです」
「・・・」
「あまり深い谷ではありませんでしたが、それでも足を骨折して動けず、極寒ということもあって慶雲どのは意識を失いました」
「・・・」
「先を歩いていた杜秋さまは、その頃はもう既に、慶雲が自分の後を従いて行をしていることは知っておられましたがの、慶雲の姿がないので引き返されたのです」
「見つけたのですか?」
「はい。瀕死の状態でしたが、どうにか近くの寺院まで彼を負ぶって帰り着きました。慶雲どのは危うくのところ、杜秋さまに命を助けられたのです」
「・・・」
「しかし問題は、その日が、四年目の満行である二百日目に当たっていたことです」
「ということは、杜秋さまは行を中断されたことになるのですか?」
「はい。その年の満行はなりませんでした」
「では、また行は最初からやり直しということですか?」
「はい・・」
「なんと・・」
「・・・」
「それで、慶雲どのは?」
「ほどなく足の怪我は治りましたが、彼の嘆き様は大変なものでした。自分のために杜秋さまの大事な行が台無しになったのですからな、それは言葉にも尽くし難いものだったでしよう。行の苦しさは、四年もの月日を従いて廻った自分が一番良く知っていますからな」
「・・それで?」
「慶雲どのは、また、杜秋さまの後を従いて廻り始めたのです」
「・・・」
 行長は深い吐息を吐いた。

        (三)
 杜秋の命をかけた大事な行の邪魔をするという大失態を犯しながら、何故、慶雲はまたも同じことをやろうとするのか、それは慶雲しか知り得ない深い心の闇であった。
 足を引きずりながらも、ようやく歩けるようになった慶雲は、最初の内は、無動寺本坂と、東塔から明王堂に至る杜秋の辿る道筋で平身低頭して待っていた。
 夜の闇間に溶け込む石のように墨染の背中を丸め、一顧だにせず経を唱えながら通り過ぎる杜秋に向かって、地に平伏して無言の謝罪をした。
 やがて以前のように後を従いて廻るようになったが、慶雲にはもう修行をしているという気持ちも、口論をした僧の鼻を明かしてやろうという気もなかった。ただ、付かず離れず杜秋を見守り、自分を助けてくれたように、何か事故が起こったときには彼を助けようと思うばかりだったのである。
 春も過ぎて夏の青葉となり、秋の紅葉も落ちて、また極寒の冬が来た。
 二人は決して言葉を交わすことはなかったが、杜秋も人を介して自分の行の邪魔をしないでくれと慶雲に申し入れることもしなかった。
 それどころか、行を初めからやり直す羽目になった数日後から、杜秋は何かが吹っ切れたような表情になり、一心不乱に経を唱えて歩きながらもどこか余裕さえ感じさせ、慶雲の体調がわるいときなどは歩を遅らせたりもした。
 言葉を交わすこともなく、距離をおいて歩いているにもかかわらず、二人の間には、何時しか、通じ合うものが育っていたのである。
 千日の行が成った曉には、その行者は阿闍梨の位を得る。難行中の難行だけに、大行満ともなれば、京の人々は彼に手を合わせ、履き物を脱がずに御所に入れるほどの名誉を受けるのである。
 しかし、慶雲の不調時に歩を遅らせるという行為は既に一人の行を逸脱しており、誰にも分からないとはいえ、仏に仕え、修行中の身である杜秋の良心に適うものではなかった。
 それは阿闍梨の名誉はおろか、千日回峰行は最早破綻して、達成は不可能であることを意味していた。この先いくら歩きに歩いたとしても、杜秋の先に待っているのは失敗の掟、死だったのである。
 愚かな慶雲ではあったが、ある日、歩いていて突然にそのことに思い至った。
 全ては遅きに失し、今更自分が身を引いても、既に取り返しのつかない事態になっていることを理解したのである。杜秋はそれを承知しながら、自分が従いて廻っていることを黙認しているのだ。慶雲は地獄に堕ちたような衝撃を受け、暗澹たる気持になった。
 彼は動揺し、誰にも分からないのだから自分の存在は忘れてくれ、と叫びたかった。自分は勝手に行をしていて、偶々、あなたがわしの前にいるだけだと。
 だが、杜秋が誤魔化しと無縁の人間であることは、言葉は交わさなくとも、何年も彼の後を従いて歩けば分かる。
 自分の命と替えられるものなら、すぐにでも取り替えたかった。阿闍梨にもなれるお人が自分の存在によって死ぬなど、自分が死ぬより辛い。慶雲は、今ほど深い絶望を経験したことはなかった。
 取り返しがつかないとはこのことだ。自分は何と愚かな人間なのだと、自分を呪う言葉ばかりが胸に込み上げてくる。
「嗚呼、この世には神も仏もないのか! このわしの命こそ取れッ!」
 悔恨に苛まれ、感極まって止めどなく涙が込み上げて、歩きながら慶雲は子供のように声を上げて泣いた。滂沱と流れる涙を拭いもせずに杜秋の後に従いて歩く姿は、さながら、泣いて親を追う幼児同然だった。

 その日、前日からの吹雪が止まず、視界も遮られて行は難渋していた。慶雲は唯一知っている仁王経を一心不乱に唱えて、雪上に僅かに残る杜秋の足跡を追った。しかし、難を退け、徳を積むとされるが故に懸命に覚えた経ではあったが、何故か胸騒ぎばかりして、慶雲は杜秋の姿をとらえようと、深い雪を蹴散らすように進んだ。
 日吉大社から横川を抜け、西塔への道を登っているときだった。峰道の足跡は突然向きを変え、左へ折れていた。
 回峰道から逸れるのは、点在する寺院に立ち寄って礼拝をしたり、神聖な老木に手を合わせるために訪れるだけで、その他の理由は考えられなかった。いつもなら、真正面から行き合うのを避けてそのような脇道には入らず、少し下がった峰道に平伏して杜秋が戻って来るのを待つのが常だったが、足跡が向かっている先には寺院も老木もない。あるのは切り立った崖と、深い谷だけだった。
 胸騒ぎが当たったような気がして慶雲は青ざめた。
「杜秋さまァ〜〜ッ!」
 何度も足跡を確かめた後、見誤りではないことに気も動転し、谷に向かって杜秋の名を絶叫した。
 声の限りに名を呼びながら谷へ続く獣道を探し、慶雲は転がり落ちるように谷底に下りた。倒れた慶雲の上に熊笹の雪がドサッと降りかかって体を覆い、掻き払おうと泳がせたその指先に、杜秋の白装束が引っ掛かった。杜秋は、半身を雪に埋めてすぐ目の前に横たわっていたのである。
 慶雲は夢中で杜秋を抱き起こして、顔の雪を拭った。
「杜秋さまッ! しっかりして下されッ! 死んではなりませんぞ〜ッ!」
 杜秋の身体は冷え切り、既に呼吸も止まっていた。頭を抱くと、固いはずの頭蓋骨は異常に柔らかく、慶雲は戦慄した。
 兎にも角にも谷から出ようと杜秋を背負ったが、背中に異物を感じ、杜秋を一旦下ろして白装束の懐を探った。懐からは短剣が出てきた。そしてよく見ると、装束の腰には丈夫な麻紐が幾重にか巻き付けてある。慶雲は麻紐を解き、杜秋の脇の下に通して、子守の子を背に負うように自分の背中に縛り付けた。
「頼みます。死なないで下され!」
 おろおろとはしながらもどこから力が出るのか、慶雲は杜秋を背負って無我夢中で崖の獣道をよじ登った。
                   
「そんなことがあったのですか・・」
 大きな溜息を吐いて通念が言った。
「千日回峰行とは斯くも厳しい修行でしてな、単に心身が強いだけでは達成は不可能でしようの。聞くところによると、達成されたお人は、誰もがその過去に重い何かを背負っておられるようですの。その重いもののために自分を捨てて挑むからこそ、自分の力以外の加護も賜るのでしょうかな・・」
「辛い行を経て、はじめて見えてくるものもあるのでしょうか。修行の経験のない私などには分かりませんが・・」
 行長は生仏の言葉に頷いて、言った。
 比叡山の修行は、むろん千日回峰行だけではない。五、六人で行う通常の回峰行も言語に絶する厳しさで、足袋も履かずに道なき雪中を行く修行は、帰り着いてみれば一人足りないといわれるほど、途中で命を落とす者の数も知れなかった。
 命の安い世相とはいえ、これ程の難行を積んでも目指す境地には容易に辿り着けないのである。題目を唱えるだけで成仏出来ると説く法然の浄土宗は、このような難行は全く必要ないとするが故に、山門の反発もある意味では当然ともいえた。 
 突き詰めて考えれば、それは脈々と受け継がれてきた伝統の行そのものを真っ向から否定し、延いては比叡山の存在まで疑問視する危険を孕んでいるのである。勿論、比叡山で修行し研鑽を積んだ法然は、そのような山門の行が駄目だとは微塵も言ってはいない。それならば、修行の出来ない一般の衆生は、弥陀の本来の念願には添えないではないかと言っているのである。山門との関係に於けるその矛盾こそ、法然の苦悩であった。
「それで、杜秋さまはやはり亡くなられたのでしようか?」
「はい」
 生仏は、行長に頷いた。
「遺体を背負って無動寺に辿り着いた慶雲どのは、そこで、杜秋さまの身に付けられていた一通の手紙を見つけたのです」
「・・・」
「手紙は慶雲どのに宛てたもので、絶対に自分の後を追って死んではならないと書かれていました。実はその手紙を見るまでは、慶雲どのはすぐにでも自分の命を絶とうと決めていたのです。手紙を見たことを、慶雲どのは大層口惜しがりました」
「そうでしょうね・・」
「手紙は大分以前に書かれたものらしく、よれよれだったそうですが、杜秋どのにとって、一見、修行の邪魔だてになったかのような慶雲との出会いこそが、自分を真の行に目覚めさせてくれたと記されていたそうです」
「ということは・・」
「杜秋さまは、慶雲どのに感謝をされていたのです」
「・・そうですか」
「むろん、慶雲どのには、慰めにもなりませんがの」
「あのゥ、仮にですけど、慶雲どのが正規の手続きを踏んで千日回峰行をしていたならば、足を骨折したときに行は中断し、掟に従えば、死ですよね」
 通念が口を挟んだ。
「年間の満行日数に届かなければ、そういうことになりますかの・・」
「じゃ、足が折れても、七里を歩けということですよね」
「そうですな」
「そんな無茶な、不条理じゃないですか」
「無茶で不条理だと考えるお人は、最初からやりませんな。背負っているものがあまりにも重過ぎ、そんなことは無茶でも不条理でもないと思っているお人のみが、行に臨むのでしょうの」
 生仏は、通念の若者らしい言い様を可笑しそうに受け流したが、もし彼の目が不自由でなかったとしたら、生仏も千日回峰行に挑んだかも知れないなと、行長はふと思った。彼の言う背中に背負っている重荷とは、一族が滅亡した自身の過去をこそ指しているのではないか。行長にはそう思えて仕方がなかった。
「慶雲どのは千日回峰行の不首尾で一度死に、次には杜秋さまの後を追ってまた死ぬべきところを果たせなかったわけで、当人には辛いことですね」
「相当に辛いことですな。特に、二百日の満行が欠けた頃から麻紐と短剣を身に付け、おそらく慶雲どのへの手紙も同じ頃に用意されたのだと思いますが、首を括るか喉元をかっ切る覚悟で杜秋さまが行に出られていたことを慶雲どのが知ってからは、尚更だっただろうと思いますの」
 生仏は行長に言った。
「死も含めて、全てを受け入れた上で尚、慶雲どのの歩調を思いやったとは、杜秋さまの真似は誰にでも出来るものではありませんね」
「強いお人というのは寛容で、大きいですの・・」
「私は、あまりにもお気の毒に思います・・」
 行長、生仏、通念、三者三様の感慨があった。

 三人は腰を上げ、また歩き出した。
 千日回峰行をしているという東順の読経は、もう聞こえなかった。おそらく峰道へ戻り、無動寺本坂を坂本方面へ下る道を辿っているのかも知れない。杜秋の話を聞いた後でもある。行長は、東順が無事に護摩堂の念誦修法を果たし、後の三百日を恙なく到達されることを祈った。
 杜秋のような人がいとも簡単に死なねばならぬこの世の仕組みは解せないが、少なくとも、理想を掲げる人と理想に殉ずる人の、両極端に位置する人たちはいるだろう。一方は饒舌で片方は寡黙。一方は腐りやすく、片方は絶対に腐らない。だが双方共に、人々を魅せる存在であることに違いはなかった。自らを腐敗させ、それを滋養に咲く花もあるのだ。
 そこが、底知れない人間の深いところだった。
 行長は、その人間の喜怒哀楽の果てを平家に織り込みたかった。果てにあるものは明かに諸行無常であると、今は確信している。
「通念、私は今日から早速平家の手直しにかかるから、出来上がったものは順次、生仏どのに読んで差し上げてくれ」
「はい。承知しました。楽しみです」
「私もだ。書く意欲が湧いてくるな」
「私も一字一句、全てを頭に叩き込みましょうぞ」
 各々、分担するところは違っても、平家の語りに関わる情熱は同じだった。背負っている重みを仏の御霊に昇華させようと千日回峰行に挑む僧のように、行長も、五徳の冠者と嘲笑われた過去を肥やしに、必ずや、その屈辱を平家の語りに結実させて見せようと心に誓った。
「こんなに夜も深いというのに、山猿どもが騒いでますな。きやつらも塒を替える日が近いかの・・」
 耳を澄ませるように首を傾げ、生仏が言った。
「私には聞こえませんが。何ですか、塒を替えるって?」
 訝し気に通念が訊く。
「猿どもが、場所を移動するのですよ」
「どうしてですか?」
「餌場との関わりですかな。兎に角、大移動をするのです」
「大移動って、山の猿、全てがですか?」
「そうです。比叡山にいる全部の猿ですな」
「でも、猿たちは二、三十匹で群れて暮らしているのではありませんか? 集団ごとの縄張りをつくっていると聞きましたが・・」
「何故だかは分かりませんがな、その縄張りごとの集団が集結しての、一斉に移動するのですよ」
「私も聞いたことがある。何でも山が動くようだとか・・」
「大嵐のように木々が騒ぎ、山が鳴ります」
 生仏が行長に言った。
「それほどのものなら、一回見てみたいですね」
 興味深そうに通念が言う。
「いけませんぞ。踏みつぶされますからの。勝ち鬨を上げて、七、八万の大軍が一挙に攻め込んで来るようなものですからな。そのときは建物の中に身を潜めて、ジッとしているに限ります」
「へえ、その日が近いのですか?」
「どうも、そのようですの・・」
 既に雨は上がっていた。通念は猿の様子を探ろうと辺りを見回して、頓狂な声を上げた。
「あれを見て下さい!」
 通念が、下方の山並みを指した。
「おうッ」
 思わず行長も声を出した。
「何事ですか?」
 首を伸ばすようにして、生仏が訊く。
「虹ですよ、虹! 夜なのに虹が出てる!」
「ほう、夜の虹ですか・・」
 三人は立ち止まり、しばし、我を忘れて佇んだ。
「嗚呼、生仏どのにも、見せて上げたい・・」
 通念が言った。
「分かりますよ。私の目にも、その虹は良く見えていますぞ・・」
「すごいなァ、綺麗だ・・」
 昼間の虹ほど鮮やかではないが、見えない反対方向の月明かりを受けて、夜の虹は山の峰にかかって淡い弧を描いていた。
 静寂で、幽玄な光景だった。
「吉兆ですな」
 生仏が言った。
「ならば、平家物語の幸先はいいってことですよね!」
 通念も、無邪気な声を上げる。
「そうですな。幸先は良いですぞ」
 通念と生仏は悦んだが、行長は、千日回峰行をしているという東順もこの夜の虹を目にしていることを念じ、行の励みにして欲しいと思った。
 平家物語は、面白いものを書けばそれでいいのである。面白ければ、喜ぶなと言っても人々は喜んでくれる。行長に吉兆は必要なかった。命をかけて修行をしている人にこそ、この吉兆を届けたい。行長は切にそう願った。
「よし、今日からは書きまくるぞ!」
 意を決したように行長が言うと、
「おう!」
 と通念と生仏は唱和し、拳を天に突き上げた。
                         

  狂気の群れ
 
        (一)
 方丈庵から戻ると、行長は早速、諸行無常の文字を頭の隅に置いて、平家の草稿を最初から修正し、加筆した。平坦な記述で、幾分地味なきらいがあった逸話を出来るだけ派手に色付けし、聞く者の耳を楽しませるようにしたのである。
 それは導入部の平家興隆の兆しを描く上でも、躍動する人物像へと生まれ変わる。
「殿上で忠盛どのを暗殺しようとは、宮廷の公家たちも恐ろしいことを企んだものですね。これは本当にあったお話ですか?」
 仕上がった殿上の闇討ちの段を読み終えて、硯の墨を擦り始めた通念が訊いた。
「暗殺の噂なら、本当だ」
 行長は、筆を休めて答えた。
 暗殺の企ては実際にあったことだが、宮廷の公家たちが本気で実行しようと目論んでいたかどうかは分からない。否、大いに疑問があるという方が真実に近いと思われる。何故なら忠盛を斬るまでもなく、昇殿を妨げさえすれば、それで公家たちの目的は達せられるからである。
 公家たちは、単に妬みや嫉みだけで忠盛の昇殿を阻止しようとしたのではなかった。 伊勢で力をつけてのし上がってきた清盛の父、平忠盛は、鳥羽院の断っての願いであった得長壽院を造り、千一体の仏像を安置した三十三間の堂までも造進したのである。この上昇殿を許してしまえば、鳥羽院の歓心を買うことは更に容易となって、経済力にものをいわせての、一族の引き立てに歯止めが掛からなくなるのを恐れたのだ。それが自分たちの階位の妨げになることは明らかだった。公家たちはそのような事情から、忠盛の失態を引き出すために罠を仕掛けたのである。
 罠とはいえ、これ以上簡単な罠もない。豊明の節会の夜に、公家たちが忠盛を謀殺しようとしている、と彼の耳に吹き込むだけでことは済むのだ。
「殿上での暗殺といえば、飛鳥の昔に太極殿で、中大兄皇子と中臣鎌足らに蘇我入鹿が殺害されましたよね。忠盛どのはこの例を知っていたでしょうから、自分も同じ目に遭うと思って、内心穏やかではなかったでしょうね」
「だろうな。入鹿は三韓朝貢の余興の宴で、鎌足たちに指示された芸人たちから体よく剣を取り上げられて丸腰にされたので、忠盛は殊更、太刀に執着したやも知れんな」
 行長は、頷いて言った。
 公家たちの真の謀略は、この忠盛の太刀への執着にあった。つまり、殿上に太刀を持ち込ませるために、暗殺の噂を忠盛に吹き込んだのである。後は殿上に太刀を持ち込んだという失態を騒ぎ立てるだけで、忠盛の昇殿は阻止できるはずだった。
 彼らの企てはうまく運んだように思えた。薄暗い灯火の元で、束帯の下にしどけなく差した鞘巻きの腰刀をキラリと引き抜いて、「武門の身なれば、危害に及ぶ者には容赦はせぬぞ・・」と氷の刃を見せた忠盛に、ジッと暗い眼差しを注いでいた周りの公家たちは、内心、雀躍していたことだろう。
 結局この目論見は、木刀に銀箔を貼り、真剣を擬した腰刀に替えた忠盛の知恵で躱されてしまったのだが、暗殺の噂も実に呆気なくここで断ち切れている。
 公家たちに本気で忠盛を殺害する意志があれば、執拗に第二、第三の計画を立てて実行するはずなのに、その気配すらない。これだけでも、暗殺が単なる脅しに過ぎなかったということが知れる。何より、鳥羽院の気に入られて昇殿を許された人物を、その晴れの舞台の殿上で斬り殺すなど、如何にも現実離れしていて荒唐無稽だった。
 敢えて強行するとなれば、当然、それに見合うだけの大義名分が必要だが、そんな大義名分は見当たらない。依って行長は、公家たちには暗殺の意志は全くなかったと結論付けていた。伊勢平氏の長である忠盛を斬れば一族平氏も黙ってはいないし、後の責任問題も絡んでくる。院のご機嫌伺いに汲々としている公家たちには、程遠い芸当だった。
 しかし、それでは平家の語りは面白くも何ともない。そこで草稿を修正して、暗殺は本気だったが、忠盛の郎等の左兵衛尉家貞が殿上の小庭に畏まって控えていたので、やむなく暗殺は中止されたと書き直したのである。これで、臨場感が盛り上がる。序でに、公家たちの事情には触れず、暗殺の動機は単に彼らの妬みということだけに留めた。
 正史とされる古事記や日本書紀にも、誇張や創作の箇所はいくらでもあった。大きな声では言えないが、入鹿の殺害時に三韓朝貢の式が執り行われていたかどうかも、陰では大いに疑問視されているのである。娯楽として人々に楽しんでもらう軍記の語りに、創作があっても悪いはずはなかった。
「それにしても、この段に出てくる公家たちは、皆、意地悪ですよね」
 通念が言わんとするところは、公家たちが酒宴の席で、伊勢産の素瓶の瓶子(徳利)に託けて眇の平氏である忠盛の身体の欠陥を嘲笑った箇所や、太宰府の政務を執る太宰権帥季仲卿が若い頃にその色黒さを嗤われ、黒ん坊と囃し立てられたことなどを指している。
「意地悪は彼らの最も得意とするところで、日常茶飯事だな」
 努めて冷静に、行長は答えた。
 取るに足らない些細なことでも大袈裟に騒ぎ立て、大事件にするのが彼らの習性である。それは、五徳の冠者だと哄笑されて宮廷を去る羽目になった自分が一番身に染みている。意図したつもりはないとは言わない。彼らのそんな意地の悪さを平家語りのイの一番に持って来て、結果として告発するような形になったのも、埋み火のように消えない意趣返しの表れかも知れなかった。
「そうですよね。生仏どのに袖を汚されたと怒った京の市中で会ったお人も、意地悪そうでしたからね。山門にも人間離れした変なお人は多いですが、意地悪よりもマシです。まだ分かり易さがあります」
「分かり易さ、か」
 大人びた通念の言葉がどこか可笑しかったが、気持ちは分かる。
「通念、墨は私が摺るから、おまえは東坂の分かり易い人のところへ、この殿上闇討ちの段を持っていって、読んで差し上げてくれ」
「えッ、生仏どのですか? 言い方が拙かったかなァ。あのお人は、全く分かり易くないです。よく考えてみれば、人間離れしたお人っていうのは、一番、分からないですよね」
 通念は苦笑いし、それから原稿を抱いて嬉々として出かけていった。
          
同じ大懺院の別院でも、生仏がいるところは、東坂の坂口早尾社を脇に逸れて少し下った場所にあった。広くはないが静かな環境で、黒谷の聖の別所とは隔世の感がある。吉水の本院から、希に、仏教関係などの調べものその他の目的で誰かが叡山を訪れて寝所として使われることはあっても、同居者というほどでもなく、二,三日も滞在すれば帰ってしまうので気兼ねをする相手とていない。
「さすがに行長どのだ。祇園精舎の段にも感銘したが、これもいい出来映えだのう。いや、面白い。通念どの、もう一度、通して読んでくだされ」
 殿上の闇討ちの段を聞いた生仏は、嬉しそうに一人頷きながら言った。
「はい。では、読みます」
通念は最初の原稿を手に取った。
「然るに忠盛、未だ備前守たりし時ィ、鳥羽院の御願、得長壽院を造進してェ・・」
 数日前、初めて生仏に祇園精舎を読み聞かせたときには、声も平坦で固い調子だったが、何度も読み返す内に通念も慣れてきて茶目っ気を出し、いつしか節を付けて朗読するようになっていた。生仏も琵琶を抱え、通念の心意気に同調して、間合いの息継ぎに琵琶を鳴らした。
 護摩堂に籠もって一心不乱に経を読む修行僧のように、座を立ったり休む気配も見せずに、二人は何刻もの長い時間をぶっ通しで平家に取り組んだ。
 生仏はおそるべき記憶力で行長の書いた平家の語りを頭に取り込み、自分のものにしていった。
 まさに人間離れしている、と通念は小さく嘆息した。自分の記憶力も悪くはないとは思うが、自分のそれとは全く問題にもならなかった。行長が生仏に一目置き、敬意を払っているように思えるのも宜なるかなだった。
 今、原文を読んでいる通念に合わせて、虚空に顔を向けた生仏が唱和している。遅れもせず、そして一字一句全く誤ることなく、生仏は最後まで唱和し終えた。
「会得されましたね。凄いもんです・・」
 通念は、祇園精舎を読み聞かせたときと同じことを言った。
「それでは、語って聞かせましょうかの」
 生仏は感歎する通念の溜息混じりの言葉には応えずに、姿勢を正すように座り直して琵琶を弾いた。
 通念は持っていた原稿を文机の上に置いた。
 唱和していたときとは別人のような口調で、生仏が語り始める。
 通念には褒美のような時間だった。聴衆はたった自分一人、気を入れた生仏の語りが満喫出来るからだ。
 語りの一言一言が、恰も命を吹き込まれたかのように息づいて聞こえてくる。情景が目の前に浮かんで広がってくるような感じで、物語の世界に引き込まれてゆくのである。
 平家が滅びた後に生を受けた通念は、当然、平忠盛の頃の時代は知らないが、生仏が語る過去の人物は生き生きとして、自分がその時代に入っていくような気分になった。声音も、生仏の口蓋を抜けると全く別人に変貌して躍り出るのが不思議だった。
「公家たちの底意地の悪さが、読んだときとはまた別の感じで伝わってきます。生の言葉って、凄いですよね・・」
 語り終えた生仏に、通念は耳で受けた印象を言った。
「言葉には強弱があり、長短があり、音色がありますからな。人の心の様がそのまま映りますでの、そのせいでしようかな。耳は隠そうとする本音も敏感に嗅ぎ取る力があって、なかなか侮れませんぞ」
「私などは多分に人さまの言うことを鵜呑みにしますが、本音が嗅ぎ取れたら苦労はありませんよ」
 自嘲気味に通念が言う。
「通念どのは、想像力が逞しいのでしょうかの」
「想像力ですか?」
「言葉を聞く前に自分の思い込みがあれば、言葉はその思い込みを強固にするよう働いたりもしますからな。以前に私の崇徳院の語りを聞いた折に吃驚されたことや、今の公家衆の段を聞いて思いを新たにされたのも、あなたの予備知識が一層、想像を駆り立てる方へと働いた故でしょう」
「・・・」
「通念どのみたいに驚いてくれるお人が、琵琶法師にとっては一番の悦びですよ」
 そう言うと、生仏は楽しそうに呵々と笑った。
 想像力があると言われて喜んでいいのか、また悲しむべきなのか、通念は複雑な思いで生仏の笑顔を見ていた。ところが、その笑顔がスーッと消えて生真面目な表情、というより、少し怒ったような顔つきに変わった。そして唐突に、
「蝶門はんの袖を汚した琵琶法師づれと、あたしの護衛の者たちに狼藉を働いた法師づれが知古の間柄いうのが、抑も奇怪にござりまするな。あれは、彼の者たちの示し合わせての乱暴であって、首魁は五徳の行長はんに相違おじゃりません。行長はんは、にやりとほくそ笑んで、形だけの詫びを言って引き上げたらしいというではおじゃりませんか」
 と聞いたこともない、何処ぞの公家らしい声が、その生仏の口から飛び出したのだ。
 通念は誰かが後ろにいるのかと疑い、思わず辺りを見回した。
「と、まあ、このようなことがあったと、知らせてくれた者がおりましてな」
 生仏は、自分の声に戻して言った。
「何ですかそれ、吃驚させないでください! 」
「済まなんだの。吃驚させるつもりは更々ありませんでしたが、通念どのが、公家衆の意地悪な話を持ち出すもんだから、つい、その気になっての」
 片手で拝むような仕草をして、生仏は通念に謝った。そして、
「先日、私どもが京の市中で遭った出来事についてな、歌会の場で今のような会話がなされたと聞かされたもんでの」
 と続けた。
「・・・」
 通念は、呆れて二の句が告げられなかった。
 生仏の唐突さもだが、それより口真似の内容に腹が立った。蝶門の不注意で生仏にぶつかっておきながら、生仏に罪をなすり付けるだけでなく、慶雲との偶然の出会いを二つの事件に繋いで共謀者に仕立て上げるやり口は悪質で、行長の述べた謝罪も、わざと不誠実なものにねじ曲げられている。
「呆れ返りますね。それって、人を悪党か何かに陥れているじゃないですか!」
 通念は憤然として生仏に言った。
「吉水の大懺院から来たお人が言っていたんですよ。その人は清澄といって、浄月どのとも顔見知りらしいがの」
「清澄さま? お顔と人物とは一致しませんが、会えば分かるかも知れません」
 通念も行長との関係で、大懺院にいる者たちならば大体は見知っていた。
「清澄どのは調べもので山に来られて此処にお泊まりだがの、用が済めば浄月どのにも、歌会で話題になったことは一応伝えておこうと言っておられたから、今頃は会っているやも知れんな」
「でも、どうして大懺院のお人がそのような噂を知っておられるのでしょう?」
 眉をひそめ、通念は首をかしげた。
 大懺院とは行長が比叡山に来る前までいたところで、宮廷を辞して失意の内に日々を過ごし、大原の山奥にでも遁世しようかと考えていた矢先に、慈円和尚に声をかけられて、そこに身を寄せたのである。慈円の発案で、平家の御霊を鎮めるために最初は白川に建てられたのを、後年、吉水へ移した経緯がある。比叡山にも、東坂と西坂に小さな別院が二棟ほどあった。
 名目は平家の御霊を祀る寺院だが内実は慈円の私院のようなもので、居住している二十人ばかりの者たちも慈円より扶持を受ける、彼のための頭脳集団だった。 
 集団を形成しているのは有職故実や舞楽、或いは大陸の歴史や和歌などの一芸に秀でていながらも、行長のように何かの事情で職を離れたり、路頭に迷ったところを慈円に救われた者たちばかりである。
 彼らは、中央の権力者や地方の豪族の家に寄宿して主人のために戦の戦略や作戦を練る、いわば大陸に於ける食客のような存在だった。はぐれ者とはいえ、自分の知恵と能力だけを頼りに生きる有能な人物ばかりで、慈円は彼らに大きな信頼を寄せていたのである。
「兎に角、私は西坂に戻ります。こういう卑劣な会話がされたとなると、一刻も早く浄月さまに話しておく必要がありますから」
 通念は文机の上の煩雑な原稿をまとめて、そそくさと席を立った。
「寄り道はされないようにな。猿どもが、何時動き出すか分からんでの」
「いやだなァ、生仏どのは人を威かすことばかり言う・・」
「これは、威かしじゃありませんぞ」
 生仏は通念の背中に言った。
 
        (二)
 西坂の別院には来客があった。玄関の上がり框に脱いだ草鞋が揃えてあり、傍に足を洗った桶が置かれているのでそれと知れた。
「おう、通念、戻ったか。ご苦労だったな。まあ、此処へお座り」
 部屋に入った通念に、行長が声をかけた。
 文机を夾んで行長と向かい合い、五十年輩と思しい草鞋の主が座っている。
「吉水から来られた清澄どのだ。慈円和尚の言伝を申しに寄られた」
「通念どのか、慈円和尚から御受戒を受けられたそうじゃの。末が楽しみじゃな」
 会釈をした通念に、笑顔で清澄が言った。
「生仏どのから聞きましたが、先日の京での出来事では、根も葉もないことが言われているようですよ」
 二人と距離をおいた場所に座り、通念は開口一番に言った。
「今、清澄どのから聞いたところだ」
「誤解を解くように、ちゃんと申し入れた方が良いと思います」
「放っておけばいい・・」
「どうしてですか。悪者にされてしまいますよ」
「通念どの、彼らは分かってやってるのだよ」
 微笑んで顔を向けた、清澄が言う。
「承知の上でのこと、と言われるのですか?」
「そうだ」
 行長も頷いた。
「どうして、そんなことを・・」
「彼らの、いつものやり口だよ」
「やつらは、どうやら蝶門なる人物に平家を書かせるらしい。その布石として、行長どのを悪者に仕立てて情報提供の協力者を絶ち、自分たちの方の平家を世に流そうという肚だろう」
 清澄が言う。
「何と卑劣なことを! 一体、そんなことをする必要がどこにあるのですか?」
「必要は、あると言えばある。思惑が絡んでいるからのう」
「何の思惑ですか? 平家を書くのに思惑が要るのですか?」
 通念は、やや詰問調子で清澄に訊いた。
「若いから無理もないが、正義の塊みたいな御仁じゃのう。よし、説明しよう」
 清澄は、嬉しそうに笑って言った。
「先ず、背景の政治的な力関係がある。言うなれば、行長どのは、三年前に亡くなられた九条兼実さまの血脈に繋がる慈円さまの一派じゃ。他方、蝶門とかいう公家は、九条家の天敵、これも今は亡き源通親さまに繋がる堀川中納言(源通具)一派ということで、行長どのと蝶門どのは敵同士と相成るわけじゃな」
「そんな・・」
「平家を書くにも背景の組織が絡めば思惑も要るし、面子も大事となる。寄らば大樹の陰、人は誰もが頼れる方へと靡くからのう。まさに、平家語りの源平合戦じゃぞ。だが、この平家の戦は負けてはならん。戦は勝たねば負けじゃ」
 清澄は、語呂合わせのような当たり前のことを言って、笑った。
「だったら、これからどうなるのですか?」
「どうもなりはしないよ」
 行長が言った。
「清澄どのは、私たちに精進しなさいと、言葉を代えて言っておられるだけだ。今まで通り、熱意をもって取り組めばそれでいい」
「そうですか・・。で、慈円和尚のご伝言とは何なのですか?」
「それじゃよ、慈円前大僧正は、我々、大懺院の者全員に、行長どのに全面的な力添えをするようにと申し渡されての。私が山門に来る折があったので、そのことを伝えるために、こうして参上した次第というわけじゃ」
「慈円和尚は、出来れば、今までに仕上がった段の平家を聞いてみたいと申されているようだから、近々にまた、生仏どのと三人で山を下りてみるか・・」
 清澄に継いで、行長が通念に言った。
 今までは思ったこともなかったが、人の心の中にも魑魅魍魎が棲み、それが平家物語の周りを飛び回っているような不気味さを通念は感じていた。行長に動じる様子がないのが救いで、もしも慌てる素振りを見せていたなら、目に見えない悪しきものに自分も巻き込まれ、絡み捕られるような予感に苛まれたに違いない。
「さてと、それでは私はここら辺りで暇をしようかの。もしも二、三日の内に山を下りられるのであれば、私も同道いたしましょうぞ。では」
 清澄は一礼して立ち上がった。
 行長と通念は玄関口まで出て、彼を見送った。
「訝しな成り行きになりましたが、浄月さまは平気なのですか?」
 清澄が玄関を出た後で、通念は行長に訊いた。清澄が言うように、慈円や堀川中納言を巻き込んでの平家争いとなれば、どう考えても穏やかな話ではないのに、行長は不安な表情を見せるどころか、却って精悍な印象さえあった。
「私は訝しな成り行きとは思ってはいないよ。それどころか、大懺院の方々の協力が得られるとなれば、これほど嬉しいことはない。私に足りない知識の全てを補ってもらえるのだからな」
「・・・」
「膨大な登場人物の名前、逸話、故事、事例、一人の力では調べるにも限界があるが、大懺院の力を得るなら私の仕事も楽になって、筆の進み具合も格段に速くなる」
「では、共同作業、つまり、作者は浄月さまお一人ではなく、他のお人との共同執筆ということになるのでしょうか?」
「書くのは私だが、どのみち、原作者として名前を記すつもりはない」
「どうしてですか?!」
「私は最初からそのつもりだった」
「だから、どうしてなのですか?」
 話が違うと、通念は思った。行長が素晴らしい平家の語りを書くのを自分も及ばずながら手助けをして、言うなれば、行長の名誉に寄与出来ることに遣り甲斐を感じていたからである。
「諸行無常だよ」
「諸行無常?」
「全てのものは移ろいでゆく。今日あるものも明日には消えてゆく。この世に何一つ確かなものなど存在しない。そういう儚げな主題に挑む者が、その名前を残そうとすることこそ馬鹿げている。通念は、そうは思わないか?」
「・・私には分かりません」
「言ったこともあると思うが、面白い語りを創り、皆が喜んで聞いてくれればそれでいい。聞く人にとっては、誰が創ったかはどうでもいいことだ。皆が喜んでいる姿を見て、この話は私たちが創ったのだぞ、と通念も束の間は胸を張れるだろう。だが、そこまでだ。いつまでもは続かない。やがてまた新しい物語が生まれ、人々は今度はそっちの方に夢中になる」
「・・・」
「それと、私に名前を記す気がなければ、慈円和尚も蝶門どの一派の挑発に乗る意味はなくなって、真に平家の語りだけをお楽しみになれる。私たちは、その、お楽しみになれる内容のものを創るのだ。これは易しい作業ではないぞ。私たち全員の熱い心意気なくしては、決して出来ないものだ。分かったかな?」
「・・はい」
 はい、とは言ったが、通念は、分かって返事をしたのではなかった。分かったのは、清澄が話した事柄は、前大僧正慈円や堀川中納言といった錚々たるお歴々を巻き込む重大な事件だというのに、どうして行長が動じる気配を見せなかったかということだけだった。確かに、喧嘩を売ろうにも名目人たる行長の名前がなければ、上げた拳を振り下ろす相手がいなくなる。
 だが、売られた喧嘩なら買えばいいじゃないかと、通念は思った。要は、行長が蝶門に負けないものを書けば慈円の顔も立つのである。そして、行長だったらそれが出来ると信じていた。
「私は、諸行無常でも、たとえ束の間でも、作者として浄月さまの名前がある方が嬉しいです」
 通念は、自分のありのままの気持を言った。
「そうか・・」
 行長は、微笑んで言った。 

ここのところ、はっきりしない空模様が続いている。
 三日ばかりは慌ただしい日が続くと思われたが、行長、生仏、通念、それに清澄の四人は連れだって山を下りることに決めた。
 行長は殿上の闇討ちと同様に、既に粗方進めて手直しだけを残していた鱸と禿童の段を急いで仕上げ、生仏と通念は時間的な無理を承知で、その暗記に挑んだ。それもこれも、是非、少しでも多くの語りを慈円に聴いてもらいたいと思ったからに他ならない。
 生仏たちが暗記に取り組んでいる間に、行長は、大懺院の皆に協力を仰ぐべく当面の事項を書き出した。段の筋書きに絡まる主要人物ではなくとも、逸話に登場する人物は史実に即した名前を記したかったのである。
 それには、山門を始めとする寺院や宮廷の図書寮に残る事件の顛末記や日記、その他の公式記録を調べて、出来るだけ多くの人物名を拾い出す必要があった。むろん、調べた人名や経歴の殆どは日の目を見ない。しかし、知らないでいるのと、知っていて書かないのとでは自ずから大きな違いがあり、それが平家の質に関わってくるのは明白だった。その意味でも、大懺院の助力で難なく大量の情報が得られるのは、思いがけない僥倖といえた。
 ありきたりの軍記ではなく、あくまでも質に固執して平家を仕上げるところに行長の矜持がある。夏の蝉や秋の夜に集く虫は、悠久の時を己に凝縮させ、束の間の盛りを懸命に鳴く。同じように、全霊を込めて平家に関わることで、自分の今を完全燃焼させたかったのである。そうでなければ、自分の過去、否、自分の存在そのものが否定されると行長は思った。
 炉端の五徳を逆さに頭に載せた男、と呼ばれた自分を活かす道は、今の自分の手で、人には真似の出来ない平家を創ることしかなかった。
 逆に、それは過去の自分では決して出来ないことだとも感じている。
 五徳の事件は勿論、諸々の過去を包含し、潮が満ちるように時間を経てはじめて可能になるのであり、慈円、生仏、通念、そして比叡山、大懺院と、何一つが欠けても困る摩訶不思議な縁に導かれていると行長は考えた。故に、平家語りは自分の天命だと受け止めたのである。
 実は、平家と自分との縁はもう一つあった。入道相国(清盛)と父、中山行隆との関わりである。  
行隆は葉室家の血を引く故中山中納言顯時卿の長男で、永万元年八月に左少弁職に就き、同二年の四月には解官となっていた。行長が十歳の頃は、父、行隆は職を解かれて、以来、十余年が既に経過していて、家計は火の車であった。あらゆる伝手を頼って就職を願い出ても儘成らず、したがって十歳の行長は、生まれてこの方、極貧の生活しか知らなかった。
 その頃、清盛は飛ぶ鳥をも落とす勢いで、平家を嫌う家は悉く駆逐された。
 例えば、前関白松殿の侍で江大夫判官遠成とその息子の江左衛門尉家成も、平家が快く思っていなかったせいで三百余騎の兵に囲まれ、結局、屋敷に火を放って自死に追い込まれたが、例はこれだけに留まらず、他にも四十余名もの人々が清盛の犠牲になったのである。
 当然、今度は自分の番かと、京の公家たちは上から下に至るまで恐怖に震え上がった。禿童の段にあるように、髪を禿に回りを切って赤い直垂を着た十四、五歳の童が三百人も市中を巡り、平家の悪口を言う者を見つけ次第、片っ端から縛り上げて六波羅に連行したのである。徹底した粛清に、誰もが戦々恐々としていた。むろん、行長の家族もその例外ではない。
 しかし、清盛の使いは、遂に貧苦に喘ぐ行長の家にもやって来たのである。
「もの申す! 開けなせいッ!」
 六波羅の使いは下馬もせず、寂れ果てた門の外でがなり立てた。
 老いた郎党が怖々と応対に出て、
「何事でござりましょうか?」
 と訊くと、
「入道相国さまがお呼びである! 申すことがあるッ、必ずや出頭しませい! 」
 と、言下に言い渡した。
「六波羅どのからの呼び出しとは、一体、どうしたことだろう・・」
 父、行隆は青くなって狼狽えた。
 扶持が絶えて久しく、赤貧の生活をしている家に他人から妬みを受ける覚えもないが、人の気持ちは分からない。人との交わりも止めているこんな家でも、誰かが告げ口をしたのだろうかと、母である北の方以下、女房たちも悲鳴じみた声を上げた。
 櫛の歯が欠けるように人は去り、大勢いた郎党や女房たちも、今は数えるほどしか残っていなかった。
 落ちぶれた公家とは哀しいもので、尾羽打ち枯らしても何一つ生活の知恵は持たず、
知人縁者に借金をするか、家の備品を売って食いつなぐことしか知らないのである。 否、それさえも自分では出来ずに、雑事をする女房や老いた郎党が知人を頼ったり、裕福そうな民家を訪ねて幾ばくかの宋銭を工面するという体たらくだった。
 夏冬の衣替えは言うに及ばず、朝晩の食事にも事欠く始末で、そんなときに、六波羅からの呼び出しがあったのだった。
「ともかく、出向いてみよう」
 頻繁な呼び出しに耐え切れず、怖れに身を縮めていた行隆も最後には腰を上げた。まさかのときのために残して置いた一張羅の直垂を着込み、知人に頭を下げて借用した牛車に乗って、行隆は清盛に会いに行ったのである。
 取り次ぎの者に案内されて、広い部屋にぽつねんと一人待たされる間は、斬首に処せられる罪人の気持ちで、落ち着かなかった。家を出てくるときは、そのまま捕縛されてもう戻ることもなかろうと、行隆は、家族の皆に未来永劫の別れを告げてやって来たのだった。通い婚ではなく同居の妻だから北の方と呼ばれている行長の母は、袖で顔を覆って泣き崩れるばかりで、老いた郎党や他の女房も大同小異だった。
 ところが、驚いたことに清盛は直々に行隆の前に現れ、それも機嫌良くこう言ったのである。
「あなたの父の卿には、この入道も、あれこれとお世話になったものです。その子息のあなたが、年来、蟄居の身に甘んじて苦労されているのは承知していたが、法皇が政務を執っておられる上はどうしようもなくての。今は出仕しなされ。官職については追って沙汰を出すゆえ、今日のところはもう帰ってもよろしいぞ」
 行隆は平伏し、夢現に相国入道の言葉を聞いていた。どういう風の吹き回しか、捕縛されるどころか、官職を与えると言うのである。
「ははーッ、過分なるお言葉、有り難き仕合わせにござりまする!」
 床に頭を擦りつけ、行隆は更に身を伏して礼を述べた。
 足が地に着かないとはこういうことを言うのだろうか。行隆は天にも昇るような気持でふらふらと牛車まで辿り着いて、乗り込んだ後も、気もそぞろで動揺を押さえることが出来ず、牛車の暖簾からきょろきょろと外ばかりを眺めていた。文字通り、地獄で仏に会い、一気に天国まで連れて行かれたような気分だったのである。
 家では、捕縛されるものと思っていた主の帰宅に驚き、話を聞いて狂喜した。
 父の行隆は部屋の中をうろうろ動き回り、母の北の方も同様にそわそわと落ち着かなかった。郎党や女房たちも、むろん仕事が手につかない。誰もが皆、喜びに気も動転していて、行長は、家族の者が喜ぶ姿を生まれて初めて目にしたのだった。
 日を置かずして、源大夫判官季貞という者が、馬の背に荷を乗せた一隊を率いてやって来た。寂れた門の前に、場違いのような、沢山の荷物を積んだ馬や人が並んだのである。やがて荷物は次々と屋敷内に運び込まれ、前の路には何事かと人が見物に集まって来て、人垣が出来た。
「下賜の品々を申し上げる!」
 上座に座し、身を整えて下座に伏す行隆に向かって季貞が読み上げる目録の内容は、知行となる数々の荘園の権利書、絹百疋、金百両に米、それに出仕の際に必要だろうと、雑色、牛飼い、牛車に至るまで配慮がなされ、記されていた。
「有り難いことじゃ、有り難いことじゃ・・」
 季貞が帰った後、行隆は嬉し泣きに泣いた。
 同じ年の治承三年十一月十七日、五十一歳の行隆は除目に出席し、五位の侍中、蔵人に補せられて、元の左少弁の職に返り咲いた。
 十歳の少年である行長の目には、貧乏のどん底から突然、裕福となった公家の地獄と天国との落差が奇妙に映った。同じ人なのに、どうしてこんな開きがあるのだろうという素朴な疑問が頭に残ったのである。父の行隆は仏のような善人でもなければ、夜盗を働いて人を殺める鬼のような極悪人でもない。人間に何一つ変化がないのに、何故、その同じ人間の上に天国と地獄ほどの変化が及ぶのか、という理由が分からなかったのだ。
 それは何かにつけて、誰もが神の御加護だとか、仏の御慈悲だと説明するからに他ならなかった。神仏が人を良く見ていれば、否、神仏だから当然、何もかもお見通しの筈なのに、変わり映えもしない同じ人間に賞罰を下すのは訝しいではないか、という疑問が芽生えたのである。
 その疑問の解答は、長い間得られることはなかった。ただ、不可思議だからこそ、降って湧いたような富貴は再び去ってゆくのではないかと思ったのだ。人の栄華はいつまでもは続かない、と少年の頭に結論づけたのである。
(平家語りの作者名か・・)
 通念の言い分も分からないわけではない。だが、少年の日の懐疑に加えて、今の行長は諸行無常という理念に辿り着いている。父、行隆の沙汰や平家の興亡は勿論、方丈庵の蓬胤を見ても、また京で甍を競う家々の浮沈のさまを見てさえも、全てが仏法理念たる諸行無常で説明はついた。真理だからこそ説明がつくのであり、作者名に執着するのは自分が辿り着いた真理に反する所為だと行長は考えていた。
 作者としての名前は残さなくとも、少年の日の平家に縁する懐疑と平家語りに通底する諸行無常は、同じ色合いで溶け合っているのである。行長と平家が深い因縁で結ばれているなら、名前は要らない。作者不詳として物語だけを世に残すことで、自分に絡みついている平家の縁と、人生で得た理念は不足なく整合するのだ。
「日和になればいいが・・」
 別院の窓の外に目をやり、行長は独り言に呟いた。
 
        (三) 
「浄月さま、何だか怪しい雲行きですよ」
 夕刻に、生仏のいる東坂から戻った通念が言った。
「雨にはならんだろう・・」
 空模様のことだと思い、行長が答えると、
「いえ、天気ではなく、充善院の覚清房どのが皆を集めて、浄土宗の誰かが山門を誹謗したとかで決起すべきだと、頻りに煽っています」
 と、意外なことを言った。
「強訴か?」
「はい。日吉神社の御輿まで担ぎ出して入洛するつもりのようです。何やら、朝から充善院の辺りが騒がしいと思っていましたが、騒ぎは段々大きくなっているみたいです」
「しかし、蜂起の相手は興福寺か圓城寺ではないのか? 浄土宗との騒動は、今のところ、収まっていると思うが・・」
 近年の浄土宗との軋轢は、法然が門弟たちを戒め、七箇条の制誡を天台宗の真性に送ったことでひとまず収拾がついているはずで、同じ頃に、東山の祇園寺と清水寺が境のことで相論し、それぞれ背後に控えている山門と興福寺の衆徒が蜂起、大騒動に発展した経緯があり、行長は、その燻りにまた火が点いたのではと考えたのだ。
 しかし、通念は、
「いえ、確かに浄土宗への決起に間違いありません」
 と言い張った。
「全山に広がる気配なのか?」
「はい。叡山だけでなく、大講堂に結集するよう末寺にも伝令を走らせている様子で、私が通り抜けようとすると、話を聞いて行けッ!と怒鳴られました。もう怖くて怖くて・・。あれじゃ、話にもなりませんよ」
「僧兵を仕立てるつもりか・・」
 通念に言うともなく呟き、ほどなくすると、大勢の足音がして表が騒がしくなった。
「来ました! 彼らですよ、きっと」
 行長の後ろへ隠れるようにして、通念が言った。
「頼もうッ! おられるかッ、ご免!」
 玄関口で大きな声がした。
「何事ですか?」
 行長が出てみると、四、五十人ばかりの人数を背後に従えて、僧兵の形をした件の覚清が仁王立ちで待ち構えていた。 
「何事ですか」
 行長はもう一度同じことを訊いた。
「浄月どのか? 貴僧のところの若い僧は学生だと聞いたが、何故に法灯を守ろうとする趣旨の集会を虚仮にする!」
 白の五条袈裟で頭を包んで裹頭にし、腰には革包の太刀を佩びた覚清が、威嚇するように言い放った。大長刀の柄をどっしりと地面に突いている。墨の裳付の下には、銅丸の鎧を着込んでいるのが見て取れた。
「物々しい出で立ちですが、一体どうなされたのですか?」
「比叡山の開祖、伝教大師の灯された伝統ある法灯が邪宗に消されんとするこの期に、山門に修行する身でありながら、何故、こそこそ逃げるのか、と訊いておるのだッ! 皆と団結して法難を闘い抜く気概はないのかッ!」
 覚清は、充善院の明蓮のもとで法華経の修行をしているという触れ込みだが、仏法より兵法の方が得意と見えて、何かといえば強訴だと騒ぎ立てると耳にしたことがある。浄土宗排斥運動の急先鋒に群がる一人で、四年前に法然や親鸞が流された事件に先立つ、元久元年の専修念仏停止の蜂起でも先頭に立ったらしい。
 法然を屈服させ、この度の配流に繋がった手柄が忘れられずに、浄土宗を一気に潰してしまおうと目論んだものか。
「通念は、東坂での用が済めばすぐに此処に戻ってくるようにと、私が厳命していたので、それに従ったまでです」
「ならば貴僧は山門が遭っている稀代の大法難より、私用の方が大事と言われるのかッ!」
「法難より私用が大事とは、一言も申してはおりません! 私がすぐに戻るように言い付けていたので、彼は真っ直ぐに帰ってきたと申しておるのです」
 大袈裟な表現で唾を飛ばして怒鳴りつける覚清に、行長は言った。
「ならば明日は、充善院広場の集会に貴僧共々、出ませいッ!」
「それは出来ません」
「何ィッ!」
 覚清は色めき立った。
「私たちは今、近々に前大僧正慈円さまに奉上申し上げる琵琶語りに取り組んでいます。一刻を惜しんで夜も寝ない有様なれば、そんな暇はありません! それとも貴僧は、前大僧正慈円さまのご意志など虚仮にしろ、と強談判なさるおつもりかッ!」
「・・強談判ではない」
 行長の強い口調に、というより、前大僧正慈円の威光に覚清はたじろいだ。
「そのように人を威嚇して話をするのが強談判でなければ、他には何と申されますか? 貴僧は通念に山門に修行する身でありながらと申されたが、貴僧こそ仏法修行の身にありながら真を曲げて虚言を吐き、五戒を破るおつもりか!」
「・・今日のところは日も暮れ、行もあるゆえ立ち去るが、集会に出ないとあらば、また参る!」
 分が悪いと見たのか覚清は踵を返し、皆を引き連れて帰っていった。
「・・どうなることかと思いました」
 行長の後ろにいた通念が、安堵するように言った。
「集会を止めるように、説得すれば良かった・・」
 火は小さい内に消さねば手遅れになる、と行長は、覚清を追い払う結果になったことを少し悔やんだ。
 現在、配流の身である法然に代わる浄土宗の最上足は、行長の実兄、称弁である。のみならず、行長が一時期に家司を務め、諸々の恩義を受けた今は亡き九条兼実も浄土宗に帰依し、兼実の実弟である慈円も法然とは親交があった。ここはどうしても強訴を阻止する必要があった。
「とにかく、明日は集会に行ってみよう・・」
「えッ、集会にですか?」
「出来れば、強訴は止めさせなければいけない」
「はい。でも、大丈夫ですか?」
「命までは取るまい・・」
 行長は、微笑んで言った。
         
 充善院の広場では、過激派と思しき二百人ほどが朝早くから集結していて、声高に浄土宗の非を叫ぶ壇上の僧に声援を送っていた。殆どは堂衆と見受けられ、上足の僧や学匠の姿はあまり見かけない。尤も、彼らは強訴の趣旨に賛同していたとしても、陰で糸を引くだけで、蜂起が最高潮に達しない限り表には出ないものだ。むろん、趣旨が異なれば、建仁三年の武力闘争のように敵対することもあり、山門内部も、一枚岩というわけでは決してなかった。
 とはいえ、時間が経つに連れ、二人の後ろには段々人が詰まってきて、身動きが取れ難くなった。皆が気勢を上げたのでつま先立って前を見ると、演説を終えた僧が壇を下りるところだった。覚清は、その近くにいた。
 壇上の僧が下りると、演壇の下で皆に向かって頻りに頷いて見せ、手を叩いていた覚清が壇の踏み台に歩み寄った。着衣は昨日と同じ出で立ちだが、手の大長刀は錫杖に変えている。
 おもむろに壇上に上がり、覚清が両手を広げて皆を鎮めると、辺りは水を打ったように静かになった。
「今、天子さまのご威光が遍く届くところ悉く、我が国始まって以来の国難が訪れようとしている。如何なる国難かッ。亡国という未曾有の国難であるッ!」
 覚清は、誇張を極める例の調子で口火を切った。
「何が亡国ですか。大袈裟にもほどがある」
 通念が小声で毒づいて、ニッと笑った。
 行長は、結集している堂衆の様子を窺うように周りを見回した。この火種が全山に飛び火して手が付けられなくなるか否か見極めようと、注意深く雰囲気を嗅いだが、今の時点では判断がつきそうもない。しかし、少なくとも、既に人数は三百人くらいに膨れ上がっているようだった。不穏な空気といえば、言える。
 尚も見回していると、生仏の姿が目に止まった。
 生仏は集団を離れた後ろの方で、桜の木に背を凭れて、琵琶を抱いて立っていた。
「生仏どのの姿が見えるが・・」
 彼も集会に出るように強要されたのかと、行長は思った。
「ほんとだ!」
 行長に言われて通念は生仏に手を振ったが、すぐに気がついて苦笑いをし、
「生仏どののところへ行ってみましょうよ」
 と言うや否や、人混みをかき分けて後ろへ移動した。
 行長も、彼に続いた。
「どうされました?」
 生仏に近づいて、声をかけると、
「やあ、浄月どの・・」
 と言い、
「通念どのも来ていたのか」
 と、生仏は相好を崩した。
「生仏どのにも、集会に出るようにと?」
「いえ、いえ。私は小声で、平家の語りの稽古ですよ。このような大衆の中も、なかなか具合がいいもので、それで出てきたのです」
「へえ、柄の悪い煽り演説は邪魔にはならないのですか?」
「ま、馬の耳に念仏ですな」
 と、生仏は行長と通念に答えて笑った。
「あの演説に念仏とは、比喩が良すぎます。あれは煩いだけで、有り難みはまるっきりありませんからね」
 通念が、舌を出して言った。
「念仏の悪口を言う集会なのに、聞こえたら吊し上げに遭いますぞ」
 生仏が大衆の方に顎をしゃくった。
 覚清の弁舌は続いている。
「浄土門は、誰もが皆成仏できると詭弁を弄するのを止めないばかりでなくッ、伝統ある仏法の根幹たる聖道門の行を悉く誹謗しているッ。とどのつまりィッ、これは我々山門で一生懸命に修行する者はッ、大馬鹿者の大たわけだと言っていることに他ならないッ。念仏さえ唱えれば極悪人でも遊女でも誰彼なく極楽へ行けるのかッ。命を懸けた行者と、何の修行もしない大酒呑みが同次元だという理屈がまかり通れば世も末じゃッ!」
 覚清の熱弁は絶好調のようだった。
「一言申し上げたいッ!」
 行長は、手を挙げて叫んだ。
 覚清の弁舌が止み、集結している皆が一斉に後ろを振り返った。
「是非、一言申し上げたい!」
 行長は前の方へ進み出た。
 墨染めの衣の群れが割れ、行長はそこを真っ直ぐに演壇へと歩いた。
「降りて下さい」
 行長は壇上の覚清に言った。
 咄嗟のことで判断する間もなかったのか、覚清は何も言わずに壇を降り、入れ替わりに行長が壇上に上がった。
「蜂起は、思い止まって頂きたい」
 行長は皆を見回して、静かに言った。
「門外漢に等しい仏法に無学な私が、山門の皆さんに説教をするつもりは更々ありませんが、この蜂起は、是非に思い止まって頂きたい」
「何を言うかッ!」
 壇を降りた覚清が叫んだ。
 同時にざわめきが起こり、行長は両手を広げて皆を制した。
「専修念仏もそれを説く法然上人も、元はといえば、この山門から出たものです。同じ釈迦の仏法であり、それに縁する衆生ではありませんか」
「味噌も糞も一緒くたにするなッ!」
 すかさず、覚清が叫ぶ。
「覚清どのは、行をする者としない者を一緒にするなと言われているのだと思いますが、そもそもこの比叡山を開基なされた伝教大師は、法相宗の徳一さまとの論争で、仏も衆生も一様に仏性を具えて同じ乗り物に乗っているから、誰もが等しく成仏できると申されています」
「やかましいッ!」
 墨染めの群れから野次が飛んだ。
「私が言っているのではなく、此処を開基なされた伝教大師さまが言っておいでなのですッ! やかましいとは、口が過ぎましょうッ!」
 行長は、大声で野次の主を叱責した。
 また、辺りが静まりかえった。
「伝教大師のみならず、横川首楞厳院におられた恵心僧都も同じように、それ住生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。道俗貴賤、たれか帰せざるものあらんと、その御書に、僧であろうと民であろうと、貴賤さえも問わないと記しておいでのことは、皆さんも承知するところでありましょう」
「止めろッ!」
 野次が飛ぶ。
「そもそも教義に対しては教義で臨むべきで、勢を頼んでの暴力沙汰とは、仏法修行者の選る道とも思えません!」
「何が暴力だッ。おまえは浄土宗の回し者かッ!」
 真っ赤になって、覚清が怒鳴った。
「私は、浄土宗の回し者でも信者でもありません。今現在、無動谷では、東順さまが千日回峰行に入っておられると聞いています。人の情として、教典を説くだけの僧よりも、懸命の行を続けられている東順さまの方を、私は遙かに尊敬申し上げております!」
「黙れ。おまえに尊敬される筋合いはないッ! 誰か、引きずり降ろせ!」
「去年の七月ッ、徒党を組んで闘争に及んだ南都の僧が捕縛されています! 濫訴は咎となることを忘れてはなりませんッ! 短慮な行動で路頭に迷えばッ、ご家族ご縁者、全ての方々が嘆かれましようぞッ!」
「引きずり降ろせッ!」
「私に手を掛ければ、ただでは済みませんぞッ!」
「その通りです! ただでは済みませんッ!」
 後ろの方で通念が叫び、皆が一斉に振り返った。
「その方、浄月さまは、前大僧正慈円さま直属の仕事をなさっておいでです! 狼藉に及べば、私が訴え出ますッ!」
 通念は、行長を代弁して甲高い声を上げた。正義感は強いが、臆病なところのある通念だけに、清水の舞台から飛び降りるような気持で声を発したのだろう。
 慈円の名前を持ち出すのは、虎の威を借りる狐のようで気は退けるが、狼の群れに変わろうとする群衆に抗し得るのは、虎ぐらいしかない。
 少しは静かになったか、と思う暇もなく、直ぐに、
「我が身の保身より、国難を救えッ!」
 と覚清が檄を飛ばし、下から樫の錫杖で、壇上の行長の足を強かに打ちすえた。
 行長はもんどり打って、壇上から転げ落ちた。
 それが合図となって、三、四百人は暴徒と化すはずだった。行長は、足と腰が痺れて立つことも出来ない。袋叩きに遭い、悪くすれば命を落とすかも知れないと思い、平家を仕上げられない無念が脳裏を過ぎった。
 暴徒化した群衆に袋叩きに遭えば、個人の責任が問われない分、憎しみも相まって、間違いなく半殺しの暴行となる。群集心理の恐さは、その責任感の欠如にあった。
 狂気の群れだと、行長は思った。

 堂衆が暴徒と化す微妙な均衡の刹那、
「覚清ッ! 勝負しろッ!」
 と、誰かが叫んだ。
 端っこの人垣を押しのけて、錫杖を鳴らしながらこちらに走ってくるのは、京の町で数人の青侍を相手に喧嘩をしていた慶雲だった。
「何、勝負だと? 馬鹿かッ、こんな時に!」
 行長の目と鼻の先にいる覚清は、闖入者に戸惑い、吐き捨てるように言った。
 駆けつけてきた慶雲は、どうした勢みか、行長を庇うような形で身構えた。
「京で一番の強者だとほざいているそうだな! この日本一の慶雲さまを差し置いて、京で一番とは何事だ! 思い知らせてやるから、かかって来いッ!」
「わしは、そんなことを言った覚えはない! 何かの間違いだ」
 覚清が、まごついて慶雲に言う。
「やかましいッ! かかって来なきゃ、こちらからいくぞッ」
 堂衆たちも、一体どうした展開になったのかと、ざわめいた。行長は、そのざわめきを見て、助かったと思った。暴動は、危機一髪のところを慶雲によって回避されたようなものだった。
 慶雲は錫杖の右手を逆手に持ち替え、踏み込みざまにはね上げた。不意を突かれた格好で横っ面を払われ、覚清はもんどり打って倒れた。
「話せば分かるッ。暴力は止せッ!」
 倒れた覚清が叫んだ。
「これは一対一の勝負じゃッ。誰も手出しは無用ぞッ!」
 慶雲は回りを囲んだ堂衆に叫び、錫杖を投げ捨てて倒れた覚清に跳びかかった。
 専修念仏打倒の決起集会は、慶雲と覚清の喧嘩の見物をする単なる野次馬集団へとすり替った。
「浄月さまッ、大丈夫ですか?」
 通念が生仏の手を引いて、急ぎ足でやって来た。
「足をやられた」
 骨は折れていないようだが、左足は腫れ上がって力が入らない。腰は転落したときの打撲で、とにかく、これくらいの負傷で済んだのは不幸中の幸いだといえる。もしも暴動化していたら、こんなことでは済まない。
「慶雲どのの介入があったから、助かったようなものだ。もしそうでなければ、危ないところだった」
「彼は昨日の夜遅く、ふらりとやって来たのです。何か別の用事もあるようですが、どうやら、自分の青侍との諍いや私の袖を汚した事件が、行長どのを巻き込んで大層なことになったのを知ったらしくて、それで、心配してやって来たというわけです」
 生仏が言った。
「では、覚清どのと闘う理由は・・」
「浄月どのを救うために、適当な言いがかりをつけたのでしょう」
「そうですか・・」
 それにしてもと、介入する間合いの的確さに、行長は舌を巻いた。ほんの少し早過ぎても慶雲自身が群れの餌食になるし、遅くてもいけない。あの微妙な一瞬を推し量って介入する勘働きは、人間というものを良く知らずして出来る芸当ではなかった。
 京の町で出会ったときも喧嘩慣れしていると感心したが、今、それが行長を救った。
 その慶雲はと見れば、相手を徹底的に痛めつけたようで、意気揚々と人混みをかき分けて別院の方へと歩き出している。こちらにやって来ないのが彼らしく、計算し尽くされていて、行長をまたも感心させた。
「いい気味ですよ。殴られた痛みが分かるでしょう。でも、話せば分かる、暴力は止せ、には臍が茶を湧かしますよね。笑わせてくれますよ」
 通念は、人だかりに目をやって言った。
 そのとき、風にそよぐように木々の葉が鳴り始めた。
 誰もが顔を上げて辺りの木群れを見たが、それほどの風は吹いてはいない。風もないのに葉擦れは次第に大きくなり、まるで大風が吹きまくっているかのような音だけが聞こえ始めたのである。それは、あたかも山が鳴っている感があり、音の津波が襲って来るようにも思えた。
 突発的で、あまりに異常な現象に大勢の堂衆たちは何事が起こったのかと、山の上の方を仰いで茫然と立ちつくしている。
「山猿どもの大群ですぞ」
 目の見えないはずの生仏が言った。
 猿は魔除けとされ、一匹二匹なら厩の柱に繋がれていたりするのだが、大群となると話は違い、厄介以外の何者でもない。  
 木立が騒ぐ轟音の中に、キャッ、キャッという鳴き声が混じりだし、やがて猿の大群が見え始めた。
 夥しい数の猿の群は、木の葉を舞い散らせて木々を渡り、こちらに向かって来る。
「逃げましょう!」
 驚いた通念が慌てて言い、地に座ったままの行長の手を引っ張った。
「猿の群だ!」
 堂衆たちが叫び、なだれ込むように、一斉に充善院の建物内部に向かって駆けだした。日頃の仏姿の瞑想や座禅の修行はどこへやら、我先にと入り口でもみ合っている姿は浅ましく、見るに耐えない光景だった。
 猿の群れは充善院の屋根に姿を現し、広場にもドッとなだれ込んで来た。広場に取り残されているのは行長たち三人と、地上に倒れて唸っている覚清だけで、堂衆は皆、充善院の前で黒山となっている。
「もう間に合わない!」
 通念が悲鳴じみた声で叫んだ。
「大丈夫かーッ!」
 広場の端で声がし、見ると、錫杖を手にした慶雲がまたしてもこちらに走ってくるではないか。三人は両手で頭を覆い、背を丸めるようにして身を寄せ合った。
 猿たちは三人に飛び掛かり、後ろの群れから押されるように、次から次へと新手と入れ替わった。衣が引きちぎられ、熊手で体中を掻きむしられるような痛みが走った。 三人は押し倒されないように膝を踏ん張り、体に力を込めた。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・」
 目を固く閉じ、痛みに耐えている通念が唱名を唱えた。
「この畜生めらがッ!」
 頭を覆って身を屈めた脇から外を垣間見ると、錫杖を振り鳴らし、独り慶雲が猿の群れと闘っていた。孤軍奮闘をしているが、彼の背中にも歯を剥いた猿はへばり付いている。
 猿たちの荒々しい鳴き声と動作は、まるで狂気の嵐というより他に言い様もない。
それにしても、これ程の数の山猿が叡山のどこに潜んでいたのか。日本全国から集まったとしても、多すぎると思えるほどだった。神仏の仕業か、それとも魔界の意志なのか、日頃の猿とは全く性格を異にする大群が、突如として湧いて出たのである。あろうことか、仏の聖地とされる叡山でこの禍々しい光景が湧出することが腹立たしい。
 慶雲も、群れに圧倒されて遂に地面にひっくり返ったが、それでも凄まじい気迫で群がる猿と格闘していた。
 大群の猿に踏み付けにされ、引っ掻かれるが、次から次へと後続の猿が押し寄せてくるので、咬まれる暇がないだけマシなのかと、激痛を伴う非常事態の直中で妙に冷めた考えが過ぎる。人の思考とは不思議なもので、過酷な現実から逃避するためかと漠然と思った。
 と、三人が身を寄せ合っている体の間から、小猿がポトリと落ちてきた。小猿は、上から覗く三つの人の顔に驚いたのか、三人の囲みの中で暴れ回った。小猿も驚いたかも知れないが、行長たちも猿以上に驚愕し、先ず通念が悲鳴を上げて仰け反った。
「囲みを解くなッ!」
 行長が叫んだが、時既に遅く、猿の大群は三人の間になだれ込んだ。もう駄目だ、と観念したそのとき、生仏が突然、猿に向かって鋭い奇声を発した。
「キッ! キィ〜ッ! ギャ〜ッ!」
 と、人が発するとも思えない鋭利な奇声が辺りの大気を貫いたのである。
 それは声というより、音に近い感覚、否、何か巨大な怪鳥の啼き声を連想させた。いずれにしても、人間の喉から出る声だとは到底信じられなかった。恐怖で気がふれて何かの物の怪が取り憑いたか、陰陽師の妖術を使ったのかと行長は思った。
 次の瞬間、不思議なことが起こった。猿たちがパッと飛び退いたのだ。まるで目に見えない囲みで遮られているかのように、猿の群は三人から離れて移動を始めたのである。
 天を仰ぎ、生仏は奇声を発し続けている。近くの群れは明らかに奇声を嫌っていて、否、怖れるように行長たちと一線を画して緩慢な移動になり、彼方の群れは相変わらず猛り狂っていた。
 生仏は一際高い奇声を発した後、ピタリと声を止め、今度は琵琶を弾いた。どんな魔術を使ったのか、猿たちは、もうそれ以上行長たちの方へは近づこうとしなかった。
 充善院の前では、まだ蜂の巣を突っついたような騒ぎでごった返している。
「凄い・・。助かった・・」
 通念が、放心したような顔つきで呟いた。
 まったくだった。通念が言うように、生仏は人間離れしていると行長も思った。

  戻橋の姫    
      
        (一)
 猿の被害は多かれ少なかれ、毎年あった。建物の屋根や窓が壊されたり、運が悪ければ、当然、建物の内部や人にも害が及ぶことはあるが、この度のように多数の負傷者が出るのも珍しかった。
 一夜が明けた山門では、どの宿坊や寺院もが専ら猿騒動の話題で持ちきりになり、あれほど盛り上がっていた蜂起への熱気もどこへやら、一気に下火へと鎮火した観があった。
 一方の群れの狂気が他方の群れの狂気に消されたようなもので、いってみれば、毒を以て毒が制された形になったのである。
 数百人が一カ所に集まっていたことが怪我人の数を多くしたのだが、幸い、重傷者はいないようだった。猿のみに受けた負傷ではないにしても、一連の騒動で最大の被害を蒙ったのは行長に覚清、それに猿の群れと格闘した慶雲だといえようか。
 行長は足腰の痛みで歩くのさえ苦痛だったし、覚清は慶雲から一方的に殴られて顔を腫らし、前歯などを折られた上、猿から受けた傷も甚大だった。慶雲はといえば、体中引っ掻き傷だらけで、その上あちらこちらを咬まれて、どうやら猿の被害者の中では筆頭らしい。彼の周りには犠牲になった猿が点々としていたので、代償も小さいものではなかったようだ。
「災難でしたな・・」
 行長のいる西坂の別院に見舞いに訪れた生仏が、気の毒そうに言った。
「覚清どのを訴えてやりましょうよ」
 頭の引っ掻き傷を押さえて顔を歪めている通念が言う。
「ま、それは覚清どのに会った後で決めよう・・」
 猿騒動で当座の浄土宗への蜂起はうやむやになっているようだが、またいつ再燃するとも限らない。それは煽動者である覚清の動向如何にかかっている。彼が煽れば、同じ騒ぎはすぐにでも起こり得るのである。
 彼と会って決起を断念させることが出来れば、行長は、自分の足の負傷については不問に伏すつもりだった。元々、山門を大事に思えばこその決起であり、度が過ぎただけの話だ。だが、説得しても蜂起を捨てる考えがなければ話は違う。危険な人物を排除するには、今は絶好の機会でもある。
「慶雲どのは、どうされていますか?」
 行長は生仏に訊いた。
「体中、傷がないところを探すのが難しいほどですからな、さすがの彼も動けずに、部屋で安静にしていますよ。人でなく猿にやられたのが、どうにも腹に据えかねるようですの」
「そうですか」
「錫杖の代わりに太刀を手にしていたなら猿どもの手足をぶった切ってやったものをと、口だけは達者ですよ」
「あれだけの数の猿ですから、余程切れ味の良い名剣でなければ無理でしょうね」
 小首を傾げて通念が言う。
 行長はその言葉に、毛むじゃらな猿の手がスパッと切り落とされる光景が目に浮かんだ。
「それにしてもあの声、どうしたらあんな音のような声が出るのですか?」
「猿が私たちから離れましたが、どうしてですか?」
 通念と行長は、今でもあのときの光景が信じられない思いで生仏に訊いた。
「あれは鳥の啼き声の変形でして、猿がどうして離れたのかは私にも良く分かりませんが、声が恐怖を誘い、危険だと察知したせいでしょうかの」
「猿の言葉かと思っていましたよ。私の方がよっぽど驚きました」
「私も咄嗟にやったことで、効果があるかないかを判断する余裕はとてもありませんでしたから、猿たちが逃げて私も同様に驚いていますよ。喉が枯れたら威厳も失せ、元の木阿弥だと考えて琵琶に切り替えたのですが、猿どもはもう近づきませんでしたな・・」
 生仏は、通念に答えて言った。
 どこか肝の据わったところのある生仏だが、彼はあのとき、琵琶を弾きながら平家を語り始めたのである。阿鼻叫喚の様相を呈している充善院の墨衣と猿の群れを尻目に朗々と語る平家は、山猿の群れを追い払ったことと相まって、神々しささえ感じたほどだ。
「で、どうされますかの、青蓮院の方は・・」
 生仏が行長に訊いた。
 明日にでも山を下りようと予定していたのに、この足の具合では京の町まで行くのはとても無理だった。しかし、日にちを延ばすわけにはいかない。
「通念と二人で訪ねていただくしか、道はありますまいな。私は残ることにしましょう」
「そうですか。では、清澄どのも一緒にと申しておりますから、この度は清澄どのと三人で下りますか」 
「はい」
 通念も頷いた。
「明日は早立ちですから、私はこれからすぐに覚清どのと会ってきましよう。蜂起を断念しないとなれば、慈円和尚に事情を話してください」
 行長は生仏と通念に言った。
「私たちも一緒に参りましょうか?」
「いえ、私が一人で行く方がいいでしょう・・」
 行長は、生仏たちの申し出を断った。
 
 明朝、まだ暗い内に山を下りる三人を見送った後、行長は別院で出掛ける支度をし、杖をついて無動谷の護摩堂に向かった。
 足の痛みは承知の上で、這ってでも無動谷へ行こうと決心したのは、昨日、生仏に、東順の千日回峰行の七百日目も無事に満行し、次の段階である九日間のお堂の入りをしていると聞いたからだった。出来れば、その様子を自分の目で見ておきたいと思い、歩けないのは分かっているが、一度訪ねておこうと思い立ったのだ。
 護摩堂に籠もる九日間は、飲まず、食わず、眠らず、横にもならず、丑の刻の時分に仏前の水を閼伽井に汲みに行く以外は、ひたすら読経に明け暮れる荒行である。千日回峰行の七年もの期間に及ぶ修行に比べれば、足腰の痛みなどは束の間の苦痛に過ぎない。東順は脱水症状で睡魔と闘い、干上がった舌で一心不乱の経を唱えているはずだった。そんな場所を訪ねるのに、五体満足な野遊び気分で行く方が余程気が退ける。ささやかながら東順への敬意と、自分自身に行を課すつもりで出掛けたのである。
 覚悟はしていたが無動谷への道行きは、やはり難渋した。
 遅々として歩は進まないままに日は落ち、やがて、辺りは夜目も利かないほどの闇に包まれる。行長は背負っている菰を下ろし、用意してきた蕎麦粉の団子と菜漬けを暗闇の中で食した後、その夜は菰にくるまって横になった。
 痺れるような足腰の痛みに加えて、初秋の底冷えがする山中は想像していたよりも遙かに寒く、眠るどころではない。体を丸め、ガチガチと歯が鳴るのを押さえることも出来ずに天を見ると、夜空の星々が冴え渡って輝いていた。
 独り、黒い木群れの天辺に広がる無情な星空を眺めていると、生きていることさえ切なくなる。満天に散りばめられて光芒を放つ無数の星の群れは、階位、貴賤に仕分けされた人の配置を象徴しているようにも見え、自分はあの星たちの数に入っているのだろうか、と行長はふと思った。人の象徴だとしたら、少なくとも自分は生きているのだからどこかで光っているはずだが、どの星にも該当しそうにない。
(だったら、どこにいるんだ?)
 行長は自問し、
(はぐれ星か・・)
 と、胸の中で呟いた。
 そういえば生仏と初めて話したときに、我が身を称して、はぐれ者と表現したことがある。自分もそうだと彼は言ったが、もしも彼に目が見え、この煌びやかな星空を眺めたとしたら、生仏は自分の星だとどれかを指すだろうか、と行長は思った。はぐれ星であっても見えないだけで、あの星々の陰で光芒を放っているはずである。指をさせない星を愛しく思えるのは、寒空の下で震えている者の単なる感傷なのかと、切なさが増す。
 どこか、遠くで梟の鳴き声がした。
 行長は木立の闇間に視線を移し、凝視した。
 真っ暗闇で何も見えないのに、何かが潜んでいる気がする。精霊か、それとも魑魅魍魎か、目には定かでないが、とにかく何かがいるような気配が払拭出来ないままに、行長は闇間にジッと目を凝らした。
 暗闇に棲むものを霊魂だとか怨念だとか、死者が残した残滓か何かのように語るだけではまだ不十分で、これから生まれ出る様々な生命の魂も一緒に蠢いているのだと、闇は気配で伝えている気さえするのである。 
 仏教では、浄土は西方十万億土の彼方にあると説くが、実はすぐそこの闇に宿るのではないのか。行長は、降って湧いたような考えを捕まえようと沈思した。
 人とは不思議な生き物で、いないものをいると認識するから始末に負えない。
 精霊、物の怪、神、仏・・。誰も見た者はいない。否、見たという人もいるが、常に疑問が付帯することは否めない。にもかかわらず、自分では信じているのである。全く辻褄が合わないところが不思議の所以だった。
(これは面白い・・)
 目には定かでないものの、しかし疑いなく人が感応するもの、物の怪や魑魅魍魎の類を平家の語りに登場させたらどうかと、行長はふと思った。人の世に物の怪が棲んでいるのであれば、それが人の物語に色を添えても非難には当たらない。
(どのような物の怪か、鬼か・・)
 鬼は、人々の間で最も怖れられているものの一つである。鬼だとすれば、どんな鬼か。普通の鬼は面白くない。
(人が一番恐がるのは、どんな鬼か・・)
 どのような鬼かはまだ形にはならないが、行長は、とにかく平家で鬼を語ろうと決めた。あの生仏が、鬼の場面を語る姿を想像するだけでゾクゾクする。
(寒むッ・・)
 行長は、丸めた背中を一層縮めた。

 夜が明けて、また一日中山道を歩き詰め、やっと無動谷に辿り着いたのは、真夜中を少し回った時分だった。
 落ち葉に足を取られてひっくり返り、負傷した箇所を木の根本に打ち付けて息を呑んだかと思えば、起きあがってまた滑る。そんなことの連続で、道なき山道を歩き通したのである。それは丁度、無動谷へ行くのを悪鬼がわざと邪魔しているようでもあり、またやってみろと、行長は暗い闘志をたぎらせた。それは、五徳の冠者と虐められ、尻尾を巻いて逃げ出した自分とも思えない内なる闘志だった。
 行長は、歯を食いしばって邪魔をする悪鬼と闘い、歩き続けた。
 それでも、読経を耳にし、やっと目指す無動寺の灯りが見えたときには、さすがに命拾いをしたような感動があった。人の気配をこれほど有り難いと思ったことはない。そこには、生きている人の温もりがあった。
 護摩堂の前には松明が灯り、居並ぶ沢山の僧たちが堂に籠もっている東順を励ますように、声太に読経する般若経が夜の無動谷に木霊している。行長は、痺れて殆ど感覚のない足を引きずり、杖で体を支えながら、藪に覆われた細い道を下りた。
 護摩堂をすぐ下に見下ろす場所まで来たとき、誰かが座っているのが目が止まった。 墨染めの衣が暗がりにまぎれてはいたが、剃髪で人影だと知れた。杖を肩に当て、身を支えるようにして座っている。僧らしかったが、だとすれば皆と一緒でないのが不可解で、
「そこにおられるのは、どなたでしょうか?」
 と、行長は声をかけた。
 僧が振り向いた。慶雲だった。
「あなたは、慶雲どのではありませんか」
 行長は驚いて言った。
 生仏の話では、猿の群れと闘った負傷で動けずに、寝込んでいるはずだった。
「やあ、浄月どのですね」
 慶雲は、行長の名を口にして会釈をした。
「大事ないのですか? 生仏どのから、大分傷を負われたと聞きましたが」
「大したことはありません。それより、どうして浄月どのが、ここに?」
「私は、東順さまのお姿を見たいと思い、やって来たのですが・・」
「そうですか。もう半刻もすれば、お水取りに出てこられると思います」
 慶雲はそう言って、また護摩堂の方に向き直った。月明かりに涙の筋を見たような気がした。
「そこへ座ってもいいですか?」
 行長が聞くと、
「どうぞ」
 と、慶雲は頭を下げた。
 大したことはないと言ったが、行長と同じように、無理を押してここへ来たことは、気怠そうに杖を抱いている様子で大体見当はつく。
「皆さんと一緒に読経をされないのですか?」
「私はよそ者ですからな。ここで十分です。それより、あなたこそ怪我は大丈夫なのですか? あの集会で反対意見を述べるとは、正気の沙汰ではありませんでしたぞ」
「危ないところを助けていただき、有り難うございました」
 行長は、慶雲に頭を下げた。
「いえ、あなた方と遭遇した日のいざこざで迷惑をかけていると聞き、心を痛めていましたので、少しでもお役に立ちたいと思ったまでですよ」
「あれは、慶雲どのが原因ではないのです。相手に揚げ足を取られたようなものですから」
「そのように言って下さるとは。でも、山門は玉石混淆も甚だしいと思いませんか。あの護摩堂に籠もっておられる東順さまのようなお人もあれば、覚清みたいな悪僧もごろごろしていますからな。そうだ、覚清といえば、彼はどうしました? 検非違使を呼んで捕縛しますか?」
 護摩堂に目をやった慶雲が、また振り向いて言った。
「いえ、猿騒動の晩に充善院を訪ねて、蜂起を断念するようにと彼を説得しましたから、放っておきます」
「ほう、覚清は納得したのですか?」
「はい、何とか。あの負傷ですからすぐに行動するわけにも行かず、妥協が得策だと判断したのでしよう」
「そうですか。許すのなら、もう少し天誅を加えてやれば良かったですかな」
 慶雲は小さな笑い声を立てた。
「巧みな喧嘩で驚きましたよ」
 行長は、話の展開から思っていたことを口にした。
「困った気性ですよ。我ながら、手を焼いています。どうせならと、持金剛を気取ってもみましたが、上手く行きませんな。肝心要の、守るべきお人を殺してしまった・・」
 自嘲気味に言い、慶雲は嘆息した。持金剛とは釈尊を警護した者だが、後には仏とその聖域を守る仁王の姿に変わった。慶雲は、生仏が話していた千日回峰行で死んだ杜秋のことが、今でも悔やみきれない様子だった。
 負傷した体を押してこの無動谷にやって来たのは、杜秋を偲ぶためだったのかと、行長は思った。護摩堂に籠もっている東順に杜秋の姿を重ね、慶雲は独りで涙にくれていたのかも知れない。
「実は、私はもう山を下りますので、最後の名残にと、今日は此処に来たのです」
 慶雲は、言葉を継いで言った。
「黒谷へ帰られるのですか」
「いえ、僧を辞めようと決めたのです」
「還俗なさるのですか?」
 意外な返事に驚き、行長は訊いた。
「私は仏にも見放されているのでしょう。仏に仕えても辛いばかりで、もうこれ以上はとても耐えられそうにないのです」
「・・それは」
 青侍や山猿の群れと果敢に戦ったあの慶雲らしからぬ弱音で、行長は思わず慶雲の顔をのぞき込んだ。
「辞めるなら、以後は、神仏とはきっぱりと縁を切ります」
 その言い方には、自分の方から引導を渡すのだという毅然たる響きがあった。
「僧を辞めて、どうされるおつもりなのですか?」
 還俗しても辛さが消えるわけでもなかろうと案じて行長は訊いたが、慶雲は、言い難そうながらも、
「こんなどうしようもない身でも、望んでくれる家がありましてな。商家ですが、そこで生きてゆこうかと・・」
 と告白した。
「そうですか。では、妻を娶って商いをなさるのですね」
「はい」
 慶雲は頭に手をやり、ちょっと恥ずかしそうに頷いた。
「なかなか、隅に置けませんな」
 行長は軽口をたたいた。
「いやはや、申し訳ない・・」
「謝ることはありませんよ。で、どんなご縁だったのですか? よかったら、聞かせてくれませんか?」
「はい。是非にとあらば・・」
 慶雲は護摩堂に視線を投げて、語り始めた。

        (二)
 慶雲がその娘と出会ったのは、堀川一条戻橋のたもとだった。初夏とはいえ、風もない蒸し暑い日暮れ時で、慶雲は所用を済ませて黒谷へ戻る道を急いでいた。
 渡るはずの戻橋のたもとまで来たとき、市女笠の旅装の娘と、六十の坂はとうに越したと思しい年寄りがしゃがみ込んでいるのを見つけて、彼は足を止めた。
「どうかされたのかな?」
 慶雲は二人に声をかけた。
「旅の空で、お嬢さまの持病が出て難儀をしております。どなたかは知りませんが、お助け願えませんか?」
 これも旅姿の、娘の従者らしい年寄りが立ち上がって白髪頭を下げた。助けてくれと言われても、辺りに知り合いの家はないし、病の知識があるわけでもない。余計なことをしたと臍をかんだが後の祭りで、それでも一応、
「どこから参られたのか?」
 と、訊いてみた。
「住まいは上鳥羽ですが、持病の癪に利く妙法を習得された法師が大原にいらっしゃると聞き、そこを訪ねた帰りでございます」
「なるほどな。その帰りに持病が出るとは、法師か妙法かの何れかが似非か・・」
「滅相もないことを、ただこの度は上手くいかなかっただけのことで・・」
「法師が似非でも妙法が本物なら利くだろうし、その反対でも大差なかろうから、早い話が両方とも似非で、どうやら、つまらん噂に踊らされたようじゃな。山奥の法師が皆、有り難いというものでもないぞ」
「・・・」
 歯に衣着せぬ慶雲の物の言い様に、従者は怖れをなしたらしく、黙り込んでしまった。
「まあ、いいじゃろ。これも何かの縁じゃ。行けるところまで、わしが負ぶっていってやろう。」
 声をかけたからには放って置けないのが慶雲の性分でもあり、となると、負ぶってやるしか妙案は浮かばなかったのである。
「これ娘、わしが負ぶってやるから、背に乗りなされ」
 慶雲は娘に背を向けてしゃがみ込んだ。
 老いた従者は慌てて、
「いくら何でも、お坊さまにそんなことをしていただくのは・・」
 と、当惑しているようだが、慶雲は構わずに、
「さ、早く!」
 と躊躇する娘を促した。
「どこか、休ませていただく家を探す方が良いと思って、数軒ばかり当たっては見たのですが、どこも皆、体よく断られました」
 従者は、言葉を継いで言った。
「世間とはそうしたものよ。さ、早う・・」
「はい・・」
 観念したようにか細い声を出し、娘は慶雲の肩に手を掛けた。
 体臭と混ざった娘の黒髪の匂いが、生暖かい大気に混ざって慶雲の鼻先を過ぎる。娘は想像していたよりずっと軽く、慶雲は、錫杖の代わりに手にしていた六尺の樫棒を従者に渡して歩き出した。
「京の外れまで行けば宿もあろう。そこまでの辛抱じゃ・・」
 慶雲は、厄介を背負い込む羽目となった自分の慰めに呟いたのだが、背中の娘が、
「はい」
 と小さな返事をした。
「名は何という?」
 返事のついでに、慶雲は娘に尋ねた。
「余次と申します」
 従者が答えた。
「娘の名がか?」
「いえ、私の名です」
「おまえさまの名を聞いたのではないわ。娘の名じゃ」
「お嬢さまの名は、すずと申します」
「すず、か。娘の名はともかく、余次とはまた変わった名じゃのう。余りの次となれば、親にしてみれば、どうでも良かったのかの」
「物が豊かに留まるという意味ですぞ! 通りがかった偉い僧が名付けたのです」
 腹立たしげに余次は、慶雲の言った意味を訂正した。
「ほう、だとすると、名前負けするのではないか?」
「私は気に入っております。あなたのお名前は?」
「慶雲じゃ、良い名じゃろうが」
「あなたさまは、名前負けをなさらないので?」
 余次も負けずに、嫌みを言い返した。
「罰当たりめが、僧にそういう口を利くと天罰が下ろうぞ!」
「・・・」
「まあいいわ。すずどの、具合はどうじゃ?」
 少し気分を害した様子の余次には構わず、慶雲は振り向いて、背中の娘に訊いた。
 娘は顔を背けた。
 反対側から振り向いても、また違う方へ顔を向けてしまう。二、三回同じことを繰り返しても、すずの反応は同じだった。
 市女笠を被ってしゃがんでいた娘を背負おうと、自分も背を向けてしゃがんだので、彼女の顔はまだ見ていない。暗くならない内に娘の顔を見ておくかと思ったのだが、大門の奥のお姫さまでもあるまいし、市井の娘であるすずが顔を見せようとしないのはいかにも不自然で、不可解だった。単なる恥ずかしさだけなのか、それとも、と慶雲は考えた。魔物ということもあり得る。
 二人を見かけたのは戻橋のたもとである。
 橋の上で死者が生き返ったとされるのが戻橋の由来であり、陰陽師の安陪晴明が、十二体の人形を橋の下に封じ込めているとも伝えられている。打ち首になる罪人が粟田口の刑場へ引かれていくときに渡る橋でもあり、つまり、いわくのある場所で二人と出会ったことになるのだ。
 いみじくも、ちょうど時刻も逢魔が刻。ひょっとすると、冥界の物の怪が弱そうな年寄りと若い娘の姿を借りて、戻橋からこの世に出てきたのではないかと、あらぬ妄念が湧いた。阿闍梨となるはずだった杜秋を死に追いやったせいかもと、慶雲には思い当たる節があった。
 横を余次が矍鑠として歩いている。彼に罰当たりと言ったが、罰に当たるのが自分だとしたら間が抜けた話だ。
「すずどの・・」
 慶雲は、今度は振り向かずに、また背中の娘に声をかけた。
 妄想とは始末に悪いもので、もしも、「お顔を見せてくだされ」と言って振り向こうものなら、「この顔をか〜ッ」と、耳まで口の裂けた赤鬼の顔が現れそうで、声まで細くなるのが情けない。
「はい・・」
 すずの返事に不穏な気配はなかった。
「実家は何をなさる家柄かな?」
 背負っているものが魔性の類かどうかが問題で、家の職業など興味はないのに、慶雲は行きがかりで訊いた。
「油を商っております」
「ほう・・」
「ですから私どもは、比叡山とは浅からぬ縁があるのですぞ。灯火なしには夜のお務めは適いませんからな」
 横から、余次が得意げに口を挟む。
「寺門に縁しながら持病持ちとは、難儀なことよのう」
「それがお家の悩みで、病のためにお嬢さまはお嫁にも行けません・・」
「だったら、わしが祈祷して進ぜようか」
 殆ど口から出任せだったが、それは物の怪が本性を現すのを少しでも先延ばしにしたかったからで、もし娘たちが物の怪ではないにしても、祈祷さえすればそれで済むと計算したのである。祈祷料が入れば一石二鳥だ。
 祈祷が利くかどうかは全く自信がない。というより、利かないと確信している。何故なら、杜秋の命運を祈り、慶雲は骨折の身をおして、一週間もぶっ続けで祈祷に没頭したこともあるのだ。結果は無惨だった。
「あなたさまは、祈祷もなさるので?」
 余次が、疑わしそうな口調で訊いた。
「おうさ、わしの霊験あらたかな祈祷を受ければ、癪の種など一遍に吹っ飛んでしまうわ」
「私どもは、沢山の偉いお坊さまにお願いしましたが、駄目だったのですぞ」
「それは偉いお坊さまが駄目だっただけで、わしのは一味違うのじゃ!」
「是非、お願いいたします」
 哀願するように、背中のすずが言った。
 藁にも縋りたい気持が伝わり、物の怪にしては演技が上手いと慶雲は思った。物の怪なら多分強敵であり、普通の娘なら一層哀れで、何れにしても慶雲には気の重いことだった。
「降ろして下さい」
 小半時も歩いた頃か、背中で、すずがか細い声を出した。
「もう大分気分も良いので、少し歩きます」
「おう、そうですか。それは結構・・」
 慶雲はその場にしゃがんですずを降ろし、ゆっくりと彼女を仰ぎ見た。笠の下の顔は薄闇でもくっきりと浮かび上がるほどに色白で、目鼻立ちのはっきりしている美形であった。
 すずは、涼しげな目元を緩めて微笑み、頭を下げた。
「これはこれは、魔性の物かと思えば観音さまであったか・・」
 固唾を呑む思いですずを見つめて、慶雲は言った。
「何ですかな、魔性とは」
 ポロリと出た慶雲の本音を、余次は見逃さなかった。
「途方もない魅力を称して、魔性と言い表すことは多々あるのじゃ。ま、僧独特の言い回しじゃな」
 適当に取り繕い、慶雲は余次を煙に巻いた。

「美しい女人を物の怪と勘違いするなどとは、慶雲どのも結構慌て者ですな」
 慶雲の話を聞いて、行長は笑い声を立てた。
「いや、面目ない。わしは、どうも物の怪や妖怪の類が苦手で・・」
 慶雲は頭に手を置き、首を捻って言った。
「それで、祈祷はされたのですか?」
「はい・・」
「結果は?」
「どうしたわけか、それが治癒したのですよ」
「へえ、霊験あらたかだったのですね」
「そうです。何故だか分かりませんが、痩せ細っていた体も、今では普通の娘さんと殆ど変わらないほどに快復しましてな・・」
「そうですか。持病が治ったとあれば、すずどのの親御さんも感謝されたことでしょうな」
「はい。大変なものでした」
「で、婚儀へと?」
 畳み掛けるように行長は訊いたが、慶雲は、
「う〜ん」
 と唸り、
「あまり誉められた話ではありませんがの、それほど単純でもなかったのです」
 と、言った。
「と言われると?」
「行きがかりといいますか、わしは、もうその時には僧を辞めようと思っていましたからな、祈祷の前に、これが慶雲最後の祈祷で、生涯行うであろう祈祷の全てを此処に集中するので、もし失敗しても二度目はないのは勿論、失敗しなくても僧を辞めると、すずどのの家族に宣言して祈祷に臨んだのです」
「・・・」
「家族の皆はそれ程までにと、わしの決意に甚く恐縮しましての・・」
「・・なるほど」
「いってみれば、仁王経しか知らない似非祈祷師が、一世一代の大騙りを打ったのですな」
「・・・」
「似非ですし祈祷しても実りはないと思っていましたから、襤褸を隠すためにも尚更本気になり、禊ぎに入った後、すずどのの家で、一週間、一心不乱の祈祷を続けたのです」
「・・・」
「祈祷を終えた後、体は衰弱していましたが、気持は充実していました。僧への未練は全くなく、晴れ晴れとした気分でした」
「その時を以て僧を、辞したと?」
「いえ、今日の護摩堂を出られる東順さまのお姿を、この目で確認した後で辞めようと決めていたのです。だから、今日はどうしても此処へ来たかった・・」
 慶雲は、ふいに声を詰まらせた。
 歩けないほどの怪我を承知の上で、這うようにして此処に来た男は、もう一人いたのである。
「ともあれ、すずどのが治癒されたのは祝着至極です。親御さんも、慶雲どのの、僧としての生命を懸けた祈祷に感謝し、娘の婿にと望まれたのでしょうな・・」
「似非祈祷師の嘘から出た真ですが、これからは、一人の女人のために生きてゆこうと思います」
「それも人生ですな・・」 
「そう思います」
 いい話だと行長は思った。還俗して睦まじく家族と暮らす。悪いわけがない。
 慶雲が若い女を鬼と勘違いしたのも意外で、行長には面白かった。否、面白いだけでなく、平家に使える気がする。美しく若い女が鬼になるとは、考えただけでもゾクゾクするではないかと行長は思った。
 そろそろお水取りの時刻が迫ったのか、夜の無動谷に朗々と木霊している僧たちの読経が一段と高くなった。
「東順さまが出てこられるのかな?」
「そのようですな」
 行長の呟きに、慶雲が頷いた。
 護摩堂の前の道に向かい合って並ぶ剃髪染衣の一群に、ピリッと緊張感が張り詰めているのが傍目にも分かる。
「出てこられますぞ」
 慶雲がそう言ったとき、護摩堂の戸が開いて白装束の人影が現れた。
 東順だった。
 松明に照らし出された東順は憔悴の極みにあるようだが、それでも、足元を確かめるように一歩一歩と進んで護摩堂を下りると、両脇に並んで読経する僧たちに頭を下げ、気丈に湧き水のある閼伽井へと歩き出した。その姿は、弱り切った肉体を内面の精神が凛として奮い立たせているように見え、祈祷した慶雲の、体は衰弱していたが気持ちは充実していたという言葉に重なった。
「しっかりしたご様子ですね」
「はい」
 合掌している慶雲が答え、東順に向かって頭を下げた。
「あのご様子なら、護摩堂の満行は成りそうですね・・」
「はい。そう願いたいものですの」
「でも、慶雲どのはどうして満行の日ではなく、今日此処へ来られたのですか?」
 行長は思い立ってやって来たのだが、慶雲は此処へ来る目的で叡山に登ったはずで、だとすれば、どうして行の区切りとなる満行の日を選ばなかったのかと、疑問が湧いた。多分、二日か三日後が満行の日であり、その日を選べば猿騒動での負傷も少しは癒え、尚更、都合が良いように思えたのだ。
「生仏どのから既に話は聞き及びかも知れませんが、わしは千日回峰行をされていた杜秋さまを死なせていましてな。東順さまの満行は願いながらも、どうしても、その満行の日のお姿を見る勇気は持ち得ませんでした。情けない男です・・」
「そうでしたか・・」
 行長は頷いて言った。慶雲の気持は分かる気がした。杜秋の死への苦悩が深いだけに、東順の行を見守る辛さは生半可なものではなかったのかも知れない。
「でも、もうお忘れなさい。あなたがいつまでも嘆き悲しんでいては、あの世の杜秋さまも心は晴れますまい」
「・・・」
 慶雲は目元を緩め、無言で頭を下げた。
 夜の無動谷には、まだ止む気配もなく読経の声が響いていた。

        (三)
 行長が無動谷から戻るのと、通念たちが粟田口の青蓮院から山に戻り着いた時刻は、殆ど同時だった。やっとの思いで帰り着き、別院の前でへたり込んでいたときに、後ろで、彼らの足音が聞こえたのである。正午の日差しのせいではなく、微熱か冷や汗か判然としない汗が額に浮き、疲労困憊していた。晴れ晴れとした気分とはほど遠いが、無動谷へ行くという望みだけは達成し、ささやかな行は満行した。
「どうされたのですか、そのお姿は!」
 通念が駆け寄って来て、行長の背中の菰を解いた。
「衣も、よれよれじゃないですか・・」
「ちょっと、無動谷まで行って来たのだよ」
「そのお体で、ですか?」
「もう済んだことだ。で、どうだった? 粟田口の方は?」
「慈円和尚は大変お喜びでございました。青蓮院の方々は勿論、大懺院の方々もお集まりで、皆さまからお褒めにあずかりました。そうですよね、生仏どの?」
「はい。大懺院では、役立ちそうな資料を早急に用意して届けて下さるとのことでしたぞ。院の方々は、慈円和尚の仕事を一時中止して、総力を挙げて平家に協力するらしく、これは慈円和尚の指示だとかで、結構な案配になりましたな。積もる話はありますが、先ずは中に入って、傷の手当てや着替えなどをされないと・・」
 生仏は言い、通念と二人で行長の小脇を抱えるようにして院の中へ入れた。
 桶の水で手足を洗い、体を拭き清めて衣を改めると、少しは疲れが癒される気がする。
 旅装を解きもせずに世話をしてくれた通念と生仏に礼を言って、文机の前に座り、行長は、しばらくぼんやりとした視線を窓の外になげていた。
 変哲もない日常の一時なのに、かけがえのない時間の中に身を置いている気持になり、生きていることの不思議さが込み上げてくる。厳密には、生かされて生きているということなのだろうが、不思議な思いに変わりはない。ただ、通念や生仏、慈円や大懺院の面々の存在が有り難く、ほのぼのとした心持ちにさせてくれるのが行長には嬉しかった。
「旅の垢を落として着替えたら、すっきりしました」
 裏の方から通念が戻ってきた。
「驚いたことに、慈円和尚は浄土宗に対する蜂起騒ぎがあったことを、もう知っておいででした。早耳ですよね」
「ほう、早いな・・」
「浄月さまが騒ぎを阻止されたことも知っておられて、良くやったと申されましたから、では、ご褒美を頂けますかと訊いてみました」
「おい、おい。慈円和尚にそんなことを申し上げたのか? あきれたやつだな・・」
「当然のことですよ」
 通念は言った。
「どんな物が来るのか分かりませんが、後で送り届けると申されました」
「・・・」
 行長は苦言を呈する余裕もなく、苦笑した。
 止めようとはしたが、正確には、行長一人が蜂起を阻止したわけではない。慶雲の介入や山猿の大群の絶妙な関わりがあったから、自然消滅へ働いただけなのである。行長は通念の若さの暴走を一言たしなめておきたかったが、今は疲れてそれどころではなかった。
「それから、慈円和尚が申しておられましたが、年が明けた適当な時期に大懺院で平家の追悼法要を行い、その折に、平家語りを聴く会を催したいとのことでした。明言はされなかったものの、あの公家の、蝶門とかいう一派も招かれるようです」
「ほう、そうか。法要の折にの・・」
 行長個人で取り掛かった平家の語りが、新しい方向へと進んでゆく気配があった。
「通念どのの衣を借り、お陰でさっぱりしました」
 生仏が入ってきた。 
「どうやら、平家の語りが一大事業として回り始めるようですな」
 生仏は言葉を繋いで、通念の隣に座した。
「平家は、保元や平治の語りとは確かに聴き手の反応が違います。水を打ったように静かになり、語っていると、皆が固唾を呑んでいる様が目に見えるようです。琵琶の音も冴えますよ」
 微笑んで、生仏が言う。
「保元や平治は興味の対象も限られていますが、その意味では、平家は万人向きなのでしょうね」
 行長が言った。
「それもありますが、やはり、語りの出来が素晴らしいからだと思います」
「生仏どのにそう言ってもらえるのが、何よりの励みですな。励みついでに言うと、実は、平家に鬼を登場させようと思うのです」
「鬼、ですか?」
「そうです。本筋ではありませんが、長くなる物語ですから、少しは余興が入っても悪くはないかと・・」
「ほう・・」
「無動谷で慶雲どのと遇いまして、そこで聞いた、彼の身の上話に出てきた鬼に興味を惹かれたのです」
「彼が鬼に遭ったと?」
「いえ、慶雲どのは、若くて美しい娘御を単に鬼と勘違いされただけですが、そこが面白いと思ったのです。それと、猿騒動のときに、慶雲どのがもしも太刀を持っていれば、と生仏どのが話していたのも、想像を膨らませてくれました」
「・・・」
「私の頭の中で、切り落とされた毛むじゃらな猿の手が、毛深い鬼の手に重なったのです」
「・・・」
「場所は真夜中の一条戻橋。慶雲どのは娘を鬼だと思いましたが、平家の登場人物は、鬼を若くて美しい娘だと勘違いするのです。丁度戻橋の付近を馬で通りがかった男は、声をかけてその娘を家まで送り届けようとします。整った身なりの美しい娘は、途中の馬上で、鬼の顔で振り返るのです。どうですか?」
「面白そうですな」
「断然、怖いですよ!」
 生仏と通念は同時に肯いて、言った。
「ならば決まりです。次には、鬼の段から先に取り掛かりましょう」
「そうですか。では出来上がりを楽しみに待つとして、声の様子では、今日はさすがに疲れておられるようだから、私はこの辺で暇をしましょう」
 生仏は行長の体を気遣い、長居をせずに立ち上がった。
「私は、生仏どのを送ってきますから」
 通念が続いて言った。
「ああ、ご苦労だが、そうしておくれ」
 通念と生仏が腰を上げて部屋を出ていった後で、行長はその場に横になって、鬼となる女の背景を想像で探った。平家の筋だから、登場させるのは公家の姫が適当だとしても、なぜ鬼になるのかは様々な理由が考えられた。しかし、若い女の怨念といえば、個人的な男関係の絡みに材を取るのが自然なように思える。通い婚の仮初めの妻として待つ身には、男と、恋敵の女以外に怨念を向ける対象はない。
 行長は想像を膨らませようとするものの、忍び寄る眠気に抗しきれずに、いつしか深い眠りへと落ちていった。

四、五日を経ただけで朝晩はめっきり冷え込むようになり、比叡山の木々も色付きを濃くし始める頃、粟田口からの贈与の品が行長の元に届いた。
 山暮らしで風邪など引かぬようにと、冬物の衣や夜具、食料から珍しい菓子の類に至るまで、品物には慈円の心尽くしの配慮が窺われた。のみならず、平家の資料に使うべく大懺院に協力を求めていた大陸の文献その他も、要領よく纏められたものが山のように送られてきたのである。
 使いの者に託された手紙には、年明けの平家追悼の件にも触れ、蝶門一派の平家語りと交互に演じる場としたい旨が記されていた。それは競演というべきもので、慈円の覚悟と、行長に寄せる並々ならぬ期待のほどが滲んでいた。
 賽は投げられたのである。
 行長は、競演の件は慈円の意向のままに従うと返信をしたためた。
 身の引き締まる思いだったが、同時に、初陣に向かう若武者のように、思いもしなかった内なる血の騒ぎも感じていた。
 蝶門との対決は、五徳の冠者と嘲られた男が目にものを見せるための千載一遇の機会でもあるのだ。皆が喜ぶものを書きたいという思いに聊かの揺らぎもないが、行長は、今はっきりと、蝶門に、五徳の冠者の実力を見せつけてやろうと決心した。無官となって一度は逃げたが、自分なりの奈落は覗いている。人生の地獄は味わっているのだ。以前のような柔な男ではないつもりだった。
「どうですか?」
 行長は、生仏に訊いた。
「鬼と化すほどの女の怨念とは、恐いものですなァ。女にあらざる身には想像もつきませんが・・」
 生仏は、通念が素読した剣の巻を聞いた後、そう言って唸った。
 剣の巻が仕上がると聞き、彼は朝早くから、一人で西坂の院を訪ねて来ていたのである。
「でもこの鬼は、最初は好いた男と恋敵を恨みに思っていたのに、最後には際限がなくなって、相手構わず襲ってしまいますよね」
 手にしている墨書きの紙束を文机に置いて、通念が言った。
「恨む相手が二人だと限定された効力なら類は及ばないでしようが、鬼となって特別な力を持てば、それをのべつなく行使したくなるのが性というものですかの」
 生仏が、通念に答えるように言う。
「それもあるでしようが、私は平家を聴いている人々に、この鬼はひょっとしたら自分にも襲いかかってくるかも知れない、という含みを持たせておきたかったのです。人間の倫理の埒外にあれば、これほど恐いものもありませんからね。物わかりのいい鬼というのはある意味で魅力に欠け、鬼ではなくなりますから・・」
「なるほど」
 生仏が、行長に頷いた。
「鬼になるくだりで、姫は頭に鉄輪をのせて松明を立てますよね。三本足の鉄輪とは五徳だと思うのですが?」
 通念が、また訊いた。
「その通り、五徳だな。私と平家の関わりにはそれなりの理念があって、通念が望むような形で作者名は残せないが、五徳の冠者と呼ばれた男の無念の冠を、怨念の鬼と化す女に被ってもらおうと思ったのだよ」
「鉄輪は、恨みの象徴ですか・・」
 生仏が笑んで言った。
「そうですな。いわば、恨みを持つ私の企みですな。分かる人には分かるでしよう」
 行長も微笑んで言った。
「分かる人とは、誰を指しているのですか?」
「今は、言わぬが花だろう」
 行長は、通念の問いにも笑みで返した。

  琵琶比べ 
 
        (一)   
 秋も深まり、初冬となって、やがて比叡の山々にはうっすらと初雪が積もった。
 行長のいる西坂の別院には、吉水の大懺院から度々人が訪れるようになり、それに比例して、平家の執筆の方も格段に捗るようになっていた。山門の図書寮で自ら調べものをしたり、京へ下りて人と会ったりする必要がなくなったからである。知りたい要望事項を本院の者に伝えるだけで、十分な資料がたちまち手元に届けられるので、行長は書くことだけに精力をそそげばよかった。
 収集に骨が折れるだろうと予想される事柄でさえも、それは思いがけない早さで作成され、行長を驚かせた。大懺院の面々の意気込みが伝わって来るような気がする。
 追い立てられるように筆を進める行長だったが、書き上げたものを片っ端から頭に叩き込んでゆく生仏の記憶力にも、唖然とさせられた。生仏とはよくいったもので、まさに仏の頭を持っているとしか思えない暗記能力だった。
 通念の話では、彼が節を付けて読み上げる平家に、生仏は琵琶の合いの手を入れ、あたかも遊び半分の様子なのに、しっかりと覚えてしまうというのである。
 ともあれ、これ以上は望み得ないという整った環境にあり、これでいいものが書けなければ、行長の能力不足をいわれても仕方がない。否、仕方がないで済まされる段階はとうに過ぎていた。今や、一大事業として、出来の良い平家を仕上げることが求められているのである。自分一人の能力の問題として片づけるわけにはいかなかった。
(遊び半分か・・)
 楽しむ余裕をもって書く。行長は、生仏に教えられる思いがした。
 外は小雪がちらついている。
 通念も東坂へ行っていることだし、と行長は一人で屋外へ出た。
 護摩堂での修行者のように、ここ数日間は部屋に籠もりっきりだったのである。籠もるのは一向に苦痛ではないものの、少しは目先を変えて小休止をしようと思い立ったのだ。
 途中で坂本方面に下って行く寒修行の一団と出会い、行長は路傍に避けて合掌した。
 まだ若い僧たちだったが、一心不乱に経を唱え、前を通り過ぎていった。地位や欲のみに血道を上げる悪僧も確かに多いが、仏教の道を究めようとする若い芽も確実に育っているのである。正悪を包含して混沌とする山門のさまは、社会の縮図のようでもあった。
 寒い中をしばらく散策し、別院への道を戻ろうとしたとき、すぐ先で脇の石に腰を降ろしている旅装の老人に目がとまった。
 会釈をして通り過ぎようとすると、
「ちと、道を尋ねたいのですが」
 と、老人は片手で笠を持ち上げるようにして、頭を下げた。
「大懺院の西坂別院にいらっしゃる中山行長さまを訪ねる者ですが、ここら辺りに、その別院はありますでしょうかな?」
「別院の中山なら私ですが、あなたは?」
「あらッ、それは丁度良いところで出会いました。私は上鳥羽の富田屋芳隆の使いで参じた者で、余次と申します」
「上鳥羽の富田屋芳隆どの。はて?」
「僧名は、慶雲と申していました」
 余次と名乗る老人は、訝る行長に言った。
「おう、慶雲どのの使いか。で、あなたは余次とおっしゃる・・」
 行長は破願して大きく肯いた。
 慶雲が戻橋で背負った娘の従者が余次で、慶雲は彼ら二人を、物の怪の類と勘違いしたのであった。聞いた話の内容がどこか現実離れしているせいか、行長は、余次が遠い昔語りの中から突然抜け出てきたような気がして、彼をつま先から頭の天辺まで眺め回した。
「私の格好が、どうかしましたかな?」
 余次は、訝しそうな顔をして言った。
「いえ、慶雲どのからあなたのことは少し聞いていたので、それで・・」
 慌てて手を振ったものの、可笑しさは消えなかった。
「また、どうせ悪口でしょうかの」
「いえ、悪口は聞いていません。で、慶雲どのは上鳥羽の商家に入られたので?」
「はい。かれこれ、一月ばかりになります」
「彼の評判はどうですか?」
「いい婿どのだと評判です。何せ、お嬢さまの難病をたった一度の祈祷で治されたのですから。だが胡散臭さも、なきにしもあらずで、傍からではよく分からないお人ですな」
 慶雲の胡散臭さは、愛嬌である。見えない真摯な性格の裏にちょこっと付いている黒子のようなもので、むしろ好ましいくらいだ。
「で、この私に用とは?」
「婿どのから書状を預かって参りました。これです」
 余次は懐を探って封書を取り出し、行長に手渡した。
「生仏とかいわれる琵琶法師どのにも会って、お変わりないか様子を見てくるようにと、言づかっているのですが・・」
「生仏どのなら東坂の方にお住まいです。この道を真っ直ぐに行かれて、坂口早尾社を下りた場所ですので、すぐに分かります」
「そうですか。では早速、訪ねてみましょう」
「私の院で、暖をとって行かれませんか?」
「有り難いお申し出ですが、用を済まさねば落ち着きませんのでな。私はこれで・・」
 律儀な質らしい余次は、丁寧に頭を下げて東坂への道を歩いていった。
 行長は余次の後ろ姿を見送り、彼が腰を降ろしていた石に座って、受け取った手紙を開いてみた。
 喧嘩っ早い慶雲からは想像出来ないほど繊細な筆致で書かれた文章は、近況に触れた後、蝶門の屋敷で得た情報がしたためてあった。
 それによると、富田屋の婿として、取引のある寺院や屋敷に顔見せの挨拶回りに赴いたときに、蝶門の家の郎等たちが、平家語りの競演について話しているのを小耳にはさんだというのである。彼らは主人を輿に乗せて、比叡山に登る羽目になりそうだと嘆息していたという。
 事情を詳しく訊いてみると、琵琶法師の暗記が蝶門の書き飛ばす平家語りに追いつかなくて、仕方なく、琵琶法師数人で割り当ての章段を受け持つという苦肉の策を困じたのだが、どこからか、生仏は一人で平家の語りをこなすとの噂が伝わり、蝶門派の面々は、生仏への興味共々、行長の平家がどういう出来か、叡山まで聴きに行こうと相成ったらしい。
 ところが、ここら辺が実に彼ららしいやり口で、各自が一人ずつ聴きに行けば、生仏の暗記も妨げられると悪知恵を働かしたのである。地位のある貴人がわざわざ叡山に登って生仏の平家を聴きに来たとあれば、断るわけにもいかないと踏んだのだ。
 時間をとられることで、生仏の新しい章段の暗記が不可能となれば年明けの競演に支障を来し、必然、他の琵琶法師も参加させることになる。そうなれば、複数の琵琶法師に語らせざるを得ない自分たち一派の顔も立つというものである。
 もしも生仏が病気と称して語りを避けても、彼らのことだ、病気で自分たちの懇願を拒んだくせに平家の暗記は出来たのかと、後で難癖をつけてくるのは明らかだった。表面上は生仏の噂を称える姿勢を装い、裏ではその足を引っ張るという企ては、まさに、彼らの真骨頂だといえる。
 慶雲の手紙によれば、その邪魔立てをする第一陣が、明日の午後には山に登ってくるはずだというのである。名前は久我道実。六十過ぎの、堀川中納言の親戚筋らしい。
(やれやれ、難儀なやつらだ・・)
 行長は慶雲からの手紙を懐に入れて、吐息をついた。
 
 別院に戻った行長は、文机の上に置いた慶雲の手紙を見つめて考え込んでいた。生仏以外の琵琶法師に、直接平家語りを伝えることなど思いもしなかったので、代わりの法師といっても、すぐには心当たりもない。だが、正当な言い訳がない以上、公家たちが生仏の身柄を彼らの傍に釘付けにしたとしても、手をこまねいて傍観するしかないのである。
「行長さま!」
 東坂に行っていた通念が、慌てた様子で生仏と共に帰ってきた。
「先ほど余次というお人に聞きましたが、大変なことになりましたよ!」
「知っているよ。慶雲どのが手紙で知らせてきたから・・」
「さて、どうしますかの」
 生仏も、思案顔をしていた。
「考えたのですが・・」
 二人が座るのを待って、行長が言った。
「彼らの企てを逆手に取りましよう。敵方の望み通りに事を運んでやればいいのです」
「と、言いますと?」
 生仏が聞き返した。
「山門や京の市中には大勢の琵琶法師がいますが、彼らも招いて同席させ、毎日、平家の語りを聴かせるのです。その後、章段を習得した琵琶法師の語りを生仏どのが聴いて、その法師の芸を生仏どのが納得されれば、彼を認定すればいいでしょう」
 この機会をうまく利用すれば、大勢の琵琶法師に平家の語りを一挙に伝えることが出来るのではないかと、行長は考えたのである。
 地位ある貴人たちが望んで聴きに来る平家語りであれば、何れの琵琶法師もが挙ってやって来るはずだった。いわば、敵方の貴人たちが、行長の平家を広めるために手を貸してくれるのである。悪知恵に、痛烈なしっぺ返しをしてやれるのだ。
 また、この方法なら、語りの調子から息づかい、琵琶の入れ方に至るまで、生仏のそれと全く同じ芸を均等に、大勢の琵琶法師に伝えることも可能だった。
「名を捨てて実を取る。妙案ですな」
 生仏が頷いた。
「でもそれでは、生仏どのには新しい平家の章段を覚える時間が取れませんよ」
 傍らの通念が、口をはさんだ。
「だから、名を捨てて実を取るのですよ。中には、素晴らしい琵琶法師の四、五人は必ずいますから、彼らの一人に新しい章段を覚えてもらえばよろしい。年明けの競演が、私一人の独壇場である必要は更々ありませんからな」
「そうです。どうせ、皆に広める質のものですからね。生仏どのには良い弟子を選ぶ機会にもなって、一挙両得ですよ」
 行長は言った。
「でも、公家の方々は、琵琶法師との同席を承知するでしょうか?」
 通念は、半信半疑の面持ちだった。
「それが、問題だな。知恵を絞る必要がある」
「簡単ですよ。貴賓席を設ければいいのです」
 生仏が、即座に答えた。
「貴賓席ですか?」
「お堂を屏風で仕切り、入り口も別にすれば何の問題もありますまい」
「なるほど・・」
「公家のお方に琵琶法師の姿は見えませんし、屏風の後ろに座そうとも、琵琶法師は、私の語りの声が聞こえればいいのですからの」
「さすがは生仏どの。それなら、文句は言えませんね」
 通念も笑みを浮かべて頷いた。
 会場は同じでも、きちんと仕切りを設けて特別扱いをしているという誠意こそが、彼らの関心事なのである。筋さえ通していれば、通念の言うように、相手方に文句はないはずだった。
「となると、善は急げだ。通念、早速大講堂に屏風を設置するよう手配し、同時に、山門の琵琶法師全員に、語りを聴きに集まるよう段取りをしてくれ」
「分かりました。序でに黒谷の別所にもこの件を伝えるように、誰かに使いを頼んできます。京の市中には、そこからまた伝令を走らせれば済みますから」
 そう言って通念は立ち上がり、部屋を出ていった。
「面白くなってきましたな。公家のお歴々も、最後には、歯ぎしりをして口惜しがることでしょうの・・」
 生仏が言った。
「策士、策に溺れるとはこのことでしょう」
 行長は、生仏に同調して言った。

 朝早くから三々五々と琵琶法師が大講堂に集まり始め、昼過ぎには、堂内は墨衣の人で一杯になった。
 会場にやって来たのは琵琶法師ばかりでなく、寺院の雑事に従事する雑色から学僧までが混ざっていて、この思いがけない盛況振りは、潜在的にせよ平家の語りに興味を持つ人々が多いことを示している。
「猿騒動のときに浄月どのが演壇に上がったのも、良い前宣伝となったようですの」
 生仏が微笑み、行長の耳元で囁くように言った。
「痛い目に遭った甲斐がありましたかな。この様子ですと、後日、京からの琵琶法師がやって来ても入りきれませんね」
「公家の御一行が、たった今、着かれましたよ!」
 そのとき、通念が走って知らせにきた。
「通念、おまえが貴賓席へご案内しなさい。お名前を確認して、後で私に知らせてくれ。粗相のないようにな」
「はい!」
 威勢のいい返事を残して通念が去った後、行長も、生仏を導いて大講堂に入った。 横長の建物の内部は、右手に、演壇として膝の高さほどの壇が備え付けてあり、二人はその、十分な広さを有した壇の中央に進んだ。
 五、六間先には、にわか造りの、同じ高さで二間四方の貴賓席の壇が設けてあり、壇の後方には、講堂内を仕切るための屏風が並んでいる。屏風に遮られて姿は見えないものの、その背後では、ガヤガヤと騒がしい声がしていた。
 行長に並び、琵琶を抱えて演壇の中央に立っていた生仏が、その場に座った。
 生仏は真っ直ぐ前方に顔を向け、視界のない目をつぶった。
「お静かにッ!」
 行長が大きな声で言った。
 会場は、水を打ったように静かになった。
「たった今、洛中より平家語りを聴くために、本山に登ってこられた貴賓の方が到着なされました。ただ今より、私語はお慎みください!」
 やがて、通念に案内されて、しずしずと公家の一行が入ってきた。
 六十年輩の男が中央貴賓席の壇に座り、護衛の青侍を含めた三十人ばかりの連れの者もそれぞれ、左右の席に座した。
 案内を終えた通念が行長のところにやって来て、
「お名前は、久我道実さまです・・」
 と、耳打ちした。
 道実は突然やって来たつもりだろうが、席が用意されているのに驚き、面食らっている様子だった。
 行長は生仏に並んで座し、道実に向かって深々と頭を下げた。
「本日は久我道実さま、並びにその御一行の方々には、遠路、また険しい山道を、わざわざ、私どもの拙い平家語りをご清聴下さるためにお越しいただき、厚く御礼申し上げます」
 行長の声が、静かな大講堂に響き渡った。
「本日お越しいただいた久我道実さまは、建仁二年の秋に逝去なされた源通親内大臣の血脈であられ、そのご人望のみならず、和歌等に於ける都でのご評判は周知の通りでございます」
 行長は口を極めて貴賓の客を持ち上げ、滔々と賛辞を並べ始めた。
 予想とは異なる成り行きに、道実は最初の内こそ険しい顔つきをしていたが、行長の言葉に表情を戻した。無礼と紙一重の、ギリギリの際にある賛辞の羅列は、いわば行長の皮肉であり誉め殺しの文句だったが、誉め言葉であることに変わりはない。
 むろん、それらは一人道実に聞かせているのではなく、静まりかえった屏風の後ろに座している琵琶法師や僧に、これ程のお人が自分たちの平家を聞きたがって遠路を厭わずやって来たのだと、道実をだしに宣伝しているのである。これを吹聴することで、遜った拙い平家という表現も帳消しになる。
「貴賓のご紹介を終えたところで、平家の語りを始めたいと思います。奢れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し・・」
行長の場所からは、屏風の前に陣取っている道実の一行しか目に入らない。平家に書いた句文の一言は恰も道実に向けられたようでもあり、行長は巧妙な言い回しで、それまでの慇懃な自分の言動を、自ら一刀両断に断ち切ったのである。だしに使った後は、含むところがある道実のことなど、最早気にはならなかった。
 行長は一際声を高くし、
「この盛者必衰の理、諸行無常を語るのは、東国は上野の出で、名を生仏と申します」
 と生仏を紹介し、彼が深く頭を下げたのを見届けて、壇を退いた。
 静まり返った大講堂に、やがて生仏の琵琶が響き始めた。
 低く、或いは高く、語りに入る前の琵琶が物悲しく鳴り渡る。
「名調子ですね・・」
 壇の脇に控えている通念が、小声で言った。
「私の前口上か、それとも生仏どのの琵琶か?」
 微笑んで、行長が訊いた。
「双方ともです。首尾は上々ですよね」
 通念は、何か悪戯でもしているかのように囁いた。
「おいおい、私たちは別に悪巧みをやっているわけではないぞ。悪巧みは、向こうの方だ」
 行長は苦笑し、小声で言った。
 生仏が、素声で諸行無常の段から平家を語り始めた。
 素声といっても地声ではない。微妙に音声を創り変え、その特異な声が聴衆を平家の世界へと引き込んでゆく。今、大講堂の中は天承元年へと時間が逆戻りし、のし上がろうとする伊勢平氏の息吹が聞こえて来るようだった。
 豊富な財力で鳥羽院を慰め、取り巻きの公卿どもの度肝を抜いて見せようぞ、という平家の気概が、沸々と大気の中に満ち始めたのである。滅亡したはずの平家が、草創期の勢いそのままに、鮮やかに蘇っている。
(巧みだ・・)
 生仏の語りの技量に、改めて、行長は舌を巻く思いだった。また一字一句、原文を逸れることなく語りを暗記していることも、驚きだった。このような琵琶法師はもう二度と出ないのではないか、行長はそう思った。
 明らかに生仏は今、光芒を放っている。自らもはぐれ者だと言った名もない男が、大衆を詰め込んだ大講堂の中で、一人輝いているのである。
 世をはぐれ、人の目には見えなくとも、本人は間違いなく光っている。行長は、はぐれた星の光芒を目の当たりにしたような気がした。

        (二)
 初日は成功の内に終わり、慶雲の手紙にあったように、次の日も、またその次の日も京から貴人がやって来た。毎日のように、地位ある公家たちが生仏の語りを聴きに山に登って来るというのは珍事で、山門はこの話題で持ち切りになった。
 貴人に誘われるように、京市中からも琵琶法師がやって来るので聴衆は膨れ上がり、屋内に入れず溢れる者も大勢いたのである。彼らは入り口や窓から洩れてくる声を聴こうと建物にへばり付いた。
「会場を、外に移したらどうですか?」
 通念が言ったが、公家たちが承知するはずはなかった。元々、琵琶法師その他の聴衆は、彼らのあずかり知らぬことなのである。他の聴衆のために会場を外に移すというのは、公家たちにとっては本末転倒だった。
「溢れる者には気の毒だが、それが嫌なら、早く来て席を確保するしか手はないな」
 今のところは、単純にして公平な、早い者勝ちの方法しかない。
 こうして五、六日が過ぎた日の夕刻、生仏が西坂にやって来た。ここ二日は、行長は平家にかかりっきりで、会場のことは通念たちに任せていた。
 生仏の語りは好評で、公家たちは複雑な表情で京へ戻っていった。琵琶法師が挙って聴きに来ていることも蝶門一派には不安を残し、このまま同じことを繰り返していても、悪くはなっても事態は良くならないと判断し、登山は中止されることも予想される。
「良さそうな琵琶法師は見つかりましたか」
 行長は生仏に訊いた。
 話では、平家の語りを習得したいと、東坂の院を訪ねる琵琶法師が引きも切らず、生仏は嬉しい悲鳴を上げているようだった。
「良い琵琶法師は沢山いますが、横川から来ている定一という若い法師を目に留めていまして・・」
「定一?」
「通念どのと同じ位の年齢でしようかの。時間をかければ、どの法師もそれなりの味が出ますが、私の代わりに平家を覚えるとなると、定一ですかな。彼は初日から平家を聴いていて、かなりの部分を空で覚えています」
 生仏は、定一という若い琵琶法師を自分の代役にと、考えているらしい。
「代わりは、必要ないかも知れませんよ」
 通念が言った。
「私が公家の方をお見送りした際に、これでは何のためにやっているのか知れないと、憮然としていましたからね」
 さすがに公家たちも、ここにきて、仕掛けたつもりが自分たちの方が上手く利用されていると気付いたようだが、皮肉にも彼らの内でも評判を呼び、誰の番で打ち切るかと、詰まらないことで揉めている様子だという。誰しもが、自分が聴いた後で中止にしようと考えているのだ。
 しかし、通念の予想は的中した。
 次の日には、来るはずの公家の姿はなく、貴賓の壇を空席にしたまま語りは進んだ。
 状況から、蝶門一派は企てを断念したに違いなく、生仏は混乱を避けて会を収束すべく、開催日は残すところ五日、と期限を切ることを宣言した。その上で、平家の語りを習得したい者は申し出るように、と言ったのだ。
 蝶門一派のために十日ばかりを無駄にしたが、かけがえのない収穫もあった。
 行長たちの平家を、広く世間に知らしめることが出来たのだ。のみならず、語りを習得したいと希望する多くの琵琶法師も集まり、ここに至って蝶門派の企ては完全に裏目に出た。十日前と現在とでは、行長たちを取り巻く状況は、天と地ほども違っていたのである。
 今まで通り、生仏が通念の素読を通して仕上がった平家を覚えるのは同じでも、夕刻から夜にかけては、自らが選んだ十人ばかりの法師に自分の語りを伝える仕事が増え、法師たちは誰もが熱心であるが故に、生仏を喜ばせた。
 琵琶法師たちは、生仏の素声を習得しようとしのぎを削り、そして、章段の習得を生仏から認められれば、法師はその段を他の琵琶法師へと伝えることになる。
 流れの勢いが、僅か十日の間に、雲泥の差を生んだのである。
「これでは、蝶門どのの一派とは勝負にならないのじゃないですか?」
 通念が、拍子抜けしたような調子で言った。
「琵琶法師は誰もが、少しでも早く行長さまの平家を覚えようと必死ですよ。もう少し骨があるかと思っていたのに・・」
 通念は物足りなさそうだった。
「蝶門どのの平家が良ければ、事態はまた変わるだろう」
 行長は、通念に言った。
「そうでしょうか?」
「私のものより良ければ、当然そうなる。当たり前のことだよ」
 語りの良し悪しは姑息な計らいや小手先の小細工ではなく、聴く者によって判断される。審判は大衆によって下されるのである。蝶門もそれくらい承知しているはずで、年明けの競演に向けて渾身の力で平家を書き下ろしていると、行長は推察していた。
 
 年が明けて承元五年(一二一一年)、三月には年号が改められて建暦元年となった。 平家の追悼法会は壇ノ浦で一族が滅亡した三月二十四日と決まり、語りの競演は、翌日の二十五、二十六の両日に開催される運びとなった。
 しかし、大懺院からの資料を参考に手直しした従来の平家を加えると、行長は既に三巻を仕上げており、蝶門も同程度の平家を完成しているとすれば、二日で全てを語るには時間的に無理があると思われた。どう見積もっても、一人分の口演時間でしかない。
 多忙で慈円の都合がつかず、両者の抜粋した段だけで競演させるつもりなのだろうかと、行長は理解した。
 ここのところまた山門に不穏な動きがあり、今度は、衆徒が圓城寺に焼き討ちをかけるとの噂が立っていたのである。この風聞は鎌倉にも伝わり、慈円はそのことで忙殺されているらしい。
 ともあれ、三月の声を聞くと、さすがに春の気配を感じる。山の木々の色合いも、小鳥たちの囀りさえもが、本格的な春の訪れを待ち望んでいるようだった。
 西坂の行長の院では、新たに生仏の弟子となった定一が平家を語っていた。
 定一は聡明な好青年だが、年齢が若いだけに、生仏が醸し出す哀調や凄味に欠けるきらいは否めない。だがそれは無い物ねだりで、これからが期待できる逸材には違いなかった。良く通る美声で、見方を変えれば聴衆にとっては別の魅力がある。暗記能力もなかなかのものだった。
「定一どの、その調子で精進なされよ」
「はい。精進いたします」
 月並みな言葉でも若い定一にとっては励ましで、彼は嬉しそうに、丁寧に頭を下げた。
「定一どのは美男だから、女人の人気を得るでしょうね」
 通念が軽口をたたく。
「私は美男ですか? 人さまの顔も自分の顔も見ることは適いませんが、相手の方のお人柄なら、大体は分かります。通念どのこそ、女人には人気がありましょう」
「私はこれでも僧の卵ですから、女人に騒がれるのは迷惑ですよ。幸い、その心配はありませんがね」
 通念は苦笑して言い、
「それにしても、いよいよ競演の日が近くなりましたが、相手方の仕上がりはどうなのでしょうね? どんな平家か、一度聴いてみたいですね」
 と、行長に顔を向けた。
 行長も聴いてみたいとは思うが、競演の日まで機会は訪れそうにない。
「出来る限りのことはやった。後は、十日後の競演で最善を尽くすだけだ」
 行長がそう答えたとき、玄関の方で訪問者らしい声がした。
 大懺院から来た者なら、玄関で声をかけるだけで、応対を待たずに入ってくる。だが、来訪者に入ってくる様子はなかった。どこか、別筋の来客らしい。
「誰かな?」
 そう言って通念は、おっとりと応対に出た。
 ところが、間を置かずに、
「大変です! 当の本人がやって来ました!」
 と、血相を変えて駆け戻ってきたのである。
「蝶門さまです!」
「何だって?」
 噂をすれば影というが、意外な人物の名に行長も驚いた。
「供の者と琵琶法師、それに警護の侍の四人で来ています。間違いありません。去年の雨の日に、京の市中で会ったあの蝶門さまです!」
 出会いの印象が深いだけに、通念はひどい慌てようだった。
「手足を洗う水桶を出したら、その後はツツジの間にお通ししてくれ」
 行長は通念に指示した。
 ツツジの間とは、縁先にツツジの木があるのでそう呼ばれている客間で、掃除は行き届いているものの、滅多に使われることはなかった。
 競演の日は十日後と迫っている。わざわざこの時期に、何用あって蝶門が比叡山に登ってきたのかと、行長には彼の意図を計りかねた。
「私どもはこれに控えておりますので、ご用の折はお呼びください」
 生仏が堅い口調で言った。
 蝶門、行長、二人の背後には、それぞれに、代々受け継いだ家の格式や朝廷内での勢力を競う大物を擁している。その面子の直中に関わっている人物がやって来たのである。しかも、対決の日は目前に迫っていた。誰もが緊張するのは無理もなかった。
「琵琶法師を連れているというのが、気になります。ご苦労ですが、それでは今しばらく待機していてください」
 行長は、生仏に頷いて言った。
 
「お久しぶりですね」
 ツツジの間に入り、行長は蝶門に声をかけた。
「これは五徳、いや、浄月はんどしたな。久しゅうおすなァ。もうすぐ桜の時期ですが、お変わりおへんどすか?」
 あの高慢な蝶門にしては、慇懃な言い回しだった。従者と青侍は別間にいるらしく、側には、琵琶を抱えた三十年輩の琵琶法師だけが座している。
「蝶門どのと、ここでこうしてお会いするとは夢にも思いませんでした。今日はまた、如何なるご用件で?」
 行長は、単刀直入に訊いた。
「まあ、表敬訪問、いうところでおますかな。浄月はんの噂も、聞いておすえ」
「琵琶法師とご一緒に、表敬訪問でもありますまい」
「きついお言葉でおすなァ。浄月はんとも思えまへんえ。少し、変わりはりました?」
「宮廷を追い出されてからは、地獄も見ましたからね。多少は変わったやも知れませんな」
 鵺のように掴み所のない蝶門に、行長は答えた。
「実は、今日は浄月はんの平家を、是非、聴きたい思いましてなァ。勿論、あたしのもお聴かせしますよって、こうして琵琶法師も連れて来たんどす」
 行長の言葉は無視し、蝶門は訪問の目的を口にした。
「ほう、これはこれは、琵琶比べですか・・」
 行長は苦笑した。十日後には嫌でも対決する相手である。今、ここで手合わせをしようとする魂胆が分からない。だが、
「通念!」
 と、行長は通念を呼んだ。
「はい!」
 隣の間に控えていた通念が、すぐに顔を出した。
「生仏どのと定一どのを、これへお連れしてくれ」
「はい」
 頷いて、通念が立ち去った。
「しかし、十日後には顔を合わせることになりますが、それまで待てないのですか?」
「待てまへんなァ。ま、表敬訪問の余興ということで、どうしても、受けて貰いとうおす」
 普通に考えれば、現時点での蝶門の申し出は理解に苦しむ。なぜ今日なのか、行長にはその意図が分からなかった。先ずは、蝶門の本心を探る必要がある。
 しばらくして、通念が生仏と定一を連れて来た。
「ご紹介しましよう。私の平家を語ってくれる生仏どのと、定一どのです」
 彼らが座るのを待って、行長は二人を紹介した。
「覚えておられるかどうかは知りませんが、生仏どのは、昨年秋の雨の洛中で、袖を汚したとかで、蝶門どのから激しい叱責を受けた法師です」
「あッ・・、そうどすか・・」
 さすがに、ばつが悪そうだった。狼狽の色は隠せなかったが、それでも蝶門は生仏をまじまじと見つめた。
 頭を下げた生仏の横顔を見やり、行長は、
「誇り高いお人が、衆目の中、罵倒される心中は如何にとは思いますが、これも仏に仕える身、辛い修行を課せ賜うたのだろうと生仏どのは耐えられました」
 と言って、今度は蝶門に視線を向けた。
「・・・」
「お言葉は、ございませんか?」
「・・・」
「雨中で転んで濡れ鼠となった生仏どのの姿が、蝶門どのの目にどのように映ったかは存じませんが、いま噂の平家の語り手は、その生仏だということをお見知り置きください」
「・・・」
「お望みとあらば、余興の平家語り、ここでお受けしましょう」
 言いたいことだけ言うと、最後に行長は、真っ直ぐに蝶門を見据えて申し出を承諾した。
「・・そうどすか」
「定一どの、語りの用意をしてください」
 生仏ではなく、行長は定一の名を呼んだ。
「お待ちやす。あたしは、生仏はんの琵琶を聴きとうおますのえ」
「それは出来ません。生仏どのは、十日後の競演を務める語り手です。ここで、手の内を見せるわけにはいきませんな」
 行長は、言下に蝶門の意向をはねつけた。
「・・・」
「それに、罵詈雑言を浴びせた琵琶法師に、今度は、語ってみせろとは、いくら何でも酔狂が過ぎましょう」
「・・・」
 蝶門は気色ばみ、怒りを顕わにして押し黙った。
 次々と、喉元に突き付けるような行長の鋭い言葉を呑み込んだ末に、望む語り手も拒絶され、最後には非を咎められたのである。彼が、怒り心頭に発する思いを我慢しているのは明白で、その顔は青ざめていた。
「それでは始めましょう。蝶門どのの方から先に語られますか。それとも、この五徳の冠者めの平家から始めましょうか?」
「・・お待ちやす。あたしたちも先ほど着いたばかりどすえ。旅の疲れを休めて、語りは明日ということにしとうおますなァ」
 予期しなかった行長の物言いに、心を乱されたまま語りに望むのは利口ではないと判断をしたのだろうか。蝶門は冷静を装って言った。
「承知しました。では、今夜は当院にお泊まりいただき、語りは明日ということに致しましょう。係りの者に、夕餉や寝間の用意をするように伝えておきます」
 行長たち一同は蝶門に頭を下げて、部屋を退いた。
 この期に及んで、良からぬ陰謀を画策したところでどうなるものでもないとは思うが、不自然な訪問だけに、出来ることなら彼らの目的を知りたかった。
 理由もないのに、遠路をわざわざ、敵地を訪ねて来るわけはないのである。
「蝶門どのの意図は、何でしょうな・・」
 行長の居間に戻った後で、生仏が呟いた。
「さあ、皆目見当もつきませんが、何かの目的があるのは確かでしょう」
 蝶門が言うように、表敬訪問や単なる余興であるはずはない。だが、行長にもその意図するところは分からなかった。
「彼らは裏で企みますから、油断なりません」
 通念も眉を顰めている。
「彼らの腹を探る妙案はないものですかな・・」
「無理ですよ。言うわけありません」
 生仏の呟きを、通念が否定した。しかし、生仏は、
「いや、無理とは限りませんぞ。通念どの、相手方の琵琶法師の名は訊かれましたかな?」
 と、通念に顔を向けた。
「訊いてはいませんが、部屋に案内したときに、蝶門さまは禅一と呼んでいました」
「禅一どのか。この度の登山の目的を知っているのは、蝶門どのを別にすれば、その禅一どのだけでしような・・」
 生仏はそう言って、考え込むように天を仰いだ。
「新作を覚える琵琶法師は作者の事情に通じているでしょうから、多分、知っているとは思いますが口は割りますまい」
 行長が口をはさむ。
「だから、仕掛けるのです。今晩、何か理由をつけて、蝶門どのを部屋の外へ連れ出してくれればいいのですが、通念どの、やってくれますかの?」
 生仏は、にやりと笑ってみせた。

        (三)
 夜になった。
 辺りはしんと静まりかえり、月光が縁先の草木を蒼白く濡らしている。足音を忍ばせた通念は縁に屈み、ツツジの間の引き戸をほんの少し開けて、
「蝶門さま・・」
 と、小声で蝶門の名を呼んだ。
「誰え?・・」
 中から返事がした。
「静かに、お出ましください」
 通念の呼びかけに、
「どないかおしやしたか?」
 と蝶門が起き上がり、寝間着のまま、戸口に来た。
「お静かに・・」
 通念は、縁に出るようにと蝶門の寝間着の裾を引いて合図し、部屋の戸を閉めた。
「こちらです・・」
 用意していた履き物を履き、二人は縁から庭先へと歩いた。
「何用か」
 蝶門が警戒するような声音で訊く。
「実は、あの向こうに、女人の物の怪が潜んでいるのでございます」
「物の怪やて?」
「毎年この時期、一晩か二晩、月の明るい夜に女の泣き声がします。当院には、誰も詳しい者がおりません。浄月さまでも分からないのです。博学で聞こえる蝶門さまなら、あるいは物の怪の正体が分かるのではと思い、内緒で教えを請いたいと考えたのでございます」
「女人の泣き声・・」
「このお山に女人は皆無だというのに、ほら、幽かに聞こえます・・」
 月明かりに照らされた厠の木群れの辺りから、声が洩れている。
 女の泣き声だとすれば若い女のような気もするが、幽玄な光景と相まって、しくしくと悲しげな、月の滴のようでもあった。
 同じ頃、通念が蝶門を連れ出したのと入れ替わりに、生仏は行長の案内でツツジの間にいた。隣の間で就寝するのは禅一と連れの者で、ちょうど夜具を被った頃合いである。
 息を殺している行長の傍で、生仏は間境いの引き戸を少し開け、
「これ、禅一」
 と蝶門の声音を使って、小さな声で禅一に呼びかけた。
「はい。何か?」
 禅一の返事がした。
「そのまま、お聞きやす。明日の夜明け前に、通念はんがおまえを呼びに来るはずよって、密かに彼のお人と会うて、あたしたちがここへ来た事情を洗いざらい伝えおしやす。後のことは通念はんに任せといたらよろし。心配要りまへん。極秘よって、誰にも覚られてはなりまへんで。以後は、報告の必要もおへん。ええな?」
「はい。確かに承知いたしました」
 生仏は隣間の戸を閉め、また行長とツツジの間を通って縁に出た。
「後は明日の夜明け前に、通念どのがそっと連れ出しに来ればいい・・」
「驚きましたな。蝶門どのと瓜二つの声音だ」
 行長は生仏の顔をまじまじと見て、吐息を吐いた。

 一計を巡らせた一夜が明けた。
「そうだったのか・・」
 朝の日が射し始めた部屋で、禅一と会った通念から話を聞いて行長は絶句した。
 昨夜の蝶門の声音を使った企ては見事に奏功し、通念は禅一の口から登山の目的を聞き出すことに成功したのだ。しかし、それには意外な事実が隠されていた。競演の日を待つまでもなく、もう既に、平家語りの勝負はついていたのである。
 蝶門一派の長である堀川中納言は、比叡山で語りを聴いた公家たちの意見を取り入れ、十日後に予定されている競演を断念して、その旨を慈円に伝えたのだという。
 行長の平家の内容と生仏の語り、それに琵琶法師やその他の聴衆の人気から判断して、もし競演に討って出れば結果は決定的となり、致命傷を避けるために矛先を納めたものらしい。白黒がつく形で敗北すれば今後に悪影響を及ぼし、取り返しのつかないことにもなりかねない。所謂、政治的な判断がなされたのである。
 納まらないのは蝶門で、勝負をしないで敗北を突き付けられただけでなく、皆に影響を及ぼした責任上、その地位にも何らかの沙汰が出されるということだった。
 蝶門は自分の耳で行長の平家を確かめ、自らの平家を行長にぶつけるために登山したのである。辛辣な行長の言葉に黙って耐えたのも目的があればこそで、以前の蝶門であれば、間違いなく席を立っていた。
「慈円和尚は、二十五、二十六日の二日間を、浄月さまの平家だけに充てるご意向のようです。堀川中納言さまや取り巻きも招かれていると、禅一どのは言っています」
「そうか・・」
 行長は、肯いた。
 禅一とのやり取りを行長に報告した後、通念はその足で蝶門の部屋を訪ねた。
 ご機嫌伺いを口実にしているが、昨夜の物の怪を信じているかどうかを確かめたいようであった。
 程なく、蝶門の部屋を訪ねた通念が戻ってきた。
「蝶門さまは、昨夜の物の怪の正体は自分にも分からないと言っていました。だとすると、定一どのは生仏どのの一番弟子だけあって、女人の泣き真似もさすがに上手いということですね」
 通念は、片隅に座っている定一の方を向いて言った。
「それと、蝶門さまは、自分たちは用意が出来ているから、こちらの都合が良ければ直ぐにでも語りをやりたいと言われてますが?」
「よし、それなら、これからやろう・・」
 行長の言葉に皆が頷き、四人はツツジの間に出向いた。
 縁に出ると、禅一の弾く琵琶の音が聞こえてきた。
 巧みな撥捌きである。蝶門も、生え抜きの琵琶法師に恵まれたらしい。
「この院には、様々な物の怪がおますようで、退屈しまへんな」
 行長を見て、蝶門は開口一番に言った。
「お褒めの言葉だと受け止めておきましょう」
 行長は問いかけられた事柄には答えず、破願して頭を下げた。
「ほな、あたしの方から始めとうおますが、よろしおすか?」
「どうぞ・・」
 行長たちが座に着くと、禅一は語りの琵琶に調子を変えて弾き始めた。
 軽快な曲調で躍動するような明るさがある。そして驚いたことに、禅一は、語りを、地方色豊かな伊勢を背景に、民が彼らの長である忠盛を称える宴の場面から入ったのである。
 篝火のもとに踊る、素朴で伸びやかな庶民の姿が目に浮かぶようで、これから本格的に都の中枢へ乗り込もうとする忠盛を祝し、賛辞と喜びに沸き返っているのだ。
 語りが進んで、宮廷で平家が次第に力をつけてゆく場面も緻密で格調高く、文章を以て聞こえる蝶門の面目躍如たるものがあった。
 ただ、難があるとすれば、語りの向け先が貴族社会に偏向していると感じられた。引く喩えも一般には馴染みがなく、難し過ぎて庶民は煙に巻かれる。煙に巻く高尚さも時には効果的だが、度を超せば逆効果となる。しかし、それを差し引いて他の語り物と比したとしても、決して遜色ないと行長は思った。
 長い語りを終えて、琵琶を抱いた禅一が頭を下げた。
「さすがは蝶門どのです。結構でした」
 行長は、短い、そして正直な感想を述べた。
「私の方の語りは、生仏が務めます」
 行長が口にした名に、蝶門は意外な表情をした。
 昨日は無碍にはねつけた名前である。
「生仏どの、お願いいたします・・」
 行長は、蝶門が企てや姑息な手段を施すためにやって来たのではなく、全力で自分の作品をぶつけたいだけだと知り、であれば、こちらも全力で闘うのが礼儀だと判断したのである。演じる章段に注文はつけず、生仏の選択に任せた。
 生仏は諸行無常から入って殿上の闇討ちへと繋ぎ、剣の段で締めた。
 いつもながらに唸らせるような巧みさが際立ち、鮮やかな余韻が辺りに漂う。最後の弦を弾き、生仏が頭を下げても、蝶門はしばらく茫然としていた。
 誰も口を利く者もなく、静寂だけが部屋を流れた。
 ややあって、目を瞑っていた蝶門が、
「見事でおましたえ」
 と言って、行長に頭を下げた。
 余興は終わった。
「早く温くなって欲しいですの」
 生仏が部屋の外へ向き直り、空の方を仰いだ。そして、ホーホケキョ、と鶯の鳴き声を口から発した。
「まだ、少し早いですかな・・」
 生仏は悪戯をした子供のように、頭を掻いた。
「当院には、鶯の物の怪もおますようじゃな・・」
 蝶門も目元を緩めて外に視線を投げ、独り言のように言った。
 行長はその目元を見やり、
「今、こうして余興を終えてみると、もう競演をする気が失せました。慈円和尚にお願いして、私は降りさせていただきたいと思います。私が降りるとなると、蝶門どのも、やむを得ず、降りるしかありますまい」
 と、蝶門に言った。
 彼は吃驚したような目を向けたが、黙って頭を下げた。そして、
「浄月はん、この禅一を生仏はんの弟子に加えてもらえまへんか?」
 と禅一に顎をしゃくった。
「禅一どのを?」
「そうどす。律儀な気質ですよって、是非、お頼申しとうおます」
「生仏どの、お話の通りですが、いいですか?」
「はい」
 生仏は、訊いた行長に頷いた。
「有り難うおます。では、改めて登山させますよって・・」
 傍に座している禅一の見えない目から、二筋の涙が頬を伝わっていた。
 行長には蝶門の傲慢さばかりが目についていたが、自分が気付かなかっただけで、彼は案外、情の深いところもあったのかも知れない。
「ほな、表敬訪問があんまり長うなっても様にならんよって、ぼちぼち失礼しまひょ・・」
 蝶門は、そう言って立ち上がった。

 行長たちは辻まで出て、皆で蝶門一行を見送った。
「で、今朝の平家語りは、浄月さまの方が勝ったのですか?」
 一行の後姿に目をやったまま、通念が行長に訊いた。
「さあな。勝負はつかなかったというところかな」
「でも、蝶門さまは、負けと判断されたのではないですか? 禅一どのを、生仏どのの弟子にと言われたのですから」
「だからといって、負けと判断したとは限らないよ」
「そうでしょうか」
「そんなもんだよ・・」
「見方で変わりますでの」
 生仏も、行長に同調した。行長はその生仏に、
「けれども、生仏どのが、戻り橋の姫の段を語ろうとは思いませんでしたな」
 と言って、笑顔を向けた。行長も、内心では望んでいた出し物だったのである。
「どうしても、浄月どのの五徳の恨みを蝶門どのに聴かせとうございましてな。甲斐あって、鉄輪の場を語っていて、確かに、蝶門どのの反応を感じましたぞ」
「・・・」
「返礼をしたかったというか、昨日、浄月どのが私のことで、蝶門どのに激しい言葉を使われたのが胸に染みましてな。私は、あのような形で人さまに擁護された覚えが余りありませんからの」
「いえいえ、一度はねじ込んでやろうと思っていたのですよ。実は、宮廷では、私は蝶門どのから一番虐められたのです」
「やっぱり・・」
「今更、古いことは持ち出せませんから、代わりに生仏どのを引き合いに出して溜飲を下げたというわけです。礼を言われるようなことでは、決してありません」
「そのような言われようも、浄月どのらしい・・」
 生仏は頭を振って言った。
「もしかしたら蝶門さまは、昨日の物の怪は私たちの仕業だと、知っていたんじゃないでしようか。昨晩、定一どのの女人の泣き真似を聞いたときには、疑っている様子ではなかったのですが、今朝、浄月さまに語りかけた口振りだと、どうも知っていたんじゃないかと・・」
 話題を変えて、通念が言った。
「禅一どのも、今朝会ったときには私のことを疑っている風でもなかったし、訝しいなァ。あれからツツジの間へ戻って、蝶門さまに私と会ったと報告でもすれば別だけど・・」
 通念は頻りに頭を捻っている。 
「報告を受けたとすれば、女人に無縁の山門でその泣き声を聞いたり、覚えのない自分の指示で禅一どのが動いたりと、蝶門どのにすればこの院は物の怪の棲み家のようで、私たちも物の怪に見えたかも知れませんな」
 笑って行長が言った。 
 蝶門が来て予期しない語りの勝負を挑まれたことは、やはり行長たちにとっては大事件であり、彼らの姿が見えなくなった後も、しばらくは話題が尽きなかった。
「でも、相手が競演を断念したのなら、慈円和尚はどうして、それをこちらに知らせて来なかったのでしょうか?」
 通念が首を傾げる。
「慈円和尚は、私たちの平家語りの後押しをされているだけで、退いた相手を深追いする理由もないからじゃないのか。それに、競演で白黒がついたわけでもなし、勝ったと告げられる性質のものでもないだろう・・」
 だからこそ相手の面子も保たれたのであり、政治的判断の所以であったのだ。
 行長は通念に答えて、三月の空を見上げた。
 そして、平家の競演を降りる意志を、自分の口から堀川中納言へ伝えようと思った。そうするだけで蝶門の責任が軽減できるなら、簡単なことだ。最早、行長を悩ませた五徳の冠者の怨みもない。思いの丈を平家に託し、蝶門にぶつけたことで氷解している。
 その意味では、行長にはこの度の蝶門の訪問は有り難かった。彼が抱えた事情を知らずにいたら、引きずっている行長の昏い怨念は生き霊となって相手を傷付け、自分をも破滅させたかも知れないのだ。
 怨みは自身の破滅さえも厭わないが故に、心の闇に絡み取られもする。だが人の世の常と凝視すれば、それは自らの発光をうながす力ともなり得るのである。 
 方丈庵の蓬胤、千日回峰行の杜秋、還俗した慶雲、一族を失って琵琶法師となった生仏、そして行長と、誰もが一度は世間の軌道をはぐれはしたが、しかし、間違いなく強い光を放ったのだ。
 はぐれ星ははぐれ星なりの位置があり、光芒がある。蝶門という大きな星が墜ちれば、その家族には、幼い日に行長が経験した赤貧の日々が待っているかも知れないのである。
 いずれにしても人生は短く、あの蝶門でさえも傲慢な時期はほんの一瞬でしかない。 全てこの世は、諸行無常なのである。
 晴れた空にそびえる杉の梢から、数羽の山鳥が飛び立った。
 今日の空はどこまでも蒼い。 
     了


 この小説は新植林三十一号(二〇〇三年、十月発行)から三十七号(二〇〇六年、十月発行)にかけて連載されたものです。